秘密基地だった場所

 昔、妻とよく遊びに行っていた砂浜へ向かった。人が全然来ない砂浜。ぼくと妻の秘密基地だった。

 まだ、お互いタバコも吸わず酒も飲んでいなかった頃。ぼくにまだ家庭を守ると言う意思もなく、妻が彼女だった頃。よく二人で夕焼けの時間帯に砂浜に並んで座って、寄せては返す黄金色の波を見ていた。

 特になにも話さず、二人でゆっくりとした時間を味わい、どちらからともなく相手の首に手を回し、静かに唇を重ねていた。

 あの頃よりも寂れた雰囲気の砂浜を見ていると、当時の記憶が反芻する。なぜか唇に暖かいものが当たったような感触がする。記憶が反芻すると、追体験するのか? と首を傾げながらタバコに火をつけ、紫煙を吐きながら砂浜を歩く。腕時計をチラッと確認すると、四時三〇分を少し過ぎた頃で、もう少しで夕焼けかと少し暗くなり始めた青空を見つめ小さく呟く。

 砂浜の隅にある、壊れかけの木造の小屋の元へ向かう。昔は海の家だったのだろうが、今はただのボロ小屋と化している。

 所々穴の空いている壁を撫でながら小屋の周囲をぐるりと回る。昔よりぼろくなってないか? という考えと共に一五年経ってるから仕方ないか。という考えが浮かび一人で小さく笑う。いつの間にかフィルターしか残ってないタバコを海に向かって投げ捨て、縋るように言葉を吐く。


「あぁ、あいつどこ行ったんだろうな」

「ここにおるよ」


 幻聴のような消え入りそうな声が背後から聞こえてくる。ゆっくりと後ろを振り返ると、ほぼ砂に埋もれかかっているボートに妻が悲しげな顔をして座っている。目が赤い。おそらく泣いていたのだろう。ぼくは砂浜に足を取られながらも走って近寄り、ボートの中に入り妻を抱きしめる。


「今日はごめん。なんであんなにきびしく君に当たったのかわからない」

「ええんよそんなん。気にしてないし。ちょっと家は飛び出してもたけどな。まぁ久しぶりに夕陽でも一緒に見よーや。あん時みたいに」


 ぼくは妻の言葉で涙が溢れ出した。まだ名字が違った頃のように、妻の旧姓を耳元で小さくささやいた。


「なに言ってんよあんた。あたし名字変わったやろ?」


 と言いながらも妻はぼくのことを苗字で呼ぶ。少し照れ臭そうに。昔に戻った感覚を覚えながらさらに強く抱きしめる。


「夕陽」


 妻が小さく呟く。ぼくは抱きしめている両手の力を緩め、妻の横に座る。黄金色に輝き、寄せては返す波を見て妻に恋をしていたときの感情を思い出し、少し照れるが、ぼくはこの時間を堪能しようと表情を緩めないよう力を入れる。

 妻がそっとぼくの首に手を回し、静かに唇を重ねてきた。いつ以来だろうと思いながら、ぼくも応じた。

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