第7章 3 僕の女神

 私は今、ノア・シンプソンと二人きりで向かい合って椅子に座っている。

一体彼は何をしに私の元へやってきたのだろうか・・・。ノア先輩は黙ったまま私の顔をじっと見つめているだけで一向に口を開こうとしない。仕方が無い・・・。

「ノア先輩、本日の授業はどうされたのですか?午前中の講義は無いのですか?」


 突然の私の質問にノア先輩は一瞬驚いたように目を丸くすると、ククッと笑いを堪えながら言った。

「学院の授業・・・そんなの僕が出るはず無いでしょう?あんな退屈なもの。」


「入学した頃からずっと、そんな調子だったのですか?」

私は真面目に聞いてるんですけど・・・


「うん、そうだよ。僕はね、授業をまともに受けていなくても便宜を図ってくれる後ろ盾があるんだ・・・。出席日数はそれでカバーしてもらえているよ。でも試験だけはきちんと受けているけどね。こう見えて僕は記憶力がいいからね。」


 成程・・・やはりノア先輩は頭が切れる男のようだ。でも、何だか勿体ない。こんな怠惰な生活を送らないで、真面目に講義に出席して勉強すれば、彼の道はもっと開けるのではないだろうか?


「ねえ・・・本当は僕は君とこんな話をする為にここへ来たわけじゃ無いんだ。時間だって30分しかないから、一分一秒だって無駄にしたくない。」


意味深な事を言うノア先輩。ついに本題に入るつもりだ・・・。


「君達は・・・どうして謹慎部屋になんか入れられたの?本当にあのナターシャが言った通りなの?僕の耳にも噂が届いているよ?」


珍しく真剣な眼差しで私を見つめるノア先輩。


「私達は決してノア先輩の耳に入っているような行為はナターシャ様に行なっておりません。必ず私達は自分達に向けられた疑いを晴らすつもりです。」

私はノア先輩の目を反らそずにじっと見つめると言った。


「ふ〜ん・・・やっぱりあんな話は全くのでたらめだったんだね。」


椅子に寄りかかって言うノア先輩。まさか、たったあれだけの話で私の事を信じるのか・・・?

「あ、あの・・・信じるのですか?今の私の話しを・・?」


ノア先輩はフッと笑うと、今迄に見せた事の無い表情で私を見ると言った。


「信じるよ。僕は君の言う事ならどんな事だってね・・・。例えば君が明日世界が滅びると言っても信じるし、月が落ちてくると言っても信じるよ。」


いやいや、流石の私も月が落ちてくる等と言う事は絶対に言う事は無い。でも何故彼はそこまでいい切るのだろうか?

「どうしてノア先輩は私を信じると言い切れるのですか?私は、あれ程貴方の事を怖がっていたのに・・・?」


「それじゃ、君は僕の事をあんなに怖がっていたのに、どうして部屋に入れてくれたの?」


「それは・・・。」

思わず言葉に詰まる。まさかあんな夢を見たからだなんて言っても信じてくれないだろう。先程ノア先輩は私の話ならどんな事でも信じると言っていたけれど、あれは恐らく私の罪悪感が見せた夢だ。


「昨夜、久しぶりに夢を見たんだ。」


おもむろに先輩が語りだした。


「昔の出来事だよ・・・。僕が初めて女性を相手にさせられた時のね。あの日の事は今でも・・・忘れたくても忘れられない。」


ノア先輩の瞳に悲しみの影が宿る。


「あの夜・・・あまりにも僕が言う事を聞かないから、無理矢理父親に手足を縛られ、見動きが取れないようにされて・・・殆ど無理矢理の行為だった。

僕が恐怖で、泣き叫んでも、隣の部屋にいるはずの両親に助けを求めても・・・誰一人として僕を助けてくれる人なんていなかった・・・!」


 血を吐くように苦し気に言う先輩。

私は黙ってノア先輩の話を聞いていた。話の内容の凄まじさで一言も話す事が出来なかったのだ。


「・・・全ての行為が終わった後・・・夫人はトランクケースに入った大量の紙幣を置いて、満足げに部屋を去って行ったよ・・・。隣の部屋で両親と談笑する声が聞こえてきたっけね。僕の父親の声がはっきり聞こえたよ。『またよろしくお願いします』って言ったのを。ねえ?笑っちゃうだろう?またよろしくお願いしますって言うなんて・・。」


ノア先輩は顔を上げて私を見た。その表情は今にも泣きだしてしまいそうだった。


「夫人も両親も居なくなった後・・・僕は取り残されたベッドにうずくまって泣いていたら・・・見知らぬ若い女性が立っていたんだ。波打つ長い栗毛色に紫の瞳の彼女は月明かりに照らされて、まるで女神のように綺麗だった・・。彼女は泣いてる僕に近付くと、力強く僕を抱きしめて・・・絶対に僕を傷つけたりしないって、そして最後は何故か僕に泣いて謝って来たんだ。安心した僕はそのまま眠ってしまって・・目が覚めた時にはもう彼女はいなくなっていた。」


 嘘・・・?あれは夢では無かったの?もしかすると私は次元を超えて過去のノア先輩に会っていたというの・・・?私は信じられない思いで聞いていた。


「あの後も・・・ずっと両親に身体を売られてきて・・・もう惰性で女の人を相手にするようになっていたよ。あの夜に会った女神さまの顔も忘れる位にね。」


 ノア先輩は私から片時も目を離さずに語り続けている。私は自分の手が震えるのを必死で押さえながら話を聞いていた。


「だけど、昨夜久しぶりに昔の夢を見て、全て思い出したよ。ジェシカ、君があの日の夜、僕の前に現れてくれた女神だったんだね。」


ノア先輩は立ち上がると、私の前に跪き右手を取った。


「初めてジェシカを見た時から、どうしても君が欲しくて欲しくてたまらなかった。始めは君が今迄出会った女性の中で、ただ1人興味を持たなかった女性だからだと思っていたけど・・・。それは違った。ジェシカだから、あの時壊れそうだった僕の心を救ってくれた君だったから、こんなにも強く惹かれて、手に入れたくなったんだ。

だって君こそが僕のただ1人の女神だったのだから・・・!」


 いつの間にかノア先輩の瞳から涙が後から後から溢れんばかりに流れ落ちている。

そして涙が私の手に落ちるとノア先輩はそこに口付けし、私に言った。


「お願い、どうか僕を怖がらないで。もう二度と君の嫌がるような事は絶対にしないと誓うよ。だから・・・側にいさせて欲しいんだ。ジェシカの周りには大勢の男達がいるのも知っている。君だけのたった1人の男になれなくても構わない。どうか僕を否定しないで—。」


 まるで子供の様に泣きじゃくる先輩は私が会った13歳のままの少年の姿そのものだった。

だから・・・私はノア先輩の身体をそっと抱きしめた。ノア先輩は私に触れられ、身体がビクリと硬直するも、恐る恐る私の背中に手を回してきた。


「大丈夫・・・ノア先輩。先輩はもうあの時の13歳の子供じゃないです。もう両親の言う事なんてこれっぽっちも聞く必要なんかありません。だからこれからはもっと自分を大事にして下さい。自分の為に生きて下さい。私はこの先もずっと先輩の味方ですから・・・。」


 私の言葉を聞くと、ますますノア先輩は激しく嗚咽して泣きじゃくる。

ジェシカ、ジェシカ・・・と何度も私の名前を呼びながら、涙が枯れるまで泣き続けるのだった―。



 面会時間が終了し、部屋を出る頃には今迄の陰鬱とした表情が嘘のように明るい笑顔になっていたノア先輩の姿に、迎えに来た指導員の女性が驚いていたのは言うまでもない。


「ジェシカ、僕が必ず君たちの疑惑を晴らしてあげるからね。」


最期にノア先輩は意味深な台詞を残して帰って行った。ノア先輩、貴方は一体何をするつもりなのですか—? 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る