第56話 想

 式の夜。

 社長業務は、当面の間は先代である母方の祖父に引き継がれると聞きかじった。

 後継者問題は、いろいろと複雑化しているらしい。たとえば、業務上の二番手を務めていた色でも、血筋的には外様も外様。一族内での力関係を考えれば、こういったドサクサに紛れて社長に据えるのは体面が悪い。

 というのも、色個人と旭達上山家は家族同然の付き合いだからだ。家族同然、というところに問題があるらしい。家族であれば、あるいはただの優秀な赤の他人であれば、また結果は違ったのだという。

 大人の世界は面倒だなと、旭は思った。雄飛の長男である旭もまた、将来的には巻き込まれてしまうのだろうか。

 そんな中、気まぐれを起こして父の職場――事務所を歩いていると、なにやら忙しそうにしている色とすれ違った。

「ああ、旭。事務所になにか用かな?」

「いや、特には……」

「そうか」

 邪魔な旭を追い払おうともせず、すぐにまたあるき始めた色は――しかし、三歩目で急に立ち止まり振り返る。

「そうだ。君には、教えてあげよう」

 そう言って、彼は一枚の計画書を持ち出す。

「これは君のお父さんが倒れる直前まで進めていた仕事だ」

 その紙には、こう書かれていた。

 ――『能売川神社跡地再利用計画』

「これって、どういう……」

「実のところ、まだなにも決まっていない。ただ、あれだけ立派だった神社の跡地をただ野ざらしにしておくのも、体面が悪いだろうってことでね。なにかしようっていうことを、考えてたんだ」

 とどのつまり、この計画書に記されているのは計画の計画。計画書……というよりは、企画の立案書だろうか。

「……それ、僕に話していいの?」

 機密保持云々だとかがあった気がするのだが、いいのだろうか。旭の疑問に、色はこう答えた。

「だから、秘密だ」

 そんなものをなぜ旭に見せたのか。訊ねる前に、彼はこう言うのだ。

「君のお父さんが目指していたことを、知っておいて欲しかったんだ」

 旭が返した計画書を受け取り、瞑目する。

「あの人は、この街のことを本当に大切に思っていた。君や、この土地に暮らす全ての人々や、訪れてくれる観光客、全てを」

 父が文字通り粉骨砕身して業務に取り組んでいたのは、ただこの宿を存続させたいという理由だけではない。

「それを、覚えていてあげて欲しい」

 彼は、多分そう言っているのだ。



 その晩、旭は考えていた。神社の跡地になにを作ったら、観光客を呼び込めるのか。

 実際に関わるわけではないのだから、意味のないことなのかもしれない。だが、それでも考えた。

「……ルディさん」

「どうした」

 正式に帰省した暁火が自室に戻ったので、久々にルディと二人きりで布団を並べている。

「もし、封じられた神様を解放できたら……神社は再建できますか?」

「できる。……というより、そこに神格が戻れば人は勝手に崇め始める。不思議な力が起きて、勝手にやしろも建て直すはずだ」

「なるほど……」

 ルディの答えに、旭は想う。

 計画書の第一候補は、能売川神社の再建だった。元々そこにあったのだから、それが一番いいだろうという判断だ。

 もしもそれが、旭の手によって、結果的にとは言え実現できるのだとしたら。

 それは……父への手向けになるのではないか。

 戦う理由がまた増えた。

「急にそんなこと、どうした?」

「いえ、なんとなく」

 一応は外部の人間である彼女に、機密事項をベラベラと語って聞かせるわけにはいかない。旭は適当に誤魔化した。

「そうか」

 旭の動向に、ルディはそこまで興味を示さない。今も手を止めずにさっさと布団を敷き終え、枕の形を整えている。

「……」

 まあ、特に興味は持たれないだろうが。

 なんとなく、自分語りがしたくなった。

「目指すところが増えたんです。この戦いを通して、自分がなにをしたいのか……後からですけど、目的がどんどん湧いて出てきて……。最初は、なんてことない使命感だけだったと思うんですけど」

「……そうか」

「それで、今……モチベーションが高いって言うか」

 枕を整え終えたらしい。ルディは正座したまま旭の話に耳を傾けていた。

「お父さんが死んじゃったのは、凄く悲しいけど……悲しんでるだけじゃ駄目だとも思えて。ルディさんに会う前の僕だったら、お姉ちゃんと一緒に泣いてただけなんじゃないかって」

 世辞や洒落の言葉ではない、思うがままに放たれる言霊。

「だから、僕は……」

 少しばかり、気恥ずかしい気もするが。

「あなたに会えて、良かった」

 返事を期待していたわけではない。独り言でもいいから、今の気持ちを吐き出したいと思っていたのだ。もしそれが、誰かに聞いてもらえるなら……受けとめてもらえるなら、それほど嬉しいこともないが。

 期待はしない。

 どうせ彼女は興味を持たないだろうし。

 そう思っていたからか、彼女が口を開いた時は普通に驚いた。

「……私も」

「へっ?」

「……お前、変わったな」

「そうですか?」

 自覚はない。そこに興味はないのか、彼女は言葉を続ける。

「ああ。……こういうのを、男の顔になった……と言うんだろうか。……その、なんだ」

 何度も言葉を濁しながら、彼女は少しずつ俯いていく。その表情は、もはや窺い知ることもできない。……だが、その頬に、ほんのわずかに朱が差したように見えたのは、気のせいだろうか。

「かっこよくなったよ、お前」

 吐き捨てるように言った彼女は、一息に立ち上がり部屋を出る。いつもの黒衣が、全開の窓から流れ込んだ風に揺られていた。

「風呂に行ってくる」

「あ、はい……」

 ひとり部屋に取り残される旭。

(……今、褒められた?)

 女性の気持ちなど一度たりとて解明できたことはない。が、しかし彼女の考えていることは殊更にわかりにくかった。ラムルーデという女性は、常に旭の理解の外に居る。

 だからだろうか。彼女の一挙手一投足を、気に留めてしまうのは。その後姿から、目が離せなくなってしまうのは。

「……シャワー浴びるか」

 ルディが他の浴場に向かったので、旭は部屋風呂を使わせてもらうことにする。女性の入浴は長いので、もうしばらくは戻ってこないだろう。誰も居ないし脱衣所は狭いので部屋で服を脱いでいると、不意に扉が開かれた。

「タオルを忘れ――」

 ルディと目が合ったのは、パンツを無造作に脱ぎ捨てた直後のことだった。

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