三章四話 こころ(二)

拝啓 

市原真理様


 日増しに暖かくなり、ようやく春めいてまいりました。体調はいかがでしょうか? 

 最近顔色がよくないのでとても心配です。

 例の一件があったとはいえ、日に日に顔色が悪くなっていくあなたに「大丈夫ですか?」と気遣う言葉の一つもかけられなかった自分が、今となっては情けなく思います。まずそのことを謝らせてください。どうもすみませんでした。

 今更謝ったところで許してもらえるか分かりません。許してもらえないのなら、この手紙は破り捨ててください。

 もし、ほんの少しでも俺の言葉に耳を傾けて頂けるなら、今しばらくこの手紙にお付き合いください。

 封筒を開けた時点でお分かり頂けるでしょうが、この手紙はとても長いです。四百字詰め原稿用紙で二十枚近くあるかもしれません。なるべく簡潔明瞭な文章を心掛けますが、こういった形式の文章にあまり慣れていないので所々読み辛い箇所があるかもしれません。その時は「下手くそな文章だなぁ」と一笑して頂ければ……。

 前置きが少し長くなってしまいましたね(ここからは言葉遣いも失礼にならない程度に崩します)。


 クリスマスイブの出会いから約二ヶ月半、俺達は色んなことを話してきました。休日どういう風に過ごしているか、どんな歌手が好きなのか、趣味、好きな食べ物、お互いの価値観……。俺達は日々言葉を交わし合いながら、お互いのことを理解してきました。もちろん全部が全部というわけじゃありませんが。

 しかし、それは自然なことだと思うんです。どれだけ仲良くなろうと、どれだけ長い時間を過ごそうと俺達は他人なんですから。俺だって市原さんだって分からないものは分かりません。

 それでも、はじめから突っぱねるようなことはしなかったと思います。持ち寄ったものを仮に分かち合えなかったとしても、お互い「分かち合おう」とはしてきました。

 これって素晴らしいことだと思いませんか?

 市原さんと過ごしてきた日々は毎日が輝いていました。

 けれど、俺は市原さんにすべてを晒したわけじゃありません。ずっとあなたに言わなかったことがあります。……いえ、言えなかったことがあります。

 水仙寺さんのことです。

 序文はこれで終わりです。大変長くなってしまいすみません……。


 以前、一言二言口にしましたが今一度言っておきます。

 遊園地デートの帰りに会った女の子と――水仙寺遥さんといいます――俺は、昨年のクリスマスイブまで付き合っていました。

 彼女と付き合い始めたのは中学校の卒業式からです。

 市原さん宛てに手紙を書いておきながら、他の女の子を褒めるのは心苦しいですが、市原さんも一度会ったので分かると思います。水仙寺さんはとても魅力的な子です。学年でも一、二を争うほど人気がありました。先輩後輩も含めて一体何人の男子が彼女に想いを打ち明けたことか……。

 あぁ、やっぱり以前付き合っていた子の話はどうも気が引けます。市原さんも読んでいて面白くないかもしれません。

 決して自慢話をしているわけじゃないです。あくまで話の流れで書いておかねばいけないことなので。もし気を害されたとしてもどうか堪えてください。

 水仙寺遥は男子生徒の憧れの的でした。一方、村山昭和は……察してください。

 嘘と思われるかもしれませんが、俺は彼女のことを何とも思っていませんでした。

 可愛い子だな、とは常々思っていましたが、俺と彼女では住む世界があまりに違い過ぎました。「高嶺の花」という表現でさえおこがましいほどに。

 俺にとって水仙寺さんを好きになるということは、アイドルに恋をするようなものです。現実味がない上に、実に不毛な恋だと思いませんか? 

 なので、彼女のことはいつもテレビ越しに見ているような感じでした。

 中学三年間、彼女は幾つもの恋を重ね、俺は恋の一つもすることなく(冗談ではなく本当です)、中学校を卒業することになりました。

 卒業式は滞りなく進行して、俺は特に涙を流すことなく最後の校歌を歌いました。

 そのあとでした。水仙寺さんが俺に話しかけてきたのは。

 あの時、確か竜太郎と話していたと思います。春休みに何をして遊ぶか、そんな感じのことを。

「ねぇ」と呼ばれて振り返りました。

「水仙寺さん?」

 一体何の用だろう、皆目見当もつきませんでした。俺ははじめ「竜太郎かな?」と思いました。あいつは昔からモテる男だったので、水仙寺さんが卒業式に告白したとしてもなんら不思議はありません。

「第二ボタン頂戴」

 ほらね、とほんの少しいじけた気持ちでいたら――

「村山くん!」

 青天の霹靂とはまさにあのことでした。

 本筋には関係ないので詳しくは書きませんが、俺は相当取り乱しました。竜太郎はその場にいたので当時のことを知っています。お願いですから、そのことに関してだけは彼に訊かないでください。

 話を戻します。

 告白の返事は、当然「まる」でした。断る理由がありません。

 憧れのアイドルから告白されて舞い上がらない男がいるでしょうか? いないでしょう。たとえ現実感がなかろうと「夢なら夢で醒めるまではいい夢を」です(ちょっと分かり辛いですね)。

 女の子から告白されたのは、あの時が初めてでした。女の子と手を繋いだのも、フォークダンスを除いたら、やはりあの時が初めてでした。

 こうして俺と水仙寺さんの交際が始まりました。正直、よく分からないままに……。

 初めての交際に浮かれ、何よりてんぱっていたんでしょう。色んな失敗をしました。どんな失敗かは何となく想像がつくのではないでしょうか? その想像で概ね間違いないと思います。女心に詳しい竜太郎にも何度か泣きつきました。

 失敗ばかりの俺でしたが、それでも、不器用なりに形を作ろうと、形を維持しようと必死でした。形とは男女交際のことです。

 些細なことで言えば、メールや電話をする頻度。一ヶ月あたりのデートの回数。

 ちょっと大きな話だと、デートでの振る舞い。記念日や誕生日に渡すプレゼント。

 そして、恋人が俺に求めていることを察し、作り上げること。

 彼女は大鳥島西高校に進学しました。知っての通り県で一番の進学校ですね。部活動も盛んだと聞きます。どこまで本当か知りませんが、カッコ良い男の子や可愛い女の子が多い学校だとも聞きます。

 そんな噂を真に受ける俺を「馬鹿だな」と思うことでしょう。

 ただ、今更カッコつけたところで滑稽ですから正直に白状します。

 凄く不安でした。

 実際、入学当時から男の影がチラついていました。さり気ない日常の話を聞かされるたびに、何とも言えない気分でした。

 嫉妬してほしかったんだと思います。

「あっそ」とぶっきら棒に振る舞う俺を期待していたんですよ。あるいは男らしく言ってほしかったのかもしれません。「水仙寺さんのことは誰にも渡しません!」と。

 期待通り嫉妬しましたよ。顔も知らないAくんやBくんに一言物申してやりたいと何度歯軋りしたことか。

「今度西校に乗り込みます!」素振りだけでも彼女はきっと喜んだでしょう。――愛されている。大事にされている、と。

 なのに俺は「そうですか」「へぇ」「よかったですね」と卑屈に愛想笑いするばかりでした。

 感情を面に出すことが出来なかったんです。怖くて。

 怒りであれ、悲しみであれ、エゴめいたこころを曝け出してしまったら、水仙寺さんが離れていってしまうんじゃないか。そんな気がして、それが不安で……。

 カッコ良い人。頼りになる人。日に焼けたスポーツマン。気障なバンドマン。

 次の彼氏候補はいくらでもいました。つかえ過ぎて、それこそ将棋倒しになってしまいそうなぐらい。

 彼女のほうから告白してきたんだ――付き合い始めの頃は、自分にそう言い聞かせていました。あの頃はまだ自分の言葉でものを言えていたと思います。

 夏頃になると、僅かな自信さえ失っていました。気づいてしまったんです。

 俺がいくら頑張ったところで、いくら自分磨きに精を出したところで、水仙寺さんの気持ち一つで終わる恋なんだと。

 それからはワガママどころか、自分の言葉で話すことさえ出来なくなりました。

 犬です。ご主人様の機嫌取りに必死な。

 もう恋とは呼べませんね。

 それで終わりです。あの時の会話で何となく察しがついているかもしれません。

 そうです。俺は恋人を盗られました。名前も顔も知らない男に。

 あまり愉快な話じゃないので、そのことに関しては「クリスマスイブに」とだけ書いておきます。

 とてもショックでした。その場にじっとしていられなくなって、俺はひたすらイルミネーションの街を歩きました。

 落ち着くにつれて、水仙寺さんを非難する気持ちもだんだん薄れてきました。近いうちにそうなる気がしていたからです(それがクリスマスイブだったのは、さすがに堪えましたが)。

 あの時は「俺に魅力がないから愛想を尽かされたんだろう」と、それが別れの理由だと思っていました。違いました。

 最後に水仙寺さんと話した時、彼女にこう言われました。

「私のこと真っ直ぐ見てくれる人だと思っていたのに」

 意味が分かりませんでした。俺は俺なりに彼女を大事にしてきたはずなのに。

 わけの分からないまま年を越して、もうどうにでもなれと、あの頃は半分自棄になっていました。

 水仙寺さんの言葉の意味が分かったのは、つい最近のことです。

 市原さんと接するようになってからです。

 序文の話に戻りますが、俺達はこれまで色んなことを話してきました。

 振り返れば、ただ楽しいばかりではなかったですよね。本音で話すということは、時に痛みを伴います。俺も市原さんと話していて耳が痛いなと思ったことは数知れずです。それはないんじゃないか、と思ったこともあります。

 市原さんの物言いは本当に遠慮がないです。いつか「私はもうちょっと言葉をオブラートに包む練習をしないとなぁ」と言ってましたよね。その通りだと思います。

 もう一つ言わせてもらえば、市原さんは勢いに任せて喋るところがあるので時々何を言っているのか分かりません。もう少し論理的に順序立てて話す癖をつけたほうがいいかと思います……(言葉遣いも若干直すべきかと)。

 この手紙を読みながら「何だとこんちくしょう!」と怒っている市原さんが目に浮かびます。でも俺は心から思っています。市原さんの率直な性格や真っ直ぐ過ぎる言葉を、かけがえのない美徳だと。

 市原さんは俺のことを正直者だと言いますよね? いいえ。俺はこう見えて色んな気持ちを隠しているんですよ。話し方云々一つ取ってもこれまで言いませんでしたよね。言ったら市原さんが怒ること間違いなしですから。

 もしかしたら、この手紙がきっかけで大喧嘩してしまうかもしれません(一応仲直りがしたくて何十枚と手紙を書いているわけですが)。

 水仙寺さんとはそれが出来なかったんです。

 本音で話し合って、納得出来なかったらお互いにぶつかり合って――ようは、ワガママな二人になれなかったんです。澄まし顔でお互いの腹の底を探り合うばかりで、あれは観念の恋でした。いわゆる「恋に恋をしている」ってやつです。頭の中で描いた理想を追うばかりで相手が全然見えていなかったから、恋が苦い形で終わってしまったんです。

 大事なことが見えた時、もう何もかも終わっていました。

 いくら俺に非があったとは言え、水仙寺さんのやり方はフェアじゃありませんでした。いつまでも根に持って女々しいなと思うかもしれませんが、恋人に裏切られた痛みというものはそう簡単に消えるものではありません。いくら薄れようと完全に消えることのない痛みです。何十年経とうと、ふとした拍子に思い出しては、心の中で苦い涙となるでしょう。

 しかし、今なら他の人のもとへ行ってしまった水仙寺さんの気持ちが分かります。

 俺はずっと自分の殻にこもったままあの子を見ていたんです。

「明るいところに出ておいでよ」と言われても、殻の中から恐る恐る手を伸ばすだけで、水仙寺さんにはずいぶん寂しい思いをさせてしまいました。殻を破るのが怖かったんです。

 今更タラレバを言ったところで仕方ありませんが、俺がもっとしっかりしていたら違った結末があったのかもしれません。

 俺も水仙寺さんも一人で恋をしていたんです。

 だから、水仙寺さんには今度こそ幸せな恋をしてほしいと今は願っています。強がりでも市原さんの手前カッコつけているわけでもありません。これ以上ないぐらい素直な気持ちです。

 そう思えるようになったのは、市原さんのおかげです。

 俺達のはじまりはクリスマスイブでしたね。

 今だから言いますが、あの日、ドーナツショップで泣き崩れていた市原さんに、俺はこころを打たれっぱなしでした。

 自分のことしか見えていなかった、そんな歪な恋をしていた俺が、これから先誰かを好きになることが出来るんだろうか。恋人に裏切られても涙一つ流さなかった俺が。

 ひどく憂鬱な葛藤を救ってくれたんです。市原さんの涙の美しさが。

 こんなにも傷つきながら、それでも恋人の名前を呼び続けられる、強い愛、真っ直ぐな愛。

 この人みたいになりたいって思ったんです。この人みたいになれたら、欠けているものが埋まるんじゃないかって。憧れたんです、市原さんに。

 これまで長い時間を過ごしてきましたが、憧れの火が消えたことは一日たりとありません。本当ですよ?

 マラソン大会のことも今では懐かしいです。

 自分の殻を破りたくて、これまでの自分を変えたくて頑張ってはみたものの、思い出すのも恥ずかしいぐらいひどい結果を残しましたね。完走するどころか市原さんをはじめ色んな方に迷惑をかけてしまいました(その節は本当にすみませんでした)。

 いくら頑張ったところで報われないものは報われないんだ、と腐りそうになっていた俺の代わりに市原さんは泣いてくれました。あの時、本当に嬉しかったです。この人は俺のことをちゃんと見ていてくれたんだって。努力賞をもらったことも忘れません(またいつか撫でてください)。

 学年末テストの前に勉強会もしましたね。

 俺は市原さんに数学を、市原さんは俺に人生を。

 市原さんは数学で九十点を取りましたね。俺は友達が出来ました。

 市原さんと話していて、いかに自分の見識が狭かったか、いかに自分が頑なな性格をしていたか、背中を思いきり叩かれてようやく分かりました。

 自分の変化をはっきりと感じ始めたのは、きっとあれからです。

 行動してみて分かることっていっぱいあるんですね。打ち上げのカラオケとても楽しかったです。市原さんのためにユーモアズも歌いました(ちなみに、この手紙はユーモアズのCDを聴きながら書いています)。

 自分の中の変化と同時に、市原さんへの想いもこの頃から変わり始めました。

 もちろん葛藤もありました。失恋してまだ二ヶ月と経たないのに新しい恋を始めようとしている自分に、それはどうなんだろうと何度も問いかけました。

 何より俺は、市原さんの想いを痛いほどに知っています。かつての恋人を、今なお想い続けている。そんな一途なところを好きになったとは言え、やはり辛いことです。

 観覧車でのことは、決して勢いで言ったわけじゃありません。俺なりに悩みました。市原さんの想い以前に、俺が想いを打ち明けることで今の関係が壊れるんじゃないか。それだけならまだしも、市原さんをひどく混乱させてしまうんじゃないか、と(実際そうなってしまいすみません)。

 ただ、これだけは分かってほしいんです。どんな形であれ、俺はこれからも市原さんと一緒にいたいです。

 俺の想いが仮に成就したとしましょう。

 はじめは上手くいかないことのほうが多いと思います。当然です。俺達はロボットじゃありませんから時に感情的になります。合理的じゃないこともいっぱいするでしょう。

 今はまだ仲のいいクラスメイトの域を出ないので、そういった部分が見えてないだけだと思うんです。恋人になったら、これまで見えてなかったことがお互い山ほど見えてくると思います。いいところも悪いところも。それらを引っくるめて俺は市原さんと一緒に歩きたいんです。

 俺達は他人です。だから歩くスピードが違います。俺のほうが速くなることもあれば、市原さんのほうが速くなることだってあります。遅れるのはほとんど俺でしょう。

 そんな時は、俺のことを待っていてくれませんか? 

 俺がもし市原さんを置いてけぼりにした時は、遠慮なく「ちょっと待ってよ」と言ってください。必ず待ちますから。

 市原さんのおかげで、俺は、あまり好きじゃなかった自分のことを好きになれそうです。たまに鏡の前で笑ってみます。「俺もそう悪くないな」と思えるようになりました。

 あ、笑顔で思い出しました。つい先日のことなんですが、父親から「最近よく笑うじゃないか」と言われました。

 本当ですよ?


 長い手紙もそろそろ終わりです。お疲れでしょうが、もう少しだけお付き合いください。

 最後なので胸の中に仕舞っておいた思いをすべて打ち明けさせてもらいます。

 これは完全に俺のエゴです。気を悪くされるかもしれません。でも言わせてください。

 俺は市原さんの想い人にずっと嫉妬していました。正直なところ、今も嫉妬しています。

 俺と笑顔で話していても、他愛ないメッセージのやりとりをしていても、市原さんがふとした瞬間に彼のことを思い出してしまうかもしれないんですから。想い人の心あらずは辛いです。苦しいです。怖いです。

 クリスマスイブに聞いた話を忘れられるものなら忘れたいです……忘れられないでしょうが。

 俺は今、そのどうしようもならない痛みに少しずつ慣れようとしています。慣れるというより「受け入れる」ですね。

 でも、俺はこうも思うんです――彼との思い出もまた、市原さんの魅力なんだと。

 だから俺は、その思い出も引っくるめて、あなたのことを好きになりたいです。


 この手紙で伝えきれなかったことを、あなたの顔を見ながら話したいです。

 今度の日曜日、十三時に大鳥島自然公園で待っています。


敬具

村山昭和

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