Ep.101 自分の人生

 目が覚めると、そこは巨大な魔法陣が記された部屋で。その中央に据え置かれた石の棺の中から、窓とすら呼べないガラスもなにもないただの空洞に切り取られた夜空を見上げる。微かに見える王城と月の角度から見て、今はすでに真夜中のようだ。漣の様な音がするから、水辺なのだろうか。


「あら、お目覚めかしら。もう二度と目覚めなくて良かったのに」


「……どうして貴女がここに居るんですか、ナターリエ様」


 暗闇の中から現れた人の姿に驚きはしない。けれど、私の反応が気に入らなかったのかナターリエ様は眉根を寄せた。


「本当、どこまでも癪に障る女。突然良くわからない場所に連れ去られたのだからもう少し怯えたらどう?ガイアに使ったものより更に強力な魔封じをつけたから、身体だってほとんど動かせないでしょ?」


「……ここは何処なんですか」


 なるほど、手首のこれが魔封じなのか。でも、実際には別に私の身体に異常はない。起き上がろうと思えば普通に立って走れるだろう。

 サフィールさんから習った事だが、無効化使いの能力を封じたい場合は普通の魔封じでは意味がないそうだ。その場合は、無効化の力を上回る量の魔力を術者に注ぎ続けるしかないらしい。

 でも、今彼女に私が動ける事を知られるのは得策じゃない気がした。だから、横たえられた姿勢のまま静かに問いかける。


 すっかりやつれて令嬢時代の見る影もないナターリエ様が、口調だけはあの頃のまま揚々と語りだした。


「ここは我が家の陰達が使う特殊な塔よ。暗殺の武器や毒から違法な魔導具、魔法薬まで何でも揃ってるわ。それに、見てご覧なさい」


 急に松明が灯り明るくなった室内。その壁には一面に、たくさんの人の名が刻まれていた。割と新しくまだ読める状態のエリアに見知った名前も見受けられる。

 レオの妹のレミリアさんに、ガイアのお祖父様。それから…………。


「お、母……様…………?」


 まさか、嫌な予感に身体が震える。そんな私に、ナターリエ様が囁いた。


「わかる?これみーんな、我が家の為に影たちが処分した奴等の名前よ」


「…………っ!」


 もしや、とは、心のどこかで思ってた。ナターリエ様は、ガイア達の心につけ入る隙を作る為に、彼等の大切な人や物を影で奪っていたのではないか。そして。


「顔や名前までは知らなかったけど、ガイアスを使うのに邪魔な女が貴族だって言うから警告としてその家の馬車を襲わせたの。母親が死んだ時点で、あんたなんかさっさと田舎に引っ込めば良かったのに」


「……ふざけないで。貴女、いかれてるわ……!!」


 目の奥が熱い。悲しくて、悔しくて、泣きそうだ。せめてと吐き出した私の悪態を聞いても、ナターリエ様は私に手を上げなかった。何故かにこやかに、その手が私の頬に触れる。異常な眼差しに、ゾッとした。


「ここまでやったのに、あんた達のせいで全部台無しよ。親、財産、権威。そして私だけを愛してくれる男!私は全部失ったのに、あんたは良いわよね。強力な後ろ盾、温かい家族も居て領民にも慕われて、挙げ句初恋の人と結ばれるって?」


 ギリっと歯噛みしたナターリエ様だが、それでも暴力は振るってこず、ただただ言葉を紡ぎ続ける。


「ふざけるんじゃないわよ。ガイアスは攻略対象なの。選ばれた側の男なのよ。ヒロインでも悪役令嬢でもないあんたなんか、彼の運命の相手じゃない癖によく出しゃばってこれたわね」


「……それは」


「でも、今更何を言っても悪役令嬢の未来は覆らない。だから、私はあんたになるわ」


 どこか焦点が合わない、恍惚とした眼差しと、

突然輝き出した魔法陣の柄を見て背筋が凍る。

 この魔術、国立魔法研究所で魔法について学んでいたときに見た覚えがある。禁忌魔法の一種、他者の身体に自分の魂を移し乗っ取る魔法。だから頑なに私の身体を傷つけなかったんだ……!! 


「あんたのせいで全部失ったんだから、責任取るのが筋ってものでしょ?だから、ね?」


 『あんたの幸せ、私に頂戴?』


 狂気に塗れた表情でそんな事を言う彼女を見て、何故だがストンと腑に落ちた。あぁそうか、この人。いや、この子は…………。














「セレンが居なくなった!?」


 セレスティアが連れ去られてすぐ、彼女が使っていた客間に駆けつけたガイアスは血の気を失った。部屋には荒らされた形跡はない。ただ……。


「これは空間転移魔法の名残だ。しかも尋常じゃない数の陣が重なっている。これでは行き先を読み取るのにどれだけかかるか……!!」


 怒りの矛先がなく拳を机に叩きつけるガイアスに、顔面蒼白なアイシラもオロオロしながら隣に立つウィリアムに問いかける。


「ナターリエが脱獄したんなら連れ去ったのは十中八九あいつでしょ?行き先の目処とかつかないの!?」


「……っ、無理だ。キャンベル公爵家の裏事に使っていた施設はすでに全て抑えた筈だがそこからは何も報告が上がっていない。もしそれら以外にまだ隠れ家がありセレスティア嬢がそこに連れ去られたのだとしたらそう簡単には見つからない、お手上げだ…………!」


「そんな……!」


 悔しげに告げられたウィリアムの言葉にアイシラが更に顔色を無くす。

 居ても立っても居られないとガイアスが部屋を飛び出そうとした時、事の成り行きを静かに見ていたルドルフがポツリと告げた。


「……俺、わかるよ。セレンちゃんの居場所」


「ーっ!!ルドルフ、本当か!?」


「あぁ、蛇の道は蛇って言うだろ。行こう!俺は場所はわかるけど、魔力が弱すぎて入れない。それに、あの子を助けるのはお前じゃなきゃね」


 そう笑ったルドルフを信じ、ガイアスは王宮を飛び出した。













 この子は多分、ただただ子供なのだ。

 都合が悪いことは全部人のせいで、困ったり嫌なことは親に言うかお金が解決してくれると思いこんでて、他人が持ってるものばかり羨ましくて欲しくなってしまう子供。幼く、無邪気で、そして……。


「貴女……、可哀想だわ」


「…………何ですって?」


 思わず呟いてしまった言葉に詠唱が止まったが、構わず続ける。


「私は確かにモブよ。ろくな力もない、皆に助けて貰わなきゃ、悪役令嬢あなたと戦うことも出来ない」


「そうよ!だからゲームのシナリオに余計な首突っ込んで来ずに、ガイアスの事は諦めれば良かったのに!」


「だけど!ここはもうゲームじゃないの!!皆自分の人生を生きてる、主人公もモブもなにもない。自分の人生は、自分が生きていかなきゃ行けないのよ!」


 ナターリエ様に負けじと声を張り上げる。

 窓の外で、何かが砕ける音がした。


 彼女と睨み合いながら、いつかアイちゃんと話した事を思い出す。


 モブだから、私はゲームの主要キャラじゃないから。だからこそ。


「今、自分の人生を、私の意志で生きていけるの!」


「待っ……待ちなさい!!!」


 一瞬の隙をついて魔法陣を無効化して、一気に窓まで駆け抜ける。湖の畔の、十階はありそうな塔の天辺だ。そのまま躊躇わず、飛び降りた。



「セレン、ここだ!」




 来てくれてるって、信じてた。

 ふわっと優しい風に包まれ、導かれるようにそこに飛び込む。力強いその熱に答えるように、ガイアの背中に腕を回した。


「初めて会ったあの日以来ね。ガイアに風の魔法で受け止めて貰うの」


「あぁ、そうだな。何度だって見つけるし助けに来るさ。お前の居ない人生なんてもう、生きていけない」


 降り立ったすぐ目の前の湖が、々に朝日に染まる中、ガイアの指先が私の左手に触れる。


「好きだ、セレン。初めて出逢ったあの日から、お前が俺の光だった」


 壊れ物に触れるように、優しく。大きなその手が離れた後見た薬指には、桜の形をモチーフにした白銀の指輪が輝いていた。


「君の全てを愛してる。どうか、俺と一緒に生きて欲しい」


 強い熱と不安の入り混じったその縋るような眼差しに、甘く心が疼いた。答えなんて、10年以上前からとっくに決まってる。


「私もあの日からずっと、貴方だけを想ってたわ。ガイア、大好きよ」


 『こちらこそよろしくお願いします』


 そう答えるより早く、腰に回された腕に抱き寄せられて目を閉じる。

 穏やかな朝日の中、二人の唇が重なった。



    〜Ep.101 自分の人生〜


   『自分で選ぶ道だから、共に行きたいのは貴方だけ』


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