第69話 荒ぶる神

 雲ひとつない夜空をあおぎ、吠える狼。その甲高い遠吠えは夜闇を貫き草木を揺らす。

 山のように巨大な体躯が湿地帯に影を落とす。旭達をすっぽりと覆い隠してしまう、巨大な影だ。

 縄張りを荒らす侵入者の存在を察知したのだろう。満月の光に照らされた白銀の毛並みが、一斉に逆立った。

「愚かナ……人間よ……」

 真っ白い眼球には、無数の赤い線が走る。光源のない空間でも、その輝きは色褪せない。

「神ノ名ヲ騙リ……のうのうト生キ永らえるか……」

 老狼がなにを言っているのか、旭には判断がつかなかった。

 だが、今にも襲ってきそうだというのはわかる。

「手伝え。まずは動きを止めるぞ」

 コウガは確かにそう言った。

「なにか策があるの?」

「後で話す」

 一時休戦の流れだが、仲良くするつもりはないようだ。多分、彼なりの矜持やプライドがあるのだろう。嘘を吐いている様子はないので、乗ってやる。

「ルディさん!」

「わかってる」

 それと、と彼女は付け足した。

「相手は神格だ。旭日の退魔力は通じない」

「わかりました!」

 退魔の力が通じなくとも、あれは掛け値なしに名刀だ。いくらでも使いようはある。

 喚び出されたヴィルデザイア。素早く乗り込むと、隣に巨人が並び立つ。牛のような角を持った――コウガのヒトヨロイだ。肩に刻まれたその名は『カウヘッド』、文字通りの牛頭。次から次へと、どれだけ隠し持っているのだろうか。

 老狼が吠えた。

 ヴィルデザイアと変わらない全高を持つ、四足歩行の獣。つまりその体躯はこちらの三倍近くある。

「メテオフラッシュ!」

 足場を崩し後退を誘発。狙い通りに飛び退いた老狼に、ヴィルデザイアは体当たりを仕掛けた。

 着地を狙ったタックル。しかし老狼はそれを受け止める。

「甘イわあ!!」

 凄まじい膂力だ。軽々と吹き飛ばされるヴィルデザイアに変わり、今度はカウヘッドが刀を抜く。居合斬りだ。

「効かぬ!!」

 体毛に弾かれ、白刃は宙を舞う。真ん中からポッキリと折れた刀を見て、コウガは驚愕した。

「そんな馬鹿な!?」

「使い方が悪いんだよ!!」

 旭もまた旭日を抜く。この刀はそうやすやすと折られないだろうが、あの屈強な肉体に有効打を与えるには工夫が必要だ。

 慌てるコウガを囮にし、相手の背後に回り込む。体毛の流れを分析。強いストレスで逆立ち気味の体毛は、旭にとって好都合だった。

「行くぞ!!」

 跳躍。老狼の大きな背中に飛び乗ったヴィルデザイアは、旭日を逆手に握る。直接触れたことでわかる、銀の毛皮の硬さ分厚さ。無闇矢鱈に切りつけては、刀の方が駄目になってしまう。

 だから、こうする。

 前から後ろに流れる背中の毛。旭は構えた。毛の流れの正反対から水平に刀を差し込む。濁流を遡上するかのように、みるみる吸い込まれていく刃。

「グぅぅぅううううウウウうう!!」

 絞り出される苦悶の声。老狼は激しく暴れ、その背からヴィルデザイアを引き剥がす。

「そう簡単には行かないか!」

 肉を裂く確かな手応えはあった。だがそれも、分厚い筋肉を貫くには至らなかったようだ。

「とりあえず動きを止めればいいんだよな!?」

「ああ!」

 コウガの作戦はわからない。とは言え、老狼の封印を解いたのは彼の父だ。根拠のある発言と見ても問題ないだろう。

「止めるだけなら――」

 倒す以外にもやりようはある。旭は巨体に急接近を仕掛けた。

 先の一撃を気にしてか、老狼は背後と乗りを警戒している。頭を使って戦うだけの理性はあるということだ。

 ぬかるんだ大地を踏みしめ、ヴィルデザイアは跳躍した。

 少しやってみてわかったが、コウガとは特別息が合うわけではない。勝相手と違って、連携するなら事前の打ち合わせが不可欠だ。

 老狼は後退した。頭上を警戒してのことだろう。それを追うカウヘッド。その間に旭は旭日を三段銃に構え直し、血の滲む背中に狙いを定める。

 弾丸を何発も叩き込んでやると、流石の老狼も痛みに悶た。頑強な体毛で弾いたところで、傷口付近を狙われれば痛みぐらい走る。

「喰らえ!!」

 カウヘッドの拳が長く伸びた顎を叩く。だが、あまり通じていないようだ。目を見開いた老狼が、報復とばかりに飛びかかる。

「なにすんだよ!!」

 四本脚に押し倒され、カウヘッドは身動きひとつ取れなくなった。だが、上空には旭が居る。

「背中がガラ空きだ!!」

 しかし。

「ふぅん!!」

 跳躍。着地を狙っていたヴィルデザイアは、そのまま体当たりを食らって地上に叩き落された。

「ヌルい、ヌルすぎるわ!!」

 羽のように軽い着地。軽やかな身のこなしは野生動物を思わせる。

「おい、動きを止めてなにをする気だ」

 ルディが訊ねると、コウガはぶっきらぼうに答えた。

「また封印し直すんだ。この刀で……」

「それはどう使うんだ」

「体か祠に突き刺すんだ。本体が一番効く」

「……祠でも効果はあるんだな」

 ルディが手を伸ばし叫ぶ。

「そいつをこっちによこせ! 祠に突き立ててくる!!」

「くっ……」

 コウガは渋った。以前彼女に父親――雷光を悪く言われたことを根に持っているのだろう。旭もアレがマトモな父親だとは到底思えないが、それでも彼には大事な家族なのだ。

「コウガ! 君の力が必要なんだ!」

 旭は賭けに出た。老狼の突進を受けとめながら、目一杯口を開いて叫ぶ。

「僕と……ルディさんを信じて欲しい! 僕達だけじゃ駄目なんだ! だからコウガ、僕らに力を貸してくれ!!」

「うぐ……」

「コウガ!!」

「……ああ、もう!」

 カウヘッドのハッチが開く。思いが通じたのだ。

「受け取れ!」

 放り投げられた刀をキャッチしたルディは、真彩と暁火を引き連れて祠へと走る。だが、老狼はそれを見逃さなかった。

「サセヌ!!」

 その巨大な影からなにかが生える。獣の顔を持った二足歩行の――人狼だ。ヴィルデザイアと同等の体躯を持ったそれは、鋭い牙を剥いてルディ達へと襲いかかった。

 そんなことはさせない。

「メテオフラッシュ!!」

「ヌァアアア」

 老狼の右目を焼き、下顎に膝の一撃。わずかにできた隙をかいくぐり人狼を羽交い締めにした。

「コウガ!!」

「任せろ!」

 抜き放たれた二本目の刀が、月明かりを照り返して人狼を切り裂く。――本体ほど馬鹿げた耐久力はないようだ。致命傷を負い、たたらを踏む人狼。旭は揺れる頭を両手でしっかりと掴み、思い切り首をへし折った。

「ルディさん急いで!!」

「待ってろ!」

 とにかく時間を稼げばいい。だが、そう簡単には行かないだろう。

「オロカ……オロカナ……!!」

 顔の半分を灼かれても、その眼光は少しも鋭さを失わない。

 老狼の影から、次から次へと這い出す人狼。数の利を奪われた以上、一秒たりとも気を抜けない。

 それぞれに刀を構えた二機のヒトヨロイは、無数の敵へと向かって駆け出した。

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