醸造所の峰岸さん

 圧搾機の蓋を開けて中を確認する。

 掃除は昨日のうちに終わっているから、ネジ山に欠けがないか、ハンドルの動きにガタがないかと、動く部分の確認が中心だ。

 ハンドルも手回しじゃなく魔力式に変えたいと工房長に話をしてはいるが、まだ色よい返事はもらえていない。順番だ、順番だと言って全然入れ替えてくれないから、まだ何年かはこの圧搾機を使うことになるだろう。


 何人もの足音がして職人達が作業場に入ってくる。

 全員が袋のような靴を履いているから足音が少し間抜けなことになっている。まあ、これからの作業を考えれば仕方がないことだ。


「ありゃ、今日は圧搾機の整備か?」

「ええ、手が空いてるうちに確認を。大丈夫ですよ。作業までに終わらせます」

「んならいいさ」


 職人の一人、峯岸さんと軽く話をする。

 峯岸さんの作業は後半で圧搾機を使うから気になったのだろう。

 話をしている間に他の職人が桶を用意し、運び込んできた袋の中身を桶に入れる。

 とたんに作業場はブドウの香りが漂う。

 房から身だけを取り外したブドウは皮のままでも十分に香る。それは房から外すだけで多少の果汁が漏れるからだろう。

 桶の半分ほどのブドウが入ると、峯岸さん達の仕事が始まる。


 足につけていた袋を外すと、峯岸さんの蹄が露わになる。

 二つに分かれた蹄は、人に土踏まずがあるように外側が出っ張って内側は凹んでいる。

 峯岸さんはそのまま桶の中に踏み込んで、ブドウを足で潰し始める。

 他の職人も同じ。

 サチュロスと呼ばれる半人半獣の種族は、下半身がヤギのように毛が生え蹄を持つ。

 今は、毛が生え始める足首からは細く絞った作業着で隠れているから、見えるのは蹄だけだ。手や顔は人と変わらず、それっぽい靴を履いてしまえば人でも通るだろう。

 峯岸さん達がブドウを踏みつぶしていくにつれて、ブドウの香りは強くなる。

 全身をブドウの香りに包まれながら圧搾機の整備をする。


「よーし、こんなもんだろ」


 声がして、峯岸さん達は桶から出てくる。

 蹄だけじゃなく、ズボンまでブドウで真っ赤だ。


「圧搾機は使えるかい?」


 峯岸さんの言葉に大丈夫だと答えて、圧搾機の蓋を開ける。

 潰されたブドウのうち、半分程が圧搾機の中へ。残りの半分は、何日も発酵させた後で圧搾することになっている。

 先に圧搾するか、後で圧搾するかで、ワインの色も味も変わる。後で圧搾するほうが色が濃く、香りも強い。どっちが良いかはお好み次第だ。

 桶のブドウを圧搾機に入れると、ブドウの香りが強くなる。もうこの臭いだけで酔いそうだ。まだ発酵していないのに。

 圧搾機の蓋を締めたら、下に樽を置いてハンドルを回す。長い棒を持って何人もでグルグルと回す。圧搾は力仕事だ、皆で力を込めて回す。こんな時は体の大きい自分のほうが役に立つ。サチュロスの体格は自分よりも随分と小さい。だからと言って力仕事が好きなわけではないが。魔力式に変えてもらえるまではずっと力仕事だ。


 圧搾が進むに従って、下の樽にはブドウのジュースが溜まっていく。

 これでもかというほどのブドウの香り。

 力仕事で呼吸が荒くても入ってくるのはブドウの香り。

 いい加減、ブドウの匂いで気分が悪くなったころに、やっと圧搾が終わる。もうこれ以上絞れないところまでハンドルを回したら、今度は逆方向だ。こっちは軽く回る。

 ハンドルを元の位置まで回し直し、蓋を開ければ圧搾されたあとの抜け殻のようなブドウが見える。

 ブドウの搾りかすは、基本的には捨てる。ただ、ブドウはブドウなので食べられないこともない。パサパサしてて美味しいとは思わないが、この醸造所の職人なら好きに持って帰っても良いことになってる。

 峯岸さんは役得だ役得だと毎日のように持って帰っている。

 ブドウジュースが入った樽を発酵用の部屋に入れ、使い終わった桶や圧搾機を洗ってと、後片付けをしたら今日の仕事はおしまいだ。


「よっしゃ終わりだ。飲みにいこうぜ」


 ブドウの搾りかすを手に峯岸さんが声を掛けて回る。


「吉田もどうだ」

「いや、自分はちょっと」

「そうかい」


 峯岸さんは仕事が終わると毎日飲みに行っている。

 近所の酒場で、ブドウの搾りかすをつまみにワインを一杯。それが楽しみだという。

 あれだけ強いブドウの匂いの中で仕事をしているのに、仕事終わりにまだブドウというのは自分には無理だ。いつも断ることになる。


「んじゃあな、おつかれっ」


 元気に職場を出ていく峯岸さんは、匂いが気になったりはしないんだろうか。

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