第84話 感得

 いや全然、感得ではないではないか?それにしても。「いかぬぞ」


「語韻がいかん。『なにをいう!』」、「それでも同胞か?」。というより四賢は、混雑し書きにくい(尚、顕著)。「尻拭きのを……を」、「くすしおって、ならん」。もうなるので、手前にしろ。


 である。御身は、やっぱり四賢にあろうとアイロニーも主たる人格が(そのままの)どうか。


 クレーオに行きたくなった。イカリアの地名であるが、横断可……なのだが、片道切符分の旅費しかない。


 主たる人格が普通の人とされるから、どうも。戦闘には赴かねばならず。そして、言及の点は、幾億とあろうと。ニュース――。


 べしであって、べき……とでもいうか「日夜、話題になっている屍肉の塔ですが、動向が見られました。銃刑場にするらしいです。こうでもいわないと落ち着かないでしょう。。。。それに私もちょっとだけ楽しみだったっていうか」


 そりゃそうで。しかし、屍肉の塔であってくれというのは切に願いたい。全般かなんかに帰属したとしてもそうあるべし。というより銃殺された者が延々、運ばれていくのだから(誤解を恐れず)物理的にいって屍肉に違いはなく。轢死もあるらしい。


 卑屈になった者は、陵辱に及ぶものなのだが、主体性のある人物が丼勘定すればいいだけのことなので度合いが上がるだけ。


 点在していて、「気持ち悪い」だのなんかしたら、自身を省みない言行をする。大捕物(イメージ)である。唯美まがいとしたら、それこそ問題。ただ、まぁ、こいつはいいな。取り組みとかなくて。


 敦弘よ……俺が川柳をしたらどれくらい到達点あるか……フイだが。語り部、美辞を多く含み語り部も自身だろうと。


 これと物語に主意があったら。宿題としても凄まじく。美的観照における。なんにしろ、神髄はあって。


 寓意を次々と出したらいいという点は、考えるべきかもしれない。他にイッヒロマン、これは物語でなくても構わないといいますか。


 端数切り捨ての場合、連用修飾語においてのみ任意であるし。また、ボスがい、主要人物が引き立つというのも考えるべきだろう。


 寓意においては。そして、また最も書きやすい様式を選択すべきであって、物語、私小説、イッヒロマン。


 寓意というのは、仕組みでしかないんだから。その点、やはり様式、窮鼠猫を噛む。

 離合、離合であるが、一人の人物の注釈なんていうのはどうでもいい。

 物語の対象になるかなんだろう。群像の筋道こそ過程であって、媒体はなにも変わらない。群像劇を断行しても差分があり。


 しかし、この手前、勝敗はどうでもいいのだ。どうでもよく。山田にしろ、運択にしろ。そして、山形にしろ。


 ……山形と自分の異和はそんなにない。なんにしろ、思想として、作者が主人公であれ主要な人物がなんであれ、思想に違いない。


 そして、この思想とは定形をいうのであって、定形において、思想に重きを置きたい。

 問題は、思想をどう据えるかである。


 銃刑に形式は変わったものの免れ得る術はない点、いやさ買い物か?繁盛見られず。思いの丈、否めず。

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