第33話 元嫁と元カノ

その日の夕方、私達は買い物を終えて電車に乗ってそれぞれの駅へと向かう。

その車内で私達はある人に声をかけられた。


「あら、菜々。今帰り?」

声をかけられた人物、それはナナマナ。菜々ナナの母であり俺の元カノだった。


「あっ、お母さん。今からいくの、同窓会」


「ええ。だからお留守番お願いね」


「…うん。わかった」

歯切れの悪い言葉を返す菜々ナナ。

私の目にはその表情はどこか少し寂しそうに映る。


「…菜々ママ、こんにちは。お出かけですか?」

私はその表情に堪らずにナナマナに声をかける。


「えっと…香川さんだったかしら…。ええ、高校の同窓会でね、ちょっと遅くなるの」


「そうなんですか…」

それを聞いて私は切なくなる。

本来なら私も春樹として四季と共に参加するはずだった同窓会。だが、その同窓会にはもう参加する事はない。昔の友人に会う事もない。


私は一人、取り残された気持ちになる。

そう感じながらも菜々ナナを見るとやはりどこか寂しそうに見えてしまう。


「菜々ママ、もし良ければ菜々ナナともう少し遊びたいんで、うちに来てもらってもいいですか?」


「え、ええ。いいけど…」


「菜々ナナ、良いって!!一緒にご飯食べようよ!!」

私は菜々ナナの手を繋ぎながら無邪気を演じる。


「え?…うん…」

戸惑いながら菜々ナナは手を離す事はなかった。

後ろでは風ちゃんが羨ましいそうな表情を浮かべているが、今日は帰らないといけないらしい。


「じゃあ、帰る時間になったら香川さんの家の近くまで迎えにいくわ。最寄駅はどこかしら…」


「次の学園前駅です」


「そう…。じゃあ菜々、電車に乗ったら連絡するからね」


「うん…」

会話もそこそこに、電車が学園前駅に到着する。

電車が停車し、扉が開くとそこには着飾った四季の姿があった。


「「「あっ…」」」

四季の姿を見た私と菜々ママ、私達の姿を見た四季は同時に声を上げて固まる。


「…じゃあ、お母さん。行ってきます!!」

菜々ナナが私の手を引いて電車から降りる。

それと入れ替わり、四季が電車に乗り込む。


「…四季。久しぶりね。15年ぶりくらいかしらね…」


「ええ、そうね…」

そういう二人の様子を閉まりゆく電車のドア越しに聞く。その間際、四季の瞳が私を捉えていた。


2人の関係はあの日以来壊れたままだったのか…。

私は過ぎ去る電車を見送りながら、昔を思い出していた。



私達は自宅でお母さんの作ったご飯に舌鼓をうち、自室に戻る。菜々ナナがこの家に来るのも既に2度目なので少し馴染んでいる。


私はベッドにクッションを膝に抱え、菜々ナナはベッドの下で足を伸ばして座っていた。


「あのね、夏樹。私ね…この学校を辞めようと思うの…」


「えっ、どうして?」

突然の独白に私は驚く。


「やっぱり、私達の通う学校って学費が…ね」


「けど…辞めることはないんじゃない?せめてこの中学は出ておきなよ!!」


「うん、そのつもり…。だけど、やっぱり私は寂しいの」

菜々ナナは膝を抱えて言い放つ。それに対して私は「うん…」としか答えることができない。


「私が普通の中学校に行ってたら、お母さんはこんなに苦労しなくて済んだんじゃないかなって思うと…ね」


「そうだね…」


「けど…今は前と違って楽しいの!!」


「楽しい?」


「うん、楽しい。みんなが居るから…」


「そだね…」


「学校がこんなに楽しいところだって…知らなかったから…」

というと、彼女は俯くと瞳に涙が溜まる。


「小学校の頃ね、私もいじめられていたの…。うちってお金がなかったからみんなに揶揄われて、それが嫌で私はこの中学校に来たの。それなのに、結局は自分がターゲットになるのが嫌で風ちゃんをいじめて…上に立った気でいたの」


「その間は虐められないから安心してたと…」

その一言に図星をつかれたのか、菜々ナナの顔が歪む。


「うん。酷いでしょ?酷いよね…。私も悪いと思いながら、やめられなかったから…」


「…」

私は何も答えなかった。これ以上の断罪は、反省している彼女に必要ない。


「ただ、いじめが公になって分かった事があるの」


「何?」


「3日間外に出る事ないまま過ごしてだけど、お母さんは朝から夜中まで働いてて、大変だと言う事と…やっぱり寂しかった。その吐口に彼女を利用してたんだって。だから高校も公立を受けたいと思ったの…」


「私ってずるいよね。風ちゃんとあんな約束したのに逃げようとしてるの…。けど…私…みんなと離れたくない。離れたくないよ!!」

そう言って菜々ナナは私に抱きつく。

最初は犯罪!?と、しどろもどろになるが、自分の娘と思って頭を撫でる。


冷たい言い方だが、他人の家庭の事情だ。下手なことを言って彼女の相反する思いを乱すわけにはいかない。


それに入学をさせたのはナナマナだ。

それに対して私が口出しをするわけにもいかない。

たとえ過去の俺と遺恨のある人の娘とはいえ、それは私と菜々ナナには関係ない。


ただひとつ言える事があった。

それは…


「じゃあ、今の菜々が出来ることをしよう!!」


「えっ?」

彼女は私をどんぐり眼でみる。

私達がやる事はたったひとつだけだった。


「一緒に勉強しよ!!」

家の手伝いも重要だ。だが、それ以上に大切なことは勉強で少しでも成績を上げることで様々な可能性が生まれる。


「うちの学校って高校に上がると特進クラスってあるじゃん。成績上位を保つ生徒は学費が減免されるって聞いた事がある。それを利用しない手はないよ?」

私は菜々ナナの肩に両手を置く。


「…けど、私そこまで勉強は…」


「それなら大丈夫!!私も協力するし、私達には学年1位2位コンビがいるじゃん!!」

今回の補習で赤点ギリギリだった私は半ば他人任せに提案する。

風ちゃんの教え方が適切と言えるかはさておき、適役はいる。それを利用しない手はない。


「少なくとも勉強をしておけば選択肢は広がるし、私の家ですればひとりの時間少しは減るから…」


「そうだね。…ありがとう、夏樹…」

私達は抱き合う。側から見たらどこか百合百合しい光景だ。しかも中身はおっさんがひとり罪悪感が半端ない。だが、涙する菜々ナナが落ち着くまで私は離れる事はなかった。


これが彼女にとっての最善だとは思っていない。だが、一時凌ぎだとしても、孤立はしない。


それに…そうしたいのは本当は私なのかもしれない。

心の中で、元カノに似た雰囲気を持つ少女にどこか過去の自分を投影していたのを私は気がつかなかった。


時計の針は22時を回り、菜々ナナのスマホにナナマナからラインが入った。


「あ、お母さんだ。…もしもし?」

菜々ナナは私と離れてスマホを取る。

帰りの相談をしているのだろう、「…うん、わかった」と言ってスマホから耳を離す。


「お母さんがここまで来てくれるって言ってるんだけど…」


「あぁ、いいよ。私が送っていくから駅で待っててもらって」


「うん」

と言うと、ナナマナにそれを伝えて通話を終える。そして、菜々ナナと共に家を出て駅へと向かう。最初はお母さんがついてくる話をしていたが、近いからと断った。


夜道を中学生2人が雑談をしながら歩く。

駅に到着するとすでにナナマナは改札の入り口で待っているところだった。その傍らには四季もいる。


菜々ナナは改札を抜けると私に手を振ってナナマナと共に帰る。それと入れ違いに四季が険しい表情で私の元に近づく。


…気まずい。

ゴールデンウィークの夜から会っていなかったから何を話せばいいやら…などと思っていると、四季は私の顔をつねってくる。


「いたふぃ、急にどうふぃたの!!」

涙目になりながら四季に言うと、彼女は怒りだす。


「どうしたじゃないわよ!!あなた、これからどうするつもりだったの?」


「ふぇ?」


「女の子がこんな時間に一人で出歩くなんて何考えてるの!!」


「いや、家もすぐそこだし…」


「何言ってるの、あの子可愛い!!って10秒で連れ去られる事もあるのよ!!あなた、抵抗できるの?」


「うっ…」

ぐうの音もでない。

この身体は華奢だ。それが体格の良い男に抑えられると勝てるわけがない。

私はまだ女の子としての危機感が欠けているのだ。


「全く、私がいなかったらどうなってだことやら。つゆさんも何考えてるのかしら…」

四季は私の頬から手を離してため息を吐く。


「ごめんなさい…」


「まぁ良いわ。次から気をつけなさい」


「はい…」


「じゃあ、一緒に帰りましょう」


私達は共に家路につく。


「…冬樹は?」


「晩ご飯は咲ちゃんのところで食べてるよ」


「そっか。立花さんにはいつもお世話になってるな…」


「そうね…」


立花さん。うちのお隣さんで冬樹と同い年の女の子がいて、昔から両家の家族ぐるみの付き合いをしていた。


咲ちゃんというのが冬樹の幼馴染で、学校の日はいつも冬樹を迎えに来てくれていた。

酒盛りの場ではよく「2人が結婚してくれたら…」なんて咲ちゃんのお父さんと笑い合ったものだ…。


「それより、真奈に会ってたんだね…」

私が昔を懐かしんでいると、四季がこちらを見る。


「うん…友達のお母さんだった」


「なんとも思わないの?」


「何を…」


「何をって、あんな別れ方をしたのに?」

四季はナナマナと別れた時のことを口にする。

あの日、俺は絶望に伏していた時のことだ。


「…私には関係ないよ。私は"まだ"誰とも付き合ったことないし、菜々ママは友達のお母さんってだけだよ」

私は前だけ向いて返事をする。

頭では覚えていても、心の奥では何も感じない。


春樹として昇華できているのか、夏樹として他人事なのかは分からない。ただ、今は友達のお母さんというだけだった。


「夏樹ちゃんになったのね…」

四季は寂しそうに口にすると「そういえば…」

と言いかけるが、「あっ、お母さん」と私はお母さんの姿を捉えて声を上げる。


そして私が駆け寄ると、四季は言いかけていた言葉を飲み込む。


「四季ちゃん、こんばんは。ごめんなさいね…邪魔をしちゃって」


「いえ、大丈夫ですよ。ついて来てたんですね」

四季の問いにお母さんは慌てる。


「さすがに夜は危ないから…。けど、彼にとってはしんどいかなって思って…」

お母さんは私の中の“春樹"に気を使っていた。

私の中身は大人だ。物わかりはいいつもりだが、やはり親の束縛は息が詰まる。

それを気にしてくれていたのだ。


「お母さん、ごめんなさい」


「そうよ、夏樹ちゃん!!お母さんに心配かけたらダメよ!!」

私の謝罪に戸惑いながら両手を振るお母さんに代わって四季が私を叱る。


「そういえば、何かいいかけてだけど…」


「ううん、なんでもない。じゃあ…またね、夏樹ちゃん、四季さん」

四季はそう言って、夜道を急いで帰っていった。その様子に私とお母さんは小首を傾げるのだった…。



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