第19話 言うは易く行うは難し……1
20年前の冷たい夜。
その日は激しい雨風が降り注ぎ、岩山は土砂崩れの危険もあった。
けれど、山の奥、魔神を祀った祭壇の前で、男は寒さも恐怖も忘れて訴える。
「お願いします魔神様。どうか村を豊作にしてください! 今年も飢饉で多くの死者が出ました! 村が豊かになれば望むだけの供え物をしますし、どんな労力も惜しみません! だからどうか、どうか!」
魔神は、犠牲と引き換えに人間の望みを叶える、超常の存在だ。
しかし、魔神との取引は、たいてい、不幸をもたらす。
それでも、男は魔神に訴えた。
不幸になってもいい。いや、現状以上の地獄などありはしないと、男は声をからして叫び続けた。
精魂尽きるまで畑仕事に精を出しても僅かな実りしか得られず、親兄弟が死に絶えるのが日常だった。
どれほど涙を流しても、喚いても、手を差し伸べてくれる者はいない。
ならばと、男は悪魔にも魂を売り渡す所存だった。
すると、周囲の空気が重たくなるのを、男は感じた。
祭壇が僅かに揺れ動き、声が聞こえた。
「20年後……汝ガ授カッタ子ヲ捧ゲヨ……」
重く、地の底からすすり上がるような、重低音の声に、男は顔を上げた。
「子供? そうか、生贄か。いいだろう。どうせ俺の兄も妹も飢饉で死んだ。無意味にだ!どうせこのままなら、いずれ他の兄弟も、友も、村人全てが干上がる。ならばくれてやる。未来の子を。その代わり、村に豊作と繁栄を与えてくれ!」
「約束シタゾ……人ノ子ヨ……」
声は、僅かに笑っていた。
◆
20年後。
青葉がいっぱいの太陽光を浴び、虫たちが密かに歌の稽古を始める六月。
ノックスとルーナは、金色の麦畑に目を奪われていた。
「わぁ、すごーい」
ルーナが目を丸くするのも当然だ。
麦は一目で分かるほど色つやが良く、遠目には、金糸の絨毯のようにも見えるだろう。
風が吹けば、麦の香りが肺いっぱいに広がった。
実り豊かな穂先は大きく膨らみ、重そうだ。にもかかわらず、背の高い茎は真っ直ぐ、力強く伸び、穂先を垂れ下げることなく支えている。
その立派な姿には、クールなノックスでさえ、感嘆の声を漏らしてしまう。
「ほお、これは見事な麦畑だな。前の村は寂れていたのに、えらい違いだ」
土質が違うのか、と、ノックスはあぜ道の端でしゃがみ、畑の土に触れてみる。
「ん? 師匠、どうもこれ、下級神の加護が働いているみたいだよ」
ノックスが顔を上げると、ルーナの瞳の中には魔法陣が奔っている。
どうやら、彼女自慢の妖精眼――対象の霊的性質を見極める眼――を使ったようだ。
「なるほど、どうりでな。しかし豊作の加護か……」
少し、興味を惹かれた。
この村に用はなく、実入りのいい仕事の依頼がなければ、昼食だけ食べて、素通りする予定だった。
けれど、これほどの豊作を可能にする加護なら、何か大きな力が働いていそうだ。
大きな力には、大きなトラブルがつきものだ。
「ルーナ、村へ行こう」
「うん」
素直に頷くルーナを従えて、ノックスは足を進めた。
◆
村の中は、農村にしては立派な家が点在し、中にはお屋敷のような住居まであった。
村の中央付近に至っては、地面に滑らかな石畳が敷かれて歩きやすく、荷馬車の速度もノッている。
加護のおかげか、豊作の村は豊かに見えた。
けれど、噴水が設えられた中央広場が何やら騒がしい。
噴水の横にできた人垣を覗き込んでみると、若い声が聞こえた。
「嫌だ! なんで俺が生贄にならないといけないんだよぉ!」
ちょいとすまんね、とノックスは人垣をかきわけて前へ行く。
すると、細身の青年が、数人の大人や青年たちと、口論になっていた。
「しょうがないだろ。お前の親父の村長が20年前に魔神様に約束しちまったんだから」
――何?
聞き捨てならないフレーズに、ノックスは胸の奥に静かな熱を覚えた。
「お前が生贄になってくれないと、この村は終わりなんだ。ですよね、村長?」
「そ、それは……すまん……」
中年男性が、情けない顔で頭を下げた。
「なんだよそれ! ふざけんなよ! なんで親父が勝手にした約束で俺が死ぬんだよ。親父が生贄になればいいじゃないか!」
癇癪を起こし激昂する息子に、父親は恐縮するばかりだった。
「本当にすまない……だが、魔神様は私の子供がいいと……」
「んだよ! 冗談じゃねぇぞ!」
「それはこっちのセリフだ」
やや荒っぽい声で登場したのは、目つきの悪い、偉そうな青年だった。
左右には、腰ぎんちゃくと思われる、意地悪そうな顔をした青年が二人、付き従っている。
彼が人垣の先頭から進み出てくると、細身の青年は威勢が削がれ、腰が引けた。
「イ、イムベース……」
「ピルス、お前って奴は本当に自分のことしか頭にないんだな」
細身の青年ピルスを責めるような口調で、目つきの悪い青年イムベースは詰め寄る。
「さっきから聞いてりゃ死にたくないだの、なんで俺が犠牲にならないといけないんだとか、ようはてめぇの身が一番可愛いだけじゃねぇか。お前には村の為に命を捨てようっていう気概がねぇのかよ」
そいつは暴論だろうとノックスは思ったが、口を挟むような立場でもないので、成り行きを見守った。
「お前みたいに自分さえよければ他人がどうなろうと構わないって奴が、村を駄目にするんだ!」
「そうだそうだ」
「保身に走ってんじゃねえぞ」
イムベースを援護するように、こしぎんちゃくたちも騒ぎ立てた。
ピルスは、ますます委縮してしまう。
それでも、きゅっと唇を引き結び、精いっぱい、胸を張ろうとする。
「じゃあ、そういうお前はどうなんだよ?」
「はっ、俺なら戦争になったら徴兵に応えるし、村に猛獣が迷い込んだら戦ってやるよ。生贄にだって、まぁ、魔神が俺がいいって言うなら、死にたくはないけど諦めるしかないよな。人一人と村人全員、どっちが大事かなんて考えるまでもねぇし」
「イムベースさんカッコイイ」
「さっすがー」
こしぎんちゃくたちの小物っぷりが痛々しくて、ノックスは鼻で溜息をついた。
その一方で、イムベースは快活に舌を回した。
「つうかお前、『俺のためにお前ら全員飢饉に苦しめ』なんてよく言えるよな。その神経がマジ信じらんねぇ」
そこまでは言っていない。
相手の主張を曲解プラス拡大解釈して悪者に仕立て上げる。
下衆の輩が良く使う手法だ。
――確か、藁人形戦法って言うんだったな。人の記憶は曖昧だから、言ってなくても言ったことにして話を進められると、周りの人間もそんな気がしてくる。相手の印象や評価を落とすには、効果的だ。
ただし、論理的な思考力を持つ相手には通じない。
ノックスも、見ていて気分が悪かった。
けれど、感情論で生きている大半の人間はほいほい騙されているに違いない。
「ねぇ、師匠」
脇腹を小突かれて、ルーナの存在を思い出した。
ひそひそ話をするように、口に手を添えながら、ルーナはチュッと唇を尖らせる。
「そろそろ、いいんじゃないの?」
「まぁ、そうだな」
気分を害したせいで失念していたが、これはビジネスチャンスだった。
「あー、話の途中悪いんだが」
一応、断りを入れながら、ノックスはルーナを連れて、前に進み出た。
そうして、ピルスとイムベースの間に、割って入った。
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