第3章 2 恋人じゃないから
「ジェシカッ!!」
え?その声は・・・。
私は驚いて顔を上げると、そこには懐かしい人・・・ノア先輩が立っていた。
「ノ、ノア先輩?!」
私は慌てて鉄格子に駆け寄った。
「ジェシカ・・・。」
金色に輝く巻き毛、緑色の瞳・・・間違いない、とても懐かしい人・・・ノア先輩本人だった。
「ジェシカ・・・・僕の為に本当に魔界に来てしまったんだね・・・?」
ノア先輩の手が鉄格子の向こう側から伸びてきて、私の頬に触れた。
冷たい・・・。先輩の手はまるで死人のように冷え切っていた。余りの冷たさに身を縮こませると、ノア先輩は慌てたように頬から手を離して鉄格子から引っ込めた。
「ごめんね・・・・。僕の手・・・冷たかっただろう・・?もう、すっかり身体がこの魔界に馴染んで来ている様なんだ・・・・。この魔界で寒さを殆ど感じなくなってきたんだよ?・・・きっともうすぐ僕は・・完全な魔族になってしまうんだろうね。」
自嘲気味に笑うノア先輩。
ヴォルフは私達の会話を邪魔してはいけないと気を遣っているのか、先程から牢屋の奥に移動し、移動腕組をしたまま黙ってこちらを見つめている。
「ノア先輩・・・・。先輩は今フレアという女性の魔族の方の家で暮しているんですよね?その女性に聞いたのですが・・・もう私の事を忘れてしまっていると聞かされていたのですが・・・・本当は覚えていたんですね。・・演技でもしていたのですか?」
私は何故ノア先輩が私の事を覚えているのか不思議に思ったので尋ねてみた。
「うん、その事なんだけどね・・・・。不思議な事に本当に・・ほら、あそこに立っている彼・・ヴォルフだっけ?彼にここに連れて来られるまではジェシカの事はすっかり忘れていたんだよ。でも君の声を聞いた途端、突然記憶が戻ったんだよ。
ジェシカ・・・君の事をね・・・。」
ノア先輩が愛おしそうに私を見つめている。
「ノア先輩・・・。」
すると不意に今迄黙って私達の会話を聞いていたヴォルフが間に入って来た。
何故か私とノア先輩の前に立ちふさがると言った。
「おい、お前・・・・。これからどうするつもりなんだ?ジェシカから聞いたが・・・フレアにプロポーズしたらしいな?・・・本気でフレアと結婚するつもり・・・なのか?」
「ヴォ、ヴォルフ・・・。」
折角再会したばかりだと言うのに、何故ヴォルフはいきなり答えにくい質問をしてくるのだろう?
「そ、それは・・・。」
ノア先輩が言い淀む。
「どうなんだ?お前は・・・フレアを選ぶのか?それともジェシカを選ぶのか?」
「ぼ、僕は・・・。」
ノア先輩は苦し気に顔を歪めた。
「確かに、僕は・・・フレアにプロポーズをした・・・。彼女には色々お世話になったし、この魔界で生きていけるのも全てフレアのお陰だから・・・。それに、あの当時は僕の記憶は曖昧になっていて・・・。」
「ノア先輩・・・フレアさんの事が・・・好きなんですか?」
私はノア先輩の目を真っすぐ見つめると尋ねた。そう・・・もしノア先輩がはっきりフレアさんの事が好きだと答えるのであれば、私はノア先輩を諦めて1人で人間界へ戻って、罰を受けようと思っていた。
「!た、確かに僕は・・・フレアの事を好きだと思い・・結婚を申し込んだけれども・・・だけど・・・ジェシカ・・・。僕は・・・ジェシカの側にいたいと思う気持ちもあるんだ・・。」
「え?ノア先輩・・・・?」
私が言いかけた時、突然ヴォルフが吠えた。
「貴様・・・!ふざけるな!フレアに結婚を申し込んだくせに、その言いぐさは何だ?!お前は・・・フレアの気持ちを弄んでいたのか?!そんないい加減な気持ちしか持てない人間にジェシカを渡す訳にはいかんぞ!」
「ヴォ、ヴォルフ?!」
するとヴォルフは私を見ると言った。
「見ろ、ジェシカ。あの男はとんでもなくいい加減な男だという事が分かっただろう?・・・悪い事は言わない。ジェシカ、もうあの男の事は忘れろ。そしてアイツをここに残して人間界へ戻れ。」
「・・・・。」
ノア先輩は青ざめた顔で俯いている。
「ちょ、ちょっと待って!私達の一存でノア先輩を魔界に残すなんて事決めていいはず無いでしょう?!一番肝心なのはノア先輩の気持ちよ。先輩が自分でどうしたいのか決めないと・・・。」
私は慌ててヴォルフに言った。
「ジェシカ・・・お前は・・。」
ヴォルフが苦し気に顔を歪めて私を見た。
「ジェシカ、お前は・・お前の気持ちはどうなんだ?この男を人間界へ連れ戻す為に、この魔界までやってきたんだろう?このままノアが魔界に残って・・・フレアと結婚してもいいのか?ノアは・・・お前の恋人なんだろう?!」
え?恋人・・・?ノア先輩が・・・?一体ヴォルフは何を言っているのだろう。
確かに私はノア先輩を大切に思っている。夢の世界で結ばれた時は・・・ノア先輩は私を愛していると言ってくれた。だけど、私は・・・あの時先輩の気持ちに答える事が出来なかった。それは私は本物のジェシカでは無いから。そしていずれは流刑島へ送られてしまう身だから・・・。それらを言い訳に・・・私に好意を寄せてくれていた人達の気持ちに答える事が出来なかった。今だって・・・。そう・・。
私が答えに詰まっていると、ヴォルフが言った。
「どうしたんだ?ジェシカ、何故答えないんだ?ノアは恋人じゃ・・・無いのか?」
「僕は・・・ジェシカの恋人じゃ無いよ。僕が一方的にジェシカに好意を寄せていただけなんだ。」
代わりに答えたのはノア先輩だった。
「ノア先輩・・・!」
私はノア先輩を見た。
「だから・・・ジェシカ。折角ここ、魔界まで僕を迎えに来てくれたのに・・・ごめんね。僕は・・もう人間界には戻らないよ。どうせ・・・皆僕の存在を忘れているんだろう?」
「そ、それは・・・。」
私が思わず答えに窮すると、ノア先輩は肩をすくめて言った。
「いいんだよ、ジェシカ。僕からフレアに言うよ。今日ジェシカに会って・・・僕はもう人間界へ戻るつもりは無いから、君を解放してあげてって。・・・ジェシカ。いつまでもここにいたら君だって魔族になってしまうよ・・?」
「ノア先輩!ひょっとして・・・もう・・魔族になって・・・しまったんですか・・?」
私はノア先輩の顔を見つめ・・・涙が溢れて来た。
「・・・。」
ノア先輩は俯いたまま何も答えてくれない。
「大丈夫だ・・・ジェシカ。まだこの男は完全な魔族にはなっていない。」
ヴォルフが私の肩に手を置くと言った。
「ほ、本当に・・・?」
「ああ、だが・・・もうあまり時間が無い。後10日もすれば完全に魔族になってしまうだろうな・・。」
ヴォルフはノア先輩を見ながら言う。
「ふ~ん・・・。そうか、やっと僕は念願の魔族になれるのか。ここまで・・・長かったな・・・。」
ノア先輩はどこか遠い目つきで言う。
「ほ、本気で言ってるんですか?ノア先輩!私・・・私は夢の中でノア先輩と交わした話を覚えていますよ?魔界はとても寒くて寒くておかしくなりそうな場所だって。そ、それに・・・この世界では青い空も美しい星空も見る事が出来ない世界なんですよ?それでも・・・いいんですか?もう人間界へ戻れなくても・・?」
いつの間にか私はボロボロ泣いてノア先輩に訴えていた。そんな・・・マシューを犠牲にしてしまっただけじゃなく、私はノア先輩を助ける事も出来ないのだろうか?
「ジェシカ・・・泣くな。頼むから・・・泣かないでくれ・・・。」
言うとヴォルフは鉄格子越しに私を抱きしめて来た。
「ヴォ、ヴォルフ・・・。」
「おい!ジェシカに何をする?!」
初めてノア先輩の声に焦りを感じた。
「煩い、お前達は恋人同士じゃ無いんだろう?だったら俺も遠慮する必要は無い。」
ヴォルフは私を見つめると言った。
「ジェシカ、あの男は諦めろ。あいつはお前じゃ無く、フレアを選んだんだ。代わりに・・・俺が人間界へジェシカと一緒に戻るよ。俺の特殊能力を今・・・見せてやる。」
ヴォルフは言うと、私から離れた。
「特殊能力・・・?」
私は首を傾げた。
ノア先輩も不思議そうにヴォルフを見ている。
やがて・・・ヴォルフの身体が揺らめき、徐々に影が薄れてゆく。
「ヴォ、ヴォルフ?!」
私は慌てて名を呼ぶ。すると、徐々に薄れていた影が濃くなってゆき・・・。
「え・・・?」
私は息を飲んだ。
そこに立っていたのはもう一人のノア先輩だったのだ—。
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