Ep.102 とある黒鳥の旅立ち

 どれくらい抱き合ったままで居ただろうか。ようやく緩んだ抱擁に少しの寂しさを感じつつも、疑問に思っていたことを聞いてみた。


「ところで、攫われてから救出まで随分早かったね。どうやってここがわかったの?」


「あぁ、犯人はわかりきっていたし、ルドルフがこの場所を知っていてな。目隠しと侵入防止の結界は力技でぶち破った」


 ガラスの砕けるような音はそれかぁ。苦笑すると、塔からルドルフさんに捕縛されたナターリエ様が現れる。その姿を見て、私だけでなくガイアまで言葉を失った。


「あ、あぁぁぁぁ、私の顔が、髪が、身体が…………!?」


 水面に写る己の姿を見たナターリエ様が愕然とその場に崩れ落ちる。当然だろう。今の彼女の姿は、いつかの輝きなど微塵もない、今にもこと切れそうな老婆になっているのだから。


「…………禁忌術に手を出したのか」


 ガイアのその呟きで思い出した。

 禁忌術はその絶大すぎる効果と、失敗した時の対価の大きさ故にそうされた物が殆どだって。


「セレンちゃんの身体を奪おうとしたしっぺ返しだ。そこの二人は優しすぎて口には出さないだろうから言わせてもらうね?」


 嘆いているナターリエ様の耳元に、ルドルフさんがにこやかに囁く。


 『自業自得だ、ザマァ見ろ』


 その容赦ない言葉に、ナターリエ様がしわくちゃの顔を更に歪めた。


「ルドルフあんた、裏切ったわね………!」


「やだなぁ、何のこと?そもそも俺、貴女の仲間になった記憶ないですし……おっと!」


「絶対に許さない……!残った陰達に命令してあんたの家族から何から全部ぶち壊してやるんだから!!!」


 逆上して飛びかかってきたナターリエ様をヒラリとかわすルドルフさんに、憎悪を滲ませるナターリエ様が吐き捨てるように言い放つ。けれど、脅しと取れるそれをルドルフさんが容易く跳ね除けた。


「生憎、それは無理だと思うよ?だって俺、本物の“ルドルフ・バークレイズ”じゃないですし?」


「はぁ!?だったらあんたは何なのよ!!」


「何と言われましても…………。まぁ、国の在り方が変わるんなら俺等も御役御免だろうしいいか。では、改めまして」


 飄々と、蹲っているナターリエ様に紳士の礼を取って。ルドルフさんが微笑んだ。


「固有名詞はもちませんが、我々は夜闇に悪しきを暴く王家の国鳥。組織を“鴉”と申します。以後、お見知りおきを」


 カラス。以前ガイアのお祖父様のお屋敷を調べていた際に聞いた、国の裏方を担う隠密組織の名称だ。あ然としながら隣のガイアを見ると深く頷かれる。知ってたの!?


「知っていたというか、あいつの方にあえて勘付かされた様な感じかな。サフィール殿も鴉だったようだし」


「まぁ、そういう事。鴉は元々公に生きられない忌み子に、特殊な労働の対価として国が新たな名、立場、居場所を提供する為のシステムでね。俺はとある公爵家の闇を探る代わりに幼くして亡くなっていた“ルドルフ”の名前を拝借していた訳」


 残念だったね。と彼が笑ったのを合図にガイアが転移魔法を発動し、辺りをウィリアム王子の私兵が制圧して。

 これまで散々手駒として扱ってきたルドルフさんの正体を知り完全に放心した状態で連行されていくナターリエ様は、本物の老婆のようだった。


 今は若い人格の自我が残ってるけれど、恐らくはナターリエ様は老体となった身体に精神が引きずられ、記憶をなくしただのおばあちゃんになっていくだろうとの事だ。『これでようやく、お嬢様にも安らかな日が来るのだろうか』と言うガイアの呟きの答えがわかる日は、もう二度と来ないだろう。ただ、彼女を蝕んでいた狂気が、少しでも消えてくれる日が来ることを私も願いたいと思った。


 重たい空気を払拭するように伸びをして、ルドルフさんがこちらに向き直る。


「あの身体じゃもう逃げらんないだろうし、今度こそ本当に終わりだね。お二人さんも無事結ばれたみたいだし?」


 何とも言えない笑い方とからかうようなその口調に頬に熱が集まる。


「みっ、見てたの……?」


「まっさかぁ。流石にそこまで野暮な真似はしねーよ。その指輪見れば一目瞭然じゃん」


 ピッと指さされた自分の薬指に輝く指輪を見てなるほどと納得した。そう言えば、この指輪って……。


「ガイアこれ、桜の花でしょう?この国にはない花の筈なのに、こんな素敵な指輪どこで買ったの?」


「あぁ、以前桜のブローチを作って貰った馴染みの鍛冶屋に今回も頼んでおいた。間に合って良かったよ」


 まさかのオートクチュール……!色々嬉しくてへにゃりと笑ってから、ふと疑問が浮かぶ。


「あれ?私、ガイアに指のサイズ話したことあった?指輪自体滅多にしないから話題にすらした事なかったような……」


「あぁ、それは……父君であるスチュアート侯爵に聞いたんだ」


 どこか諦めを滲ませた答えに面食らい、思わず呟く。


「ガイア……それ多分一生ネタにされるやつだよ」


「言うな、この件に関しては自分でも若干先走ったと思ってるんだ……!」 


 まぁ他に聞ける相手も居なかっただろうし、苦渋の決断だったに違いないとつい笑い出すと、ガイアも何だかんだ笑顔を浮かべた。そんな私達を見て、ルドルフさんが徐に伸びをする。


「さーってと、これでようやく収まる所に収まったみたいだしひと安心かな。はい、これ」


 ドサッと目の前に積まれた書類の山に首を傾げる。これは何?


「あの、ルドルフさん、これは?」


「せっかく結婚するのに害虫寄生虫に付き纏われてちゃ堪んないでしょ?だから、お宅らにちょっかい掛けてきてる家の弱み軒並み調べといたよ。仕事柄、こう言う事が得意なもんで」


「お前、連日昼に居なかったと思ったらそう言う事だったのかよ……。まぁ有り難いが」


「そうでしょ?ま、これが俺からのご祝儀ってことで。俺ふたりの結婚式には出られないし」


 予想外の言葉に見張った視界が、突然の突風に眩む。ようやくはっきり前が見えた時には、ルドルフさんの髪と瞳の色が変わっていた。髪は、灰がかった黒色に、瞳は黒みがかった深い赤色。ガイアほどではないが魔持ちの特徴を捉えたそれを、彼はずっと魔法で誤魔化して生きていた。

 容姿も、名前も、全部捨てて生きてきたその道が、穏やかだったわけがない。


「いくら任務の為とは言え、俺も散々あくどい真似して来たからね。こんな汚い身体で人様の幸せいっぱいの場所なんか出られるわけないっしょ?」


 鴉が解散になったあとどうなるかはわからない。けれど多分、陛下達は彼等の罪は問わないだろう。ルドルフさんは、それが耐えきれないと言う。


「俺が国に残ることで不安を感じる人も少なからず居るだろうね。それなのにのうのうと生きてくなんて、流石に自分を許せないよ」


 『だから、じゃあね』とルドルフさんが旅支度らしき荷物を抱える。ここからすぐ先は確か、国外との出輸入を担う貿易港だ。本気で出て行くつもりなんだ……!


「ガイアいいの!?ルドルフさん本当に行っちゃうよ!?ふたりともお互い他にほとんどお友達居ないのにこんな悲しいお別れ駄目だよ!!」


「セレンちゃん、最後の最後にえらい辛辣じゃん」


「お前、本当に俺が好きなんだよな……?」


「好きだからこそ後悔してほしくないから言ってるんでしょ!!」


 私のその言葉にガイアが項垂れてしまったけど、だいぶ遠ざかっていたルドルフさんが一瞬でも立ち止まったから結果オーライだ。でも、ガイアが彼を呼び止める気配はない。

 焦れる私を見兼ねたのか、小さく息をついてガイアが口を開いた。


「止めやしねえよ。良心の呵責なんてものは、結局自分で贖罪を見つけて乗り越えて行くしかないんだ。人からどうこう言われて消えるようなもんじゃない」


「そんな……!」


 ガイアの言葉にほんの少しさみしげに笑って、再び歩き出すルドルフさん。そんな彼の背中に、ガイアがようやく名を呼んだ。


!」


「……何だよ。もう俺はお前の数少ないお友達だったルドルフじゃなくなるんだけど」


 足を止めはしたけど振り返らないルドルフさんに、ガイアが穏やかな声音で続ける。


「わかってるさ。好きなだけ色々な場所を見て、自分を見つめ直して来たらいい。そしていつか、お前が自分自身を許せる時が来たら……」


 『その時はまた、はじめましてから始めよう』


 グッと拳を握りしめたルドルフさんの表情はわからない。けれど、続いて聞こえた『気が向いたらね!』と言うその声が、今までで一番彼らしい声なんだろうと思った。


「はーあ、辛気臭くなっちゃったじゃん。アホらし。じゃあね、バイバイ!」


「あぁ。さようなら、


「……っ!あぁ、じゃあな、ガイアス。せいぜい末永くお幸せに!セレンちゃん泣かすなよ!」


 最後の最後に意地っ張りな悪態なんかついて、走り去っていくその背中が小さくなっていく。それが完全に見えなくなって、船が発つ汽笛が耳を掠めるまで、ガイアはそこから動かなかった。


   〜Ep.102 とある黒鳥の旅立ち〜


 『償いの為に生まれ変わった、とある鴉の巣立ちの日』




 


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