マシュー・クラウド ⑥
今夜は楽しい気分だったのでサロンへ足を運んだ。
俺は元々サロンに足を運ぶことは殆ど無い。別にお酒が苦手と言う訳では無く、むしろ好きな方である。
けれど・・・入学したての頃にある事件が起こり、サロンに足を運ぶのをやめてしまっていた。
その日は運が悪かった。
たまたまサロンにお酒を飲みに店内へ入った時に同じクラスの男子学生達が集団で飲みに来ていたのだ。彼等はもう既に大分出来上がっていたようで、俺を見ると絡んできた。人間と魔族のハーフがこんな所に出入りするなと言われ、一方的に店内でいきなり殴られたのだ。本来なら彼等を集団で相手にしても片手で足りるくらい造作ない相手ではあったが、一応俺はこの学院の聖剣士。
争い事はご法度だった。何より俺自身が暴力沙汰は好きでは無かったのだ。
それに店にも迷惑を掛けたく無かったので、俺は無抵抗で彼等に殴られるがままになっていた。するとさすがにこれを見兼ねたバーテンが止めに入って来たという訳だ。
バーテンから学院側に訴えがあり、騒ぎを起こした彼等はサロンに半年は出入り禁止を命じられた。・・・これがよく無かったのだろう。逆恨みした彼等はその後、休暇でセント・レイズシティに俺が足を運んだ時に、いきなり路地裏から襲撃してきたのだから。そして怪我をして道端にうずくまっている所を教会のシスターが見つけて俺を手当てしてくれた。・・・その教会は孤児院を経営していて、親のいない子供達が元気に暮らしていた。俺が半分魔族でも恐れない子供達。それがきっかけで俺は休暇の度に教会へ遊びに行くようになっていったんだっけな・・・。
度数の強めのアルコールをテーブル席で飲みながら過去の出来事を回想していると、カランとドアが開き、新しい客が入って来た。
ふ~ん・・・。明日から新学期なのに俺と同様にお酒を飲みに来る学生がいるのか。
何気なく視線を送り、俺は心臓が止まりそうになった。
なんと、店に入って来たのはジェシカ・リッジウェイだったのだから。
まさか、こんな場所で彼女に会えるとは思いもしなかった。しかも女性でありながら、たった1人でサロンへお酒を飲みに来ると言う事は、そうとうお酒が好きなのかもしれない。
彼女は俺に気が付く事も無く、俺から距離を離したカウンター席に座るとカクテルを1杯注文したようだった。
程なくして、彼女の前に置かれたグラス。それを手に取り、一口飲んでうっとりした表情を浮かべるジェシカを見て俺は胸が高鳴った。まさか・・・こんな意外な一面を見る事が出来るとは思わなかった・・・!
一向に俺に気が付かない彼女。
だから俺も気付かないフリをしてお酒を飲み続けた・・・が、彼女に気を取られて、随分ハイスピードでお酒を飲んでいたようだった。気付けばボトルの中のお酒は半分空になっていた
いつになったら彼女は俺の存在に気付いてくれるのだろう・・・。密かに期待しながらお酒を飲み続けていると、やがて強い視線を感じ始めた。
ジェシカだ・・・!ようやく俺の存在に気付いてくれた・・・!
しかし、一向に彼女からは声がかかってこない。ならばこちらから声を掛けるしか無いだろう。
「どうしたんだい?ミス・ジェシカ。俺に何か話でもあるのか?」
俺はわざと彼女の方を見ないで話しかけた。
「え?き、気が付いて・・・?!」
明らかに狼狽したような彼女。
「当たり前だろう?この店に入ってからすぐに気が付いたさ。俺からそっちへ行こうか?」
俺は笑みを浮かべてジェシカを見る。内心平静を保っているが、俺の心臓は口から飛び出しそうだった。どうしよう、拒絶されたら—。
しかし、彼女は頷いてくれた。やった!一緒にお酒を飲むことが出来る!
自分のボトルとグラスを持ってジェシカの隣に俺は移動し、隣の席に座った。
こうして俺とジェシカのひと時の楽しい時間が始まった・・・・。
ジェシカの傷の具合を聞き、話しやすい流れを作ってあげた。すると彼女は驚いた様に顔を上げた。そう、やはり彼女は俺に聞きたい事があったんだ。ノア・シンプソンと言う人物について・・・。
俺には謎だった。何故、ジェシカはノア先輩の事を覚えているのだろう・・・?
でもふとした瞬間に俺は気付いてしまった。それは彼女の中から溢れて来る強い魔界の香りが・・・。まさか・・・ジェシカはノア先輩と・・・?
情を交わす2人の姿が頭をよぎり、一瞬目の前が真っ暗になってしまった。
そうか。きっとノア先輩は何らかの手段を使って彼女の前に現れたんだ。そして2人は結ばれた・・それで彼女はノア先輩を完全に思い出す事が出来たのだろう。
けれど・・・思った以上に俺はすぐに立ち直れた。
彼女は優しい。きっとノア先輩に乞われたのだろう。だから・・・ジェシカは・・。
念のために俺は魔界の誰かにマーキングされたかについて尋ねると、ジェシカの肩が大きく跳ねる。ああ、やっぱりそうだったんだね。
そこから先、ジェシカはノア先輩の事を涙を浮かべて語った。
そんな彼女に俺はハンカチを黙って差し出す。
そしてジェシカはハンカチで目元を押さえながら、一気に話を始めた。まるで自分の思いの丈を吐き出すかのように—。
要約すると、ジェシカの話はこうだった。何としても自分はノア先輩を助けたいので、魔界へ行くつもりだと言う事。しかしある人物からこの世界には人間界と魔界の間に、もう一つ『狭間の世界』と呼ばれる世界が存在し、まずはそこに行くための鍵が欲しいと訴えて来た。
けれど、俺は狭間の世界なんて聞いたことが無いし、門だって一つしか存在しないはずだ。その事を話すと、一瞬ジェシカは落胆した表情を見せたが、すぐに立ち直り、とんでもない事を言って来たのだ。
鍵が無ければ作ればいいと—。
鍵を作る?ジェシカは本気でそんな事を言っているのだろうか?いや、そもそもある人物って一体誰の事なのだろう?俺としてはそちらの方が気になった。半分とは言え、魔族であるこの俺が知らない情報・・・。ひょっとすると母さんなら何か知ってるのだろうか?
でも・・・。
「うん、まだこの世界に錬金術師がいればの話だけどね?」
俺はかつては存在していたかもしれないと言われていた錬金術師の話をしてみた。
半分は冗談で言ったつもりだったのだけど、彼女は本気でそれを捕えていたようだ。
・・・何か考えがあるのだろうか?
腕時計を見ると、もう間もなく門限が近づいていた。
ジェシカとの会話が楽しくて、こんな時間になっているとは思いもしなかった。
俺は彼女に門限を告げ、立ち上がると彼女も慌てて立ちあがる。
2人で並んで寮への道を歩きながら、ダメもとで彼女に声をかけた。
「ミス・ジェシカ、今夜は色々話が出来て楽しかったよ。また会って話せるかな?君の話は興味深いよ。」
これだけの台詞を言うのに、内心ドキドキしている。
「わ、私の方こそ是非!」
彼女の返事を聞いて俺は小躍りしたい気持ちを押さえて言う。
「それじゃ約束だ。」
言いながら・・・さり気なく右手を差し出す。果たして俺の握手に応じてくれるのだろうか?しかし、その心配は無用だった。
彼女は迷うことなく握手をしてきてくれたのだ。柔らかくて小さな手を俺はしっかり握りしめる。
これが俺が初めて彼女と触れ合った記念するべき日となった。
月明かりの下でほほ笑むジェシカ・・・。
とても綺麗だった。
今は俺の為だけにほほ笑んでくれている。
この学院に入って良かったと初めて俺は思えた瞬間だった―。
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