第8話


 既に完成していた魔法の剣は、塩水に浸した。切れ味は神懸かっていたが、所詮は鉄である。当然、錆びるし、錆びたらまるで斬れない。その後は砂漠に捨てた。魔法の剣は、風に削られて、そのうち、大砂漠の一部になる。

 アガサと少年は、ルグルー大回廊を、南へと歩いていた。

( 疲れた 馬車に 乗り たい )

「そんなお金、無いって」

 商人にしてみれば、人間を運ぶより、香草やら、工芸品やらを、運んだ方が金になる。もちろん、アガサが大金持ちなら話は別なのだが。

「おんぶする?」

 アガサが首を振った。

( 嫌だ バカ )

「そう? 辛くなったら、いつでも言ってね?」

 少年の膝の裏を、アガサが蹴っ飛ばした。

 それからしばらく、二人は無言だった。四六時中、一緒に居るのだ。喋ることも、尽きてくる。だから二人は、無言でいることがよくある。二人にとって、沈黙は苦にならない。

( 名前の こと 気にして いる ? )

 ふと、アガサが言った。

「いや、別に。……何で?」

( 最近 何か 考えて いた から )

 考えていたのは、別の事だった。アガサを危険に晒してしまったことだ。

「……いや。大丈夫だよ。名前の事は、気にしてない」

( 分かった )

 少年は名前が無い。魔法で、名前を消されたからだ。頭の中から、名前を引っこ抜かれた。すると、芋づる式に、名前に関連するような記憶も、抜けていった。

 例えば、出身地とか、家族とか、恋人とか、年齢とか、前の職業とか、好きな食べものとか、歌とか、夢とか。そういうが全部、抜けていった。

 読み書きや、計算、匙の使い方等は、覚えていた。しかし、自分の出自の事となると、何一つ分からない。

 守り手が、旅の途中で、歌姫を裏切らないように、するためだ。そして、守り手が歌姫を脅して、私欲のために魔法を使う事を防ぐためでもある。

 魔法を集めれば、やがて名前は返してくれるらしい。だから守り手は、歌姫を守り続けるしかないのだ。

 名無し風情が、とギョームが叫んだ。彼はこうした背景を知っていたのだ。少年が無くしたようなものが、案外、アッサリア騎士団の強さなのかもしれない。

「……いやね。アッサリア騎士団、強かったなって。最近、そのことを考えてた」

 アガサが頷く。

「危ない目に遭わせちゃったね」

 アガサが、少年の膝の裏を、蹴っ飛ばす。

( 大丈夫 だから )

「ごめん、ごめん」

( 次は もっと 水が 有る ところが いい 綺麗な 湖の 近く で 魚を 食べたい )

 アガサが饒舌に語る。暑いだろうに、チャカチャカと手を動かす。話題を逸らそうとしているのだ。そんな様子が、危険を招いた張本人にとっては、たまらない。

「……このまま行くと、ブドウの名産地だね」

 少年は、街で聞きかじった知識を口にした。

( ブドウ酒 ? )

「有ると思うよ。そりゃね」

( 早く 行こう )

 アガサの歩く速度が速くなる。

 少年は、自分が守り手になってから、ブドウ酒を飲んでいなかった事に気づいた。知識として、美味しいものだとは知っている。

「……ブドウ酒ね。ボクの好物なんだろうか」

 少年は知らないのだ。彼が何を愛し、何に幸せを感じ、何を求めたのか。そして、何故、声なき歌姫の守り手となったのかを。

いずれ、全てを思い出す時が来るかもしれない。ただ、今、分かっているのは、人よりも腕が立つことと、アガサをちょっと良いな、と思っていることくらいだった。

( 早く 早く )

 アガサが振り向いて、少年を急かす。

 ルグルー大回廊も、もう半分を過ぎた。道は、真っすぐ南へと続いている。とりあえず、急いだところで、ブドウ園まで、あと七日以上も掛ることを言うべきか。少年は、アガサの後を追った。

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