フレア ③

 私が魔界へ連れて来た人間・・・ノアは兎に角従順な男だった。

初めて我が家に入ってきた時ノアは尋ねた。


「ねえ、僕はここで何をすればいいの?」


「そうね・・・。特に別になにもしなくていいわよ。」

本当に思い付きで連れて来てしまったので、ノアに何かをさせようとか仕事を与えようとかは一切考えていなかったのだ。


「ねえ、家事はどうしてるの?例えば食事の準備とか、掃除、洗濯・・・。」


「は?何、それ?」

ノアがあまりにも突拍子も無い事を聞いて来たので私は座っていた椅子から思わず立ち上がってしまった。


「もしかして・・・人間界では家事は自分たちの手でやってるわけ?」


「え?違うのかい?最も僕は・・家事なんか一切やったことが無いけどね。」


ノアは肩をすくめて言った。


「あら、そうなのね。まあ、私もやった事が無いけど・・・そんなのは全て魔法で済ませてるわよ。」

言いながら私はパチンと指を鳴らし、テーブルの上に2人分の料理を用意した。

パンにスープ、サラダにメイン料理の肉料理・・それらが一瞬で目の前に現れたのを見てノアは目を見開いた。


「す、すごい・・・。魔族達はこんな魔法まで使えるのか・・・。」


「あら、貴方達だって魔法を使えるんでしょう?こういう魔法は使わないの?」

私は食卓の椅子につき、ノアを手招きした。


「まあ、食べて見なさいよ。人間の口に合うかどうかは分からないけど。」


言いながら私はフォークとナイフで肉をカットし、口に運ぶ。うん、今日の料理も美味しいわ。

一方のノアは着席したものの、テーブルの上の料理を凝視したまま、手を付けようとしない。

「あら、貴方・・・食べない気なの?」

私は少し不機嫌な声で言うと、ノアは慌てて言った。


「食べる、食べるよ。」

言いながら、ノアも食事を始めた。・・・流石、貴族の男。完璧なテーブルマナーである。ヴォルフとは大違いだ。

おまけにこの中世的な美しい容姿・・・ずっと絵にして飾っておきたい位だ。


「どう?ノア。魔界の食事は・・・人間の口にも合うかしら?」


ワインを飲みながらノアに尋ねてみた。


「うん。とても美味しいよ。それにしても驚いたな。こんなに美味しい料理を魔法で出す事が出来るなんて・・・。やっぱり魔族の魔力は人間に比べて、とても強い魔力を持ってるんだなって改めて思ったよ。」


ノアは笑みを浮かべた。笑顔になるとその美しさは一段と際立って見えた。

そこで私はマシューを追って『ワールズ・エンド』へ行った時に出会った人間達の顔を思い浮かべた。

・・・確かにあの場にいた男達は誰もが皆整った顔をしていた。私に花を渡してくれと懇願していた男・・・左頬に大きな傷跡があったが、あの男も精悍な顔つきをしていたし、もう1人いた青年・・・彼もまた美しく整った顔立ちをしていた。

マシューだって美形だとは思うが・・・成程、彼等のように美しい青年ばかり見ていれば、自分に自信を無くしてしまうのかもしれない。

それにしても・・・あんなに美形揃いの男性達から思いを寄せられ、マシューの心を虜にしてしまったジェシカという女は一体どんな女なのだろうか?


「ねえ、ノア。」


私は食事の手を止めると声をかけた。


「何?」


「貴方達が貴重な魔界の花を盗んで迄・・・助けたい女性って・・・ひょっとするとジェシカ・リッジウェイじゃ無いの?」


「え?!な、何故彼女の名前を知ってるの?!」


ノアは驚いた様に顔を上げた。


「それは知ってるわよ。何せ、マシューがとても恋い慕っている女性だからね。」


マシューには口止めされていたが・・・バレる事は無いだろう。だってもうノアはこの先ずっと、この魔界から出る事は無いのだから。


「え?マシューって・・・?確か・・・?」


「そう、貴方達の代わりに私から大切な花を奪った張本人よ。・・・私と彼は・・・お互寂しい者同士気が合って友人同士だったのよ。だけど・・マシューはあの花を盗んだ・・。余程あの女を助けたかったのね。」


私はワイングラスをゆっくり回しながらつまらなそうに言った。


「・・・助かるんだよね?」


「え?」


「彼女は・・・ジェシカは間違いなく・・・助かるんだよね?」


ノアが縋りつくような目で私をじっと見つめながら尋ねて来た。


「初めてね・・・。私にあの女が無事だったかどうか尋ねて来るなんて。てっきり、もう興味が無いかと思っていたわ。」


「それは・・・違うよ。本当はずっとずっと尋ねたかった。本当にあの花でジェシカが助かったかどうか・・・。でも僕にはもう彼女の生存を確認する事は出来ないから・・・。諦めていただけだよ。」


「ノア・・・。そんなにあの女が大事なの?」


私は少しイライラした口調で尋ねた。


「え・・?どうしてそんな事・・・聞くの?」


「いいから答えなさい!今日から貴方の主は私なのよ!」


「わ・・・分かったよ・・・。」


ノアは溜息をついて視線を外した。・・・しくじった。ついジェシカの事でヒステリックな声を上げてしまった。


「ジェシカは・・・僕にとっては本当に特別な存在なんだ。彼女がいなければ・・・きっと僕はこの世にもう存在していなかったかもしれない。」


ノアはどこか遠い目で言った。


「え・・?一体それはどういう意味なのかしら?」


そう言えばノアは何処かやさぐれた雰囲気を身に纏っているように感じていた。その事と今から話す事はきっと何か関連があるのだろう。


「僕はね・・・13歳の時から両親の命令で・・男娼をさせられていたんだよ。」


顔色一つ変えずにノアの口から出てきた言葉はあまりにも衝撃的だった。

「え・・?男娼・・・?ほ、本当に・・・?」


「うん、こんな話嘘をついてもしょうがないからね。そして初めて両親から『客』を取らされた夜・・・。僕は痛みと恐怖で・・ずっと泣いていたんだ。その時に・・僕の前に現れたのがジェシカだったんだよ。しかもその姿のジェシカはいつも学院で会う彼女の姿と寸分違わなかったんだ。8年も昔の話だったのに・・。」


「ま、まさか・・本当の話なの?」

到底信じられるはずが無かった。私達魔族は時を止める事が出来るが、自由に時を超える魔法は存在していないからだ。


「・・・でも本当にジェシカが側に立っていたんだ。そして僕を抱きしめて、僕の為に泣いてくれて・・・。だから、あの時に僕の心は救われたんだ。・・最もそれから8年後、ジェシカに再会して、当時の夢を見るまではすっかり忘れていたんだけどね・・。」


いつしか頬を染めてうっとりとした目つきでジェシカの話をするノアを見ていると再び苛立ちが募って来た。


「ねえ。ノア。貴方・・・人間界で男娼をしていたのでしょう?だったら・・貴方のこれからの相手は、この私よ。いいわね?」


するとノアは驚いた様に顔を上げて私を見るが・・やがて下を向くと言った。


「いいよ・・・。分かった。」


そんな様子のノアを見て、私は思った。

そうよ、この男の心はジェシカのもの・・・・。なら心は無理でも、せめて身体くらいは手に入れなければ・・・!


こうして、私達は身体の関係を持つことになった―。

ノアと身体の関係を結んで、私は一つの事実に気が付いた。

彼の身体は・・・私達魔族と違い、なんて温かいのだろうか・・?

ずっとこの温もりに包まれていたい感覚に陥り、私は情事の後もいつまでもノアの身体にしがみついていた。・・・離れがたかったのだ。

 けれど、一方のノアの方は・・・・時々自分の身体をこすったり、手に息を吐きかけているのが気になる。ひょっとすると・・・。


「ねえ、ノア。ひょっとすると・・・寒いの?」


「え?!君は・・・平気なの?」

ノアはびっくりしたかのように私を見る。


「別に寒く無いけど・・・と言うか、温かいくらいよ?」


私が言うと、ノアは何故か酷くショックを受けたかのように愕然とした表情で呟いている。

「あ・・温かい・・・?」


「ノア・・・ひょっとして・・・貴方風邪でも引いてるの?」


私はノアを見上げながら尋ねた。


「風邪?そんなのひいてないけど?」


「だ、だって貴方の身体・・・すごく温かいのに、寒いなんて言うから・・・。」


「大丈夫だよ、温かい『ワールズ・エンド』から突然ここへやって来たからまだ身体が慣れていないだけだよ。」

ノアはそう言って曖昧に笑い・・・私もその言葉を信じた。



 愚かな私はヴォルフに教えて貰うまでは知らなかったのだ。

魔族の体温と人間の体温は全く異なるという事を・・・。

それを知っていれば、私はノアにあんな真似をさせる事は無かったのに・・・。


私は後にその事を激しく後悔するのだった—。








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