第61話 抑止力

 宿に戻るなり、旭は座布団に身を投げだした。

「あ~つっかれたぁ~」

「お疲れ様。おじいちゃんの話長かったねえ」

 隣に腰掛けた真彩もまた、ひどく疲れている様子だ。一時間昼寝したとは言え、数時間も運転していたのだから当然だろう。

 が、一番疲れているはずの彼女はこう言った。

「今回は旭くんの慰安旅行も兼ねてるから、ゆっくりしててよ」

「え、そうなんですか?」

 発案者であるルディに視線を向けると、彼女はふいと顔を逸らした。

「……お前にはいろいろと苦労をかけている。まあ、その埋め合わせだ」

 入り口はどうあれ、旭がやりたくてやっていることだ。別に気遣いはいらないのだが……そう言ってくれるなら、ありがたく休ませてもらおう。宿題も順調過ぎるぐらいだし。

「ところで、あの噂が気になりますね。狼の」

 旭の言葉に、ルディも頷く。

「そうだな。期間も、雷光がムカデを連れ出したタイミングとおおよそ一致している。なにか因果関係がありそうだ」

 すると、真彩がポンと手を打った。

「あ、アレじゃない? 大百足が狼を封印したって話」

「そうか。雷光がオオムカデを連れ出して、狼の封印が解けたとしたら……」

「遠吠えの原因に、なるかもしれないですね」

 三人で盛り上がっていると、蚊帳の外になっていた暁火がおずおずと手を挙げる。

「あ、あの……そういうの、本当にあるんですか……?」

 確かに、彼女が目にしたのは変態糞淫魔ぐらいだ。流れで巻き込んでしまったわけだが、信じられないのも致し方ない。

 とはいえ、おいそれと証拠を見せることもできず。

「……そのうちわかるよ」

 適当に言葉を濁しておく他なかった。

 閑話休題。

「あれ? そういう話になると、あのオオムカデって倒しちゃマズいんじゃないですか?」

 封印の要であるオオムカデが雷光の手により連れ出されてしまった結果、この地で老狼が力を解き放とうとしている。なら、オオムカデを倒すと二度と封印ができなくなってしまうのではないだろうか。

 が、ルディは苦い顔をした。

「……いや、すでに手遅れかもしれん」

 言いながら、卓上のカレンダーを指差す。

「狼と言えば満月だ。狼を祖とする魔獣は、満月の夜に最も活性化する。そして、次の満月は――」

 スマホを片手に、真彩が呟く。

「……十五日」

「ああ。三日後の夜に、あの狼は真の意味で解き放たれる」

 果たして、残りの期間で雷光を締め上げ、オオムカデをこの地に連れ戻すことができるだろうか。

 否、あまり現実的な話ではない。

 それが旭の見解であり、恐らく二人も同じことを考えているだろう。あるいは、ルディ辺りは無理だと断じているかもしれない。

 重苦しい空気が垂れ込める中、暁火が再び小さく手を挙げる。

「あ、あの……」

「どうしたの?」

 真彩が促すと、彼女は弱々しく語りだす。

「ムカデが駄目なら、狼の方を退治できないかなーと、思いまして……」

 その手があったか。

「なるほどな。それなら今ある手札でも可能かもしれない」

「確かに、ムカデよりはマシかも」

 二人も同じ意見らしい。指針が決まった。

「そうと決まればまずは情報収集だ。狼を中心に逸話を洗い出してくれ」

 ルディの指示で各々が動く。ゆっくりできるのはまだまだ先になりそうだ。



 山の幸に舌鼓を打った旭は、そのままの流れで大浴場へと向かっていた。

 敵情視察……というわけではない。能売川温泉街とはまた違うらしい泉質を、純粋に楽しみにしていたのだ。

 昼間あれだけ頑張ったのだから、風呂ぐらいゆっくり浸かってもいいだろう。

 いそいそと体を荒い、瀬織とは違う透き通ったお湯に足を入れる。浸かった感覚が違うような……違わないような。

 成分が薄めらしく、鼻をつくような臭いはない。水回りも劣化が少なく綺麗だ。成分が濃いとすぐに駄目になってしまうので、この辺りはトレードオフ。効能も、別に濃ければよく効くというわけでもない……らしい。

「……美肌の湯か」

 美肌……旭には縁遠い話だが、暁火が最近気にしていた気がする。別に彼女の肌が荒れているとは思えないのだが。

 ルディや真彩はどうだろうか?

 彼女達が旭に対して化粧などの "女" の部分の話を持ちかけてくることはない。モデルさんのように綺麗な二人も、世の女性陣と同じように肌ケアなどに気を遣っているのだろうか。

 そんな取るに足らないことを考えながら、肩までじっくり湯に浸かる。

 先日の夢のことを思い出してムラムラしてきた、その時だった。

 遠い遠いどこかから、しかしよく通る声で。

 アオーン、アオーンと。

 遠吠えが、聞こえてきたのだ。

 急いで風呂を上がった旭は、部屋に戻るなりルディと鉢合わせた。

「聞こえました?」

「ああ。見に行くぞ」

 浴衣の上に上着を羽織ったルディを、しかし真彩が呼び止める。

「待ってよ。猟師さんでも見つからなかったって言ってたじゃん。どこ探すの?」

 それは旭も考えた。しかし彼女が行くと言ったのだ。

「それについては問題ない。私に任せろ」

 当然策があるのだろうと、旭は最初から確信していた。しかし、それを信じきれないのが真彩の欠点であり、美点だ。

「……見つからなかったら、奢りね」

「見つかったらお前が奢れよ」

「わかった」

 彼女の存在が、ルディの独断専行を防いでいる。……ような気がする。

「あ、私も行きます」

 立ち上がった暁火を、ルディは横目で見やった。

「はぐれるなよ」

「はい!」

 それから姉は、旭に視線を向ける。一人では行かせない……そう言われた気がした。

 案外バランスの良いチームになったのではないか。

 そんなことを考えながら、旭はルディに連れられ夜の湿地に繰り出すのだった。

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