第29話 嵐の前の静けさよ

 旭を鍛冶屋に送り届け、帰り道を辿る。

 タイヤが地面を掴む音だけが響く車内で、ルディは気まぐれを起こした。

「家が嫌いなのか?」

 自分からこの女……真彩に話しかけることは滅多に無い。会話が弾むとも思えないし、仲良くしようとも思わないからだ。であれば、話しかけるような理由はない。その上で、理由もなく話しかけようとは思わなかった。

 有り体に言えば、嫌いなのだ。

 彼女の認識も似たようなものだったらしい。意外な出来事に驚いたのか少し間を置いて、それからいつものように軽薄な口を開く。

「うん、嫌い。いわくつきだからね。昔あの邪魔な塀に新車擦っちゃって」

 多分、嘘だ。車を擦ったのは事実かもしれないが、そんな理由で家から距離を置いているわけではないだろう。あるいは、嫌いというのも本心からの言葉ではないのかもしれない。

 この女は、すぐに自分を偽る。

「……そうか。今日はぶつけるなよ」

「一体何年前の話だと思ってんのよ。あたしもだいぶ上手くなったんだから」

 そんな矢先、車体の右側ギリギリを黒いワンボックスが猛スピードで通り過ぎた。

「追い越し禁止!」

 叫んだ真彩が慌ててスピードを落とす。ワンボックスはみるみる進んでいき、あっという間に視界から消えた。

「……霊柩車か?」

 後ろ半分を延長し、馬車の幌を想起させるつや消しのルーフを背負った独特のスタイル。いわゆる洋型霊柩車だ。

「あんな変な形のなんて見たことないけどね」

 それは確かにそうなのだが、さりとて霊柩車以外にわざわざあんな改造を施すとも思えない。

「それに、誰かが死んだら噂になるでしょ」

 ルディは言い返せなかった。あの規模の、それも横の繋がりが強い商店街ともなれば、人死などその日の間に知れ渡るだろう。ここ数日でそのような噂は立っていない。

 しかし、しかしだ。

 あれが霊柩車でなければ、一体何だと言うのだろうか。予期せぬ出来事。突然の来訪者に、ルディは身構えずに居られなかった。



 その日の夕食は、山盛りの唐揚げとざるうどんだった。

 今にも崩れそうなほどに盛られた唐揚げを見て、旭は言う。

「いいんですか? こんなにご馳走になっちゃって」

 料理を運んできた真彩達の母は、朗らかな笑みを浮かべた。

「いいんだよ。瀬織さんにはいつもお世話になってるからね」

 そういうことなら遠慮なくいただくとしよう。手を合わせていただきます。まずは、めんつゆにチューブのねり生姜を投入。

 それを見た真彩達の父は、感心したように言う。

「ほう、旭くんはめんつゆに生姜を入れるのか。未央より味がわかってるんじゃないか?」

 プレーンなめんつゆで麺をすすった未央は、口を尖らせてみせる。

「こっちの方が美味しいからいいんです~」

 旭は通ぶった。

「ニンニクと生姜はどれだけ入れても美味しいですからね」

 気取る旭に、未央は苦笑する。

「あはは、なんか旭くんおじさんみたいだね」

 未央にしてみればからかったつもりなのだろうが、しかし旭はお年頃。それは望んだ答えそのものであった。

 調子に乗った旭は、得意気に恥を上塗る。

「まあ、大人の味ですよね」

 未央が噴き出すのを必死に堪えているのだが、旭はそれに気付いていない。故にいい気分のまま、唐揚げを頬張った。

 口いっぱいに溢れる肉汁。

 美味い。

 カリカリの衣に柔らかい肉。噛めば噛むほど脂に乗った旨味が口の中に広がる、ジューシーな唐揚げ。上品な下味とパンチの聞いた油分が絶妙なハーモニーを醸している。

 柔らかなもも肉に染み渡る脂。生姜の効いたうどんにジューシーな唐揚げのハーモニー。あまりの旨さに箸が止まらなかった。

 脂は多ければ多いほど良い。

 肉月に旨いと書いて脂とは、よく言ったものだ。たらふく頬張り、舌鼓をうつ。

「ごちそうさまでした!」

 楽しく食事を済ませ、入浴。

 広い浴槽だ。洗面所はそれほどでもないが、湯船だけなら小ぶりな旅館と同じぐらいはある。

 足を伸ばし、肩までお湯に浸かった旭は、ふと自分の掌に目をやった。小さなマメが白くふやけている。よく宿の仕事を手伝っているからか、そこまで酷い症状ではない。初日から血みどろにならなくてよかった。

 熱い湯船に身を浸し、ゆっくりと考える。

 旭の名前を刻むのは、ヴィルデザイアが背負っていた巨大な刀だ。術式の文様は未央が刻みむので、旭が刻むのは名前だけ。明日から何度も反復練習を行い、本番に備える。

 名を刻むと言っても、どうやらそのまま『旭』と書くわけではないらしい。人間につける名前と刀につける名前では、同じ意味でも読みや文字が変わることがあるようだ。言語によって大天使の名前が変わるように、とルディは言っていた。

 あの刀に刻まれる名は『旭日』――日の出の力が、妖怪や魔獣、怪物の類を全て滅する。……らしい。妖怪の存在などもそうだったが、とにかく言ったもの勝ちな雰囲気を感じる。

 確かに、オカルトというもの全般にそういった性質があると言えばあるのだが……。しかし、こうして目の前で起きて、それが大真面目に取り扱われていると……正直、混乱する。

 つくづく思う。とんでもない事態に踏み込んでしまった。

「……でも、約束しちゃったしな」

 父と交わしたあの約束。

 ――「自分でやると決めたからには、絶対に途中で投げ出さないこと」

 旭の胸に刻まれた言葉が、小さな体を突き動かす。

「……よしっ」

 十分に暖まった身体を起こし、湯船を発つ。

 風呂上がりにスマホを確認していると、姉から連絡が来ていたことに気付いた。

 借り受けた部屋に戻り、ダイヤル。暁火はワンコールで出た。

 しばらく他愛ない会話を交わす。いろいろあって、お盆には帰ってくるとのことだ。大方、由恵おばさんにうるさく言われたのだろう。

 そろそろ通話を切り上げようといったところで、不意に彼女はこう言った。

「……くれぐれも、危ないことはしないでよ」

「……え? いきなりどうしたの?」

 虚を突かれ、言葉に詰まる。なにかを悟られたのか? 彼女は特別勘のいい人間ではないのだが、旭のこととなると急に鋭い時がある。

「いや、別に……なんとなく? まあ……旭もやんちゃ盛りだしね」

 確信があったわけではないらしい。

「大丈夫だよ。別にいつもどおり。変なことしてない」

「そう? ならいいけど」

 彼女が父との連絡を断っていて助かった。手伝いを断った話を知っていたら、絶対に勘ぐられていたに違いない。

 今ばかりは反抗期に感謝だ。

 その後は当たり障りのない会話で凌ぎ、姉が満足するまで待つ。日に日に通話時間が伸びてきている気がする。

「げっ、もうこんな時間……」

 明日に響くとよくないので、今日はもう寝よう。貸し与えられた部屋に向かうと、布団の上で未央が寝ていた。

「うわぁ!? 未央さん!?」

 旭の悲鳴で目を覚ましたらしい。未央はまぶたをこすり、ゆっくりと起き上がる。

「あれ、旭くん……えっ、旭くん?」

 旭を視認し、過ちに気づく。機敏に立ち上がった彼女は、顔を真赤にして叫んだ。

「うわごめん間違えた!! じゃあね、おやすみ! 明日もよろしく!」

 潰れた布団を残し、彼女は部屋を去る。残された布団からは、なぜかいい匂いがした。

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