第五章  君が望む政権  令和十年十二月十二日(火) 高山圭介

令和十年十二月十二日(火) 北海道札幌市・北海道庁立南高


 睡眠不足の頭を抱えながら、私は一時間目の歴史学の出席を取っていた。昨晩は例の暴動のせいで、満足に睡眠をとれていない。

 学生時代ならアパートで眠りこけていても誰も文句は言わなかったろうが、社会人となった今ではもはや叶わぬ贅沢だ。

 出席簿をめくり、身分と名前を読み上げる。

「ソ連邦留学生、アンナ・アレクサンドロヴナ・ベリンスカヤ。北海道旧土人、蝦夷森マヤ」

 教室のあちこちから、返事が返ってくる。

「北海道士族、宮坂航也」

 おおむね事故無く登校しているようで、何よりだ。

「さて、諸君。今日は私の専門である日本政治外交史からは外れるが、箸休めで古代史を取り扱う。より正確に言えば、考古学の分野だな。北大からレプリカを借りられたので、各自で見るように。壊すんじゃないぞ」

 そう告げて、余市よいちの遺跡から出土した遺物――文字が刻まれた三日月形の石器のレプリカを生徒の間で回覧させる。

「いいか。我々の常識では、現代のアイヌ語に固有の文字はない。あえて表記する場合は、ラテン文字を借用して表記する。ところが遺跡のレベルになると、実は北海道にも内地とは全く違う文字があったことが分かっている。それが『北海道異体文字』と呼ばれる一連の出土品だ」

 その文様は、敢えて形容するならシャーロック・ホームズの『踊る人形』に最も近い。その向きから、横書きであったであろうことは容易に推定がつく。

「まあ、意味が分からんだろうな。実際、これはまだ解読されていない。しかし意味が分からない度合いは同じだとしても、まだアラビア語やらロシア語やらのほうに親しみを覚えんか? 実はそれは『単純接触効果』、またの名をザイアンスの法則と言ってだな、人間は認知回数が多いものに無意識で親しみを感じる生き物なんだ。『夜は短し歩けよ乙女』のナカメ作戦だってそうだし、『幼馴染もの』が創作のお約束なのにもちゃんと理由があるんだぞ」

 他学部聴講で経済学部と文学部の単位は取ったことがあるが、なかでも心理学は面白くその後の人生の役にも立っている。雑談のタネにもなるし、女子生徒には不思議と受けがいい。いわゆる『恋バナ』に通じるからだろうか。

「『夜は短し歩けよ乙女』には四条木屋町に一杯二百円のバーが出てくるのだが、恐ろしいことにあれは実在する。そして京大にはA地下と呼ばれる場所に、曜日ごとにマスターが変わるBLACK RIOTという無届け営業のバーがあってだな。そこも確か一杯二百円だった。儲けは出ていないとうそぶいていたが、イリーガルな匂いしかしない」

 明らかに保健所の営業許可取ってないし、税務署ともやりとりしてなかったしな、あそこ……。京都府警察部と正式に、無断進入禁止の協定を結んでいる治外法権、それが京都帝大である。だからA地下バーのようなものができるのだろう。

 と。雑談が脱線どころか迷走を始めたところで、教務係の呼び出しチャイムが鳴った。

「高山先生、高山先生。道庁よりご連絡です。円山近くの動物園では、タンチョウがヒグマの檻に入り、出られなくなっています。至急、対応をお願いします」

 ! ――今のフレーズは、あらかじめ決めておいた符丁だ。意味は、『共和同盟動く。状況を掌握せよ』。授業中などで私からの返信が速やかに行われない場合、電話という原始的な方法で緊急連絡を行う目的のものである。

「えー、すまんが聞いての通りだ。私はヒグマを素手で制圧する特別な資格を持っていてな、たまにお呼びがかかる。一時限目は自習だ、回していたものを返してくれ」

 私はレプリカを素早く回収すると教室を退出し、歴史学研究室へと足早に戻っていった。


         ▼


 榎本先生から私のメアドに送られてきた海外ドメインのリンクをクリックすると、驚くべき文字が私の目に飛び込んできた。


『Republic of Aynumosir declare independence.』


「なっ……! 独立宣言、だと……!?」

 アイヌモシリ共和国、独立を宣言す。

 記事によると、『アイヌモシリ共和同盟』からなる『アイヌモシリ共和国暫定政府』が、主要各国の大使館に独立宣言を通告したという。

 これは今後、『アイヌモシリ共和同盟』が『主権国家・アイヌモシリ共和国』として振る舞うという意味だ。

 英語圏だけじゃない。西側のあらゆる主要メディアが、このニュースを報じている。しかも、民族自決権に絡めた好意的な論調でだ。

 日本語のメディアは今日のところは黙殺を決め込んだようだが、遅かれ早かれこのことは周知の事実になる。金曜日に道会議員選挙を控えた状況下で、だ。

 つまり政治的には、金曜日の選挙が事実上の『住民投票』になる。そして『我々』にとっては、榎本先生がこの動きの手綱を握っているかが問題となる。

 私はスマホの画面をタップし、榎本先生にメッセージを送った。

『独立宣言の件、掌握しました。続報を待ちます。但し榎本先生が本件における主導権を失っての事態である場合、そのむね甘粕中尉宛てにもご連絡いただければ幸甚です』

 内務省の中で陰謀を企む分には勝手だが、陸軍にまで連絡漏れで飛び火してはかなわんからな。そこは念を押しておく。

 しばらく待つと、効果音が鳴ってスマホがメッセージを受信した。

『主導権は我にあり。明後日付けで道庁長官補佐官を命ずる。明日のうちに身辺整理を済ませられたい』

 身辺整理……ということは、遺書なども書いておけってことなんだろうな。

 軍の利益と内務省の利益、そして共和同盟の利益。今回の政変では、この三つが複雑に絡み合っている。そして共和同盟の利益と軍の利益を結び付けているのが、他ならぬ榎本先生だ。言うなれば、来たるべき『札幌事変』における扇の要だ。

 いま仮に榎本先生に何かあれば、共和同盟がこれから起こすであろう『独立戦争』が、大日本帝国の国益とは全く無関係なものとなる。それだけは避ける必要がある。

 ことここに至っては、否やもあるまい。私は『了解』と返信し、深いため息をついた。

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