第86話 月と言う名の悪魔
「持ち場についたぜ」
「よし。ココのはず」
彼ら3人。ジキムートにレキ、そしてローラ。
暗い闇の中、大きい空洞を前に立ち止まる。
辺りは夕暮れを過ぎたばかり。
闇の色合いが強くなっていた。
「その前に優先事項の確認だ。この先最もしとめるべきは、〝エイクリアス・ソリダリティー(水の誓約旗)〟ただ一つ。それだけだっ! あとは総じて後回しで構わんっ」
「〝エイクリアス・ソリダリティー(水の誓約旗)″、ね。さっき聞いたが、そいつがどうやら、神への通行証らしいな」
「あぁ。伝説によれば、そのようだよ。その次にノーティス、〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)″の命、囚われた者たちの解放。と、続くかな?」
レキが『その他』に分類される優先事項を確かめる。
「いや、〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)″の命のほうが先だ。あの娼婦は自己責任で戻ってもらうとしよう」
「確かにそうだろうね、常識的にも。だけど……ふふっ。そろそろ機嫌を直したらどうだい、ローラ」
「私は任務を優先する、それだけだ」
ローラはレキの言葉に、頑なに応じようとしない。
するとレキが苦笑いをしながら肯定する。
「はいはい。なら……そうだね。こんな日和った考え無しに、そう。まず間違いなく、〝エイクリアス・ソリダリティー(水の誓約旗)″といきますか。僕はここから無事で帰らなきゃいけない、この綺麗な月明かりの元へ必ず。――絶対に僕は、帰るんだから」
その言葉と共に少し、レキの雰囲気が変わる。
彼女は川のほとりを進んで、その、闇が一面に広がる大穴へと入っていった。
(月明かりが綺麗……、か。俺らの世界で月ってえのは、災厄の光なんだけどな。特に今日みたいなのは、さ)
川の波間に揺れる月。
2人はそれを見やる。
その、悪魔の光を。
「ねぇジーク、知ってる? ふぁあ……」
「なに、お姉ちゃんっ」
聞かれた少年は、7・8歳と言ったところか。
その幼い少年が姉――。
年齢はそうは変わらない。
少し疲れた様子の姉に問いかけられ、応えた。
「私達が色を見れるのは、天使や悪魔の血肉を食べたからなんだってね」
「ちっ……血肉? ……な、なにそれ。気味悪い事言わないでよ」
唐突に姉が血生臭い話をし始め、ジキムート少年が驚きと恐怖の声を上げる。
「なぁに? 怖いの……ジーク。本当に怖がりね、ふふっ」
「そりゃあ……そうだよ。こんなモンスターが出てきやすい所でそんな話っ」
幼い少年が恐怖するのも仕方なかった。
彼女らは今、闇の中を行く当てもなくさまよい、市街地から遠く離れた外郭へとたどり着いていた。
ここは街と隣接する森の近く。
最も狼やモンスターが出現しやすい、危ない場所。
そんな所で座り込んでいる2人。
「ふふっ、でも本当よ。血肉を食べおかげで、色が見えるようになったんだって。そもそも色なんて見えなかったのよ、私達人間は」
「色が見えないって、どういう事?」
盗んできた布きれの中、身を寄せ合う2人。
「ぜ~んぶ、白と黒で覆われた世界だったらしいわ。まあそれも人間らしいわね。なにせ神が唯一、絵の具で塗らなかったゴミの集まりだもの。マナが見えないって事なのかも」
「白と黒だけか~」
姉の下でジキムート少年は、今だ晴れない夜を見渡す。
「だけど天使と悪魔の血肉を食べた。そのおかげで、今みたいに太陽や虹の色が綺麗に見えるようになったんだってね」
「へぇ……。よく分かんないけど、そのお肉ってすごいんだね」
「でしょでしょっ? そうよね~」
「……」
姉のこの反応、なんだか嫌な予感。
「その聖遺骸を食べると、色々見えない物が見える。ってのが気になるわ。だから私そのお肉、食べたいのよねっ。逃げきれたらジークもそのお肉食べない?」
キラキラとした目で笑う姉。
その目はいつも、弟である彼を困らせる。
が、その瞳を嫌いになる事は、少年にはできなかった。
「そんなお肉、どこかに売ってるの?」
「ラグナロク柱よっ! ラグナロク柱はその聖遺骸の集まりらしいのよっ! ふふっ。だからラグナロク柱を食べれば、すっごい事になるかもっ。面白そうじゃない?」
興味深々で笑う姉。
だが、その言葉に弟は非常に恐怖している。
「多分――。そんな罰当たりですんごい事しでかしたらすぐに、殺されちゃうんじゃないかなぁ? 王様とかが出てきて、火あぶりにされそうだよ。僕らは教会から逃げただけでもすっごいブたれちゃうんだし」
ジキムート少年がストレートに姉に言う。
この姉は少しでも遠慮した表現すると、効果がない事を知っていた。
すると姉はつまらなさそうに下を向く。
「確かに、ね。あ~あ。お肉お腹いっぱい食べたいわねっ。なんだったら世界を創ったっていう糞神様の、絵の具でも盗もうかしら? なんでも作れるらしいからね~。お肉もパンも……白パンだって一瞬よ、きっとっ!」
「それも多分、逃げられないよお姉ちゃん。賢者様ですら逃げ切れなかったんだから」
現実的な少年が言うと、更に意固地につまらなさそうに、頬を膨らませた姉。
彼女はおかえしとばかりに、弟を強く毛布の中で抱きしめた。
「そっか~。残念だわ。じゃあ今は、2人で教会から逃げるだけが目標、か。残念。でも今度こそは成功させるわよジークっ。もうアソコには絶対戻らないわっ! アイツらホントムカつく。逃げても逃げなくてもシスターも神父も殴ってくるしっ! 私達は奴隷じゃない。なんであんな貴族のガキどもの相手をしなきゃいけないのよっ」
その姉の言葉に力がこもる。
両親が居ない彼女らは今教会で、下働きと言う名の隷属状態だった。
この世界の教会とは『学校』の面が強い物である。
だが当然それは、貴族が通う物。
不幸があって教会に預けられた者はその性質上、紛れもないその貴族子女の奴隷になってしまう。
朝は早くから、夜遅くまで。貴族の子息の身の回りの世話をする。
その為の奴隷。そして……。
「良く貴族にも、殴られるしね」
権威ある子供の喧嘩を両成敗するにはどうするか?
お互いの従者を殴って溜飲を下げるのだ。
付きっ切りで突っ立っている『カカシ』は、都合の良い仲裁用の木人でもある。
「ホント、鬱陶しったらありゃしない。早く大人になって見返してやりたいわっ!」
こぶしを握り、短い髪を振る姉。
彼女の珍しい、美しく艶めく『黒の髪』は噂にもなるほど美麗だ。
肌の色も白く、顔筋もとてもキレイ。
こうくると目を付けられる事も多かった。
何度か丸坊主になるまで、髪を切り取られた事もある。
その上、後ろから男子生徒に羽交い締めにされ、犯されそうになる事も度々ある始末。
「うん……そうだね。ひどい目に合わされるもんね。でも相手は貴族だよ姉さん。きっと、大人になってもどうしようもないと思う」
「むしろその弱気が問題よっ! 所詮奴らは武力で貴族になったんだから、私達でもなれるハズなのっ! 成りあがれば良いのよっ!」
「……まっ、まあね」
「それに神父やシスターも、一種の貴族みたいなもんなのよ。教会も税金取り立ててくるわけだし。ほらっ、貴族だけじゃなくて、教会だってなんとかなるっ! ヤル気さえあれば超えれるっ! 勝ってやるわっ! 神父共が貴族ならいっそやる気でるじゃないっ!」
日頃の鬱憤をコブシに込め、目に闘志を宿らせる姉。
「んぅ……。まっ、まぁそうだね。だけど僕は無理そうだから、せめて、ご飯だけでもゆっくり食べれるようになりたいかな。短すぎて僕には食べれないよ」
無理そうな姉の野望に苦笑いし、喫緊の苦しみの改善を目指すジキムート少年。
大体の食事の所要時間は10分だ。
残れば仕事しながら食べなければならない。
彼らの動きは常に、貴族の横で仕え、貴族本位の時間割り。
そこに自分の時間を挟む余裕はなかった。
「僕が不満なのは、そこだけだよ。あとは耐えられそうだったかなぁ」
「そう、なのね。もう……ジークったら……。ふふっ」
弱気な弟に苦笑いして、頭をさすってやる姉。
「僕は姉さんみたいにはなれないよ」
笑うジキムート少年。
姉に遥かに劣っていた彼の能力。
恐らく魂の輝きすらも、遠く及ばないだろう。
目の前にある闇を見つめるジキムート少年。
「ジーク……良いのよ、ついて来なくても。帰りたい?」
「いや? 姉さんはどうしても行くんでしょ?」
「ええ。まぁ、ね。私は無理だもの。貴族も神父もどうでも良いのよ、実際は。何よりも気に食わない話。あの〝フェティシュ・リデンプション(呪物還神)〟。あれだけは全く無理だわっ! 無理なんだものっ」
今までになく体に力が入る少女。
弟を抱きしめる体に、筋肉の鼓動が伝わったのが分かる。
「あぁ……。姉さんならやっぱりそこなんだ」
ジキムート少年が頭をかく。
この勝気な姉が一番腹に据えかねるのは何よりも、戦わない事。
教会で我慢すれば、比較的安全に大人になれる。
だが、彼女が教会を抜け出し、モンスターに怯え、地べたを這いずって。
それでも、外に出ていきたい理由はそこである。
ただ一つ、戦う為。だ。
「『神の元への帰還』とかなんとかっ! な~に日和っちゃってるのアイツらっ!? 人間が神の元へ降伏し、舞い戻って。それで普通に生きていけるとでも思っているのかしら? あんな頭のおかしい奴らの相手は絶対にお断りっ」
頭をかきむしりながら一際大きくため息を吐き、姉が愚痴る。
彼女の一番気に入らないのは、貴族の仕打ちでも無ければ、教会の人間の無関心でもない。
それらが掲げる『信念』だった。
「戦わなくて良いなら、そっちが良いんだけどね。僕は」
困ったようにジキムート少年が笑う。
彼はひ弱なせいで、貴族に対してでも向かっていくような実姉とは違って、戦いは好まなかった。
「ふふっ。甘いわねジークっ。人間の貴族ですらあんなに傲慢なのよ、神なんて物がまともで、話を聞く相手な訳ないじゃない? どうせろくでもない……。あの協会の神父やシスター共より最悪のハズよっ」
「そう……か。やっぱりそうなんだろうね」
「だから私は絶対、ここで朝まで我慢しなきゃ。逃げてみせるわ、絶対に。陽が昇ったらすぐに……遠くに行こ……」
気合が去って次に、眠気が来たのだろうか?
少しトロンとした目で弟に笑う姉。
今や遅しと姉は朝日を待っている。
朝日が登ればこの町から逃げれるのだ。
「うん……そうだね。僕もついて行くよ」
地獄の荒野へと。
「でも逃げるなら、夜のほうが良いんだけどなぁ。夜のほうがヒト気が少ないから。〝ドゥーム・カタストロフ(破滅の使徒)〟が出なければ、なんとかなるんだよお姉ちゃん」
提案するジキムート少年。
だが……。
「ん……。それは私には無理、かなぁ? 私、夜は苦手だし。でも、あんたが夜に出歩けるなら、これだけは言っておかないと。あの『眼』の話。全てを見渡す瞳には気をつけなさいね。あまり見入ってはダメよ? あの瞳は、世界を壊す為にあるの」
少し考え込みながら姉は、ジキムートを諭す。
「眼って、なんの眼? 瞳なんてどこにあるの?」
ジキムート少年が聞く。
すると、姉の細く透ける様な指先が真っ直ぐに、力強く突きつけた。
それが指すのは、闇の中でさえ光放つ物。
天をあまねく照らす、人類に穿たれた楔。
「ほら……ジーク、アレ。あの月よ。その眼は月と呼ばれている、災厄の瞳。本当は、全てを食らいつくすドラゴンのマナコ」
「……ドラゴン? お月様が?」
「……」
月と言う名のドラゴン。
そのドラゴンの瞳を指す姉は、いつになく真剣だ。
「えと……。嘘なんだよ……ね?おとぎ話なんだよね、きっと。お月様はドラゴンだなんて、誰もそんなに怖がってないよ。教会でも、そんなに凶暴なドラゴンの話、聞いた事がないっ」
訝し気に聞くジキムート少年。
彼は会話が始まってから初めて、姉のたもとから顔を出した。
そして大きな大きなその、満月。
それと、姉の顔を交互に覗く。
「いいえ。神が私達へと、刺客を差し向けたのは知っているわね? 目の見えない、盲目にして雲を毒液に変えるトカゲ。疫病をもたらす高潔なる魂のカラス。大いなる光の旅団。死した血を流す、ハエとウジにたかられた美しい慈愛の女神。崩壊と輪廻の海にたゆたう、翼のある牛頭」
「……」
その異形の名は全て聞いた事があった。
実際にその下僕である〝ドゥーム・カタストロフ(破滅の使徒)〟が近くに現れる事もある。
最も理不尽な殺戮を起こす化け物であり、最悪に強いモンスターの名前。
「今もその神の御使いたちは、私達を襲おうとしている。その中には巨大な最強の龍ベヘモトがいたの。そして月もドラゴンならば、あの無数に見える星々も神の御使いなのよ、本当は。あれがこの世界に堕ちたら、そいつらは私達人間が殺さなければならない」
「あんなにたくさんをっ!?」
驚きの声を上げるジキムート少年。
街灯も少ない、深淵の夜の海。
そこには、無数の星がきらびやかに浮かんでいた。
その数は計り知れない。
もしあれが全て神の御使いで、そして、一斉に落ちたらそれはきっと――。
紛れもない、地獄の始まりだろう。
「でも……ね、絶対に注意をしなきゃいけないのはあの巨大なドラゴンだけ。だってあれが『眼』なんですもの。全体がどれほど大きいか分からない」
星々とは比較にならない大きさの月を指す姉。
「……」
ジキムート少年は満月を、恐怖の象徴だと知った。
「でも太った図体のおかげであの、ベヘモトという化け物だけはコッチにこれなかったみたいね。ふふっ。だから未練たらしく今も、グルグルと世界を回ってる。私達を監視してそして、探し回っているのよ」
「なんか神父を思い出しちゃった。いっつも腹突き出して、炊事場に来て。そして僕らの作る貴族用のご飯を勝手に食べようと、グルグル回ってる」
「ふふっ……。そうね。でも、夜を歩くなら気をつけなさいジーク。あの目に見つかると必ず殺されるわ。まぁ見つかるなんて稀だろうけども、ね。私達には太陽が……。ラグナロク柱が作る太陽があるから」
「……太陽、か」
彼らの世界の太陽。
それは税金と言う名の、人間の血と汗で作られている。
姉の言葉にジキムート少年が複雑な顔をした。
「でも例外もあるみたい……。〝グラッジサイン(死体共鳴)″……ね。それが起きるから、ラグナ・クロスは絶対、2つ開けてはいけない……ふあぁ」
「〝グラッジサイン(死体共鳴)〟が起こるとそいつが、ベヘモトが来るの?」
「……」
コクリ……と姉がうなずく。
すると、姉の服をギュッと握るジキムート少年。
あどけない顔には恐怖が刻まれている。
そしてすっと、姉のたもとに戻った。
「ふふっ。弱虫ねあなたは。でも私が居る限りは大丈夫。私は特別よ。そう……、特別なの、よ」
「うん、お姉ちゃん」
素直にうなずく少年。
姉は強かった。
体の強度も言わずもがなだが、何よりもその心。
そして、『魂』が。
誰にも劣る事無い光をもつ少女。
――
「嫌な……月明かりだぜ」
月を見つめたジキムート。
やがて彼はがレキを追い、闇一色に染められた洞窟に入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます