Ep.76 壊れた御守り
「今度はまた一体どこの間者かと思えば……。一体、何故、他ならない君がキャンベル公爵家に居るんだ!」
「きゃっ!」
バンっと顔の脇の壁につかれた手にびっくりして固まる。ルドルフさんに収納の中から引っ張り出されて窓際の壁に追い込まれてしまったのだ。どうしよう、どのみち一度会いに行かなきゃとは思っていたけど、まさかこんな形で遭遇しちゃうなんて……!
「わ、私は……っ」
ぎゅっとお仕着せのスカートを握りしめると、布越しにリボンの飾りを感じた。同時に、フッと恐怖で強張っていた身体から力が抜ける。
(そうだ、怯むな。この人は少なくとも敵じゃない)
「私は、ガイア達の濡れ衣を晴らし、牢獄から助け出す為にキャンベル公爵家の不正の証拠を探しに来ました」
正面から真っ直ぐ瞳を見つめ返してきっぱり言い切ると、私の腕を掴んでいたルドルフさんの力が弱まった。
「……数刻前、王宮の離れにてとある事件に巻き込まれ保護されていた令嬢の部屋が原因不明の火事に見舞われた。火の手が強く中は全焼。陛下暗殺未遂に次いでこの有り様、今や王宮は大騒ぎだ。そこに滞在していたご令嬢は、当然死亡したことになっているよ」
そうでしょうね、と目を背けずに頷く。そう思わせる為にやったのだから。
「つまり、君は既に世間的には死んだ人間な訳だ。そんな状態で天下のキャンベル公爵家に忍び込んだら、見つかり次第すぐ殺されること位想像つくよね。命知らずも良いところじゃない?明日まであそこで大人しくしていれば君だけは無事家族の元に戻れただろうに」
「その帰りの馬車だって手配はナターリエ様がしたんでしょう?細工がされていない筈がない、乗った所で無事に帰れるわけないわ」
ぐっと怯んでから目を背けるルドルフさんは、私の言葉を否定しない。ナターリエ様を庇わない。やっぱり、この人はナターリエ様の魅了には掛かっていない。
「だからって、わざわざ自分で火の中に飛び込むだなんて馬鹿じゃないの?他人である男一人の為に、命も幸せな日常も捨てる気?」
「命かける覚悟ならとうに出来てます!愛する人を犠牲にして自分だけ生き延びたって、そんな未来ちっとも幸せじゃない!」
「……っ!」
食いぎみに言い返した直後。一瞬空気を切る音がして、はらりと視界の端で切れた自分の前髪が散るのを捉えた。首筋に当たるのは、冷たい金属の嫌な感触。
「へぇ……。言ってくれるじゃん。死の恐怖なんてろくに知らないような小娘が」
私の首筋に短刀を当てたルドルフさんの瞳が怪しく光る。ゾクッと震えた右手を掴まれて、握りしめていた資料を咄嗟に左手に持ち変えた。
「言っとくけど、
いつの間にか首筋から離れた短刀の刃が、壁に押さえつけられた右手の親指の付け根を撫でる。私は資料を背中に隠して、思い切り左手を振り上げた。
「指の数本程度で助けられるなら、喜んでくれてやりますよ!」
その言葉と一緒に、力一杯振り上げた手でルドルフさんの頬面をひっぱたいた。
パァンと乾いた音が響いて、ルドルフさんが目を見開く。一瞬怯んだその隙を突いて拘束から抜け出した。
「どんな風に脅されようと、これはやっと掴んだ彼等を救う手がかりです。絶対渡しません」
恐怖で上がる息を整えつつぎゅうっと胸の前で資料を抱き締めるも、震えはどうしても止まらない。叩かれ唖然とした表情のルドルフさんから、フッと毒気が抜ける。
「そんなガタガタ震えて置いて、何啖呵切ってんだよ。本当、芯が強いのか弱いのか……」
「ルドルフ第一隊長!!何やら不審な声が致しましたが異常でしょうか!?」
「ーっ!!!」
ガチャガチャと鎧が揺れる音とけたたましいノックが書斎に響く。しまった、流石に声が大きすぎた。ルドルフさん一人なら誤魔化せて逃げられたかも知れないけど、騎士団に発見されたらもう言い逃れの仕様がない。
(どうしよう、どうしたら……いっそ窓から飛び降りて……っ!?)
「静かに。……君の覚悟に免じて今だけは助けてあげる」
ぐるんと世界が反転して、気がつくとソファーに組み敷かれていた。パニックになるより先に背中がぞくっとなるような低い声で囁かれて固まると、覆い被さるようにルドルフさんが顔を近づけてくる。その瞬間、『失礼します』と言う野太い兵士の声と共に入り口の扉が開いた。
ガチャンと耳を掠めた音は、驚いた下級兵士達が武器を落とした音だろうか。
「るっ、ルドルフ第一隊長!一体何を……!」
「……あ~ぁ、本当空気読まないよねお前等。ただでさえ公爵家の我が儘で激務すぎて娼館行く間も無いんだから、侍女の一人位使わせて貰ったってバチは当たらないでしょ。それとも、上官のすることに何か文句あんの?」
いつの間にはだけさせたのか、いかにも如何わしいことをしてましたとばかりに胸元を晒した妙に色っぽい姿のルドルフさんが、私を押し倒したまま下級兵士達を睨みつける。ソファーの背もたれとしっかりしたルドルフさんの体躯に遮られてお仕着せしか見えなかったんだろう。困惑した様子の彼等は、私を本物の公爵家の侍女だと思い込んでいる様子だった。
「いっ、いえ、我々はそんな……!ただ、流石に屋敷内では不味いのではないかと……!」
「そ。まぁ一理あるし、続きは場所を変えてゆっくりしようかな。あ、この部屋はもう調べなくて良いよ、異常無かったから」
「は、はぁ……」
「他の部屋も調べて異常が無いようなら、侵入者自体いつもみたく誤報でしょ。上にはそう報告しといて。じゃあねー」
(いや、仮にも隊長がそんな軽くて良いんですか!?)
しかし、そんな心の叫びを声に出来る訳もなく。『この娘は貰ってくね』と、頭から膝掛けをかぶせられ俵担ぎにされた私は、なす術なくルドルフさんに運ばれるしか無いのだった。
てくてくと堂々と屋敷内を歩くルドルフさんに抱えられてどれくらい経ったか。ようやく膝掛けを取られ下ろされた場所は、城下町の一角にある小さな洋服店だった。
「その格好のままじゃ目立つでしょ、ほら」
「あ、ありがとうございます……痛っ!」
そう投げつけられた服に着替える為、放り込まれた試着室でお仕着せを脱いだ時。チクッと掌に何かが刺さった。なんだろう?とポケットを探って、出てきた物に青ざめる。
「遅い!高々着替えにどれだけかかって……っ!」
振り返ったルドルフさんが私を見てぎょっと固まった。それはそうだ、これだけ涙をこぼしながら出てきたら誰だって驚くに決まってる。
何とか泣き止もうと唇を噛む私の手に乗った飾りの砕けたリボンを見て、ルドルフさんがばつの悪そうな顔をした。
「あー……組み敷いた時にソファーの肘置きか何かに当たって砕けたのか。俺が配慮不足だった、ごめん」
「いっ、いえ、ルドルフさんの、せいでは……ないっ、ので……っ。助けていただい、て、ありがとう……っござい、ました……」
「……次に行く当てはあるわけ」
「は、はい、一応……」
「あっそ、ならいいや。じゃあね」
ポロポロと聞き分けなくこぼれる涙を脱ぐって、去っていくルドルフさんの背中に小さく頭を下げる。お店のお姉さんが、困惑しつつも扉を開けてくれた。
(泣いてる場合じゃない。せっかく一歩前進したんだから、次はこの資料の破けたページを復元する方法を探さないと……あぁ、でも、自分が情けないなぁ)
「うっ……、ぐすっ……!」
涙で視界が滲んでいるせいか、なかなか足が進まない。そんな時。
「~~っ、あーもう!!」
そんな投げやりな声が聞こえたと思ったら、かけ戻ってきたルドルフさんに手首を掴まれていた。な、何事……?
「それ、ガイアスからの誕生日プレゼントでしょう。買った店教えたの俺だから連れてってあげるよ、修繕くらいしてくれるでしょ」
「……へ?」
かなり早口だけどしっかり聞き取れたその言葉にぽかんとする私を引っ張って歩き出すルドルフさん。その背中は、今までで一番等身大の男の子に見えた。
~Ep.76 壊れた御守り~
『あーもう、どこまでも調子狂うな……』
『あ、あの……』
『いいから今は黙って着いてきて!』
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