閑話 自分と重ねて《ルドルフ・バークレイズ》

 『魔に囚われた穢れた子。貴方なんて生まれて来なければよかったのに……!』


 実の母親の顔を見たのは、煤けた木箱の中に閉じ込められた時が最後だった。


 捨て子として教会に拾われ、そこで神などとは無縁の、人の闇を担う刺客として育った。



 そうして月日は流れ5年。ルドルフ・バークレイズ。これが、“今”の俺の名前。国が教会に依頼したある貴族の悪を裁くため、任務として騎士団に放り込まれたのだった。


「聞いたか?あの入団試験で一位だった新入り、初日から騎士団の宿舎に女を連れ込んでいたらしいぞ」


「休日に娼館へ出入りしていたと言う話も聞く。何故あんな得体の知れい若造が入団出来たのか……実力もないくせに」


「きっと高位な身分の息女か婦人にでも近づいて媚を売ったんだろう。地位も学もない愚か者がやりそうなことだ」


 深い灰色で黒に近かった髪と瞳は、自分と同じ教会で育ったと言う魔術師の幻術で茶色に変えてもらった。それでも、身に宿ってしまった能力と言うのは切っても切り離せないもので。


(聞こえてないつもりで話してるんだろうなー。ま、仕方ないか。確かに普通の人間なら聞き取れない位の小声だもんね)


 積み重ねた経験で強まってしまった魔力に強化された聴覚は、聞きたくもない下世話な噂話や嘲笑を全て拾い上げてしまう。


(宿舎に呼んだのは娼婦を装った情報屋だし、娼館ってのは意外と国の重要情報が集まる場だから定期的に行けって命じられてるだけなんだけどな)


 女好きの腑抜けた生意気な新入り。これがターゲットを油断させる為に始めに与えられた役。だけど、周りの汚い大人たちの下世話な声は常について回って。もう、限界だった。



「……ねぇお姉さん、いつも情報交換ばっかで帰るの退屈でしょ?少し相手してよ」


 だから、汚れてやろうと思った。



 周りの汚さなど何とも感じなくなる位に、自分をどろどろに穢してしまえ。そうすれば、もう、誰からも傷つけられずに済む。



 制服を着崩し、任務の為なら身体も武器にしている妖艶な年上の女を誘った。この日に心を殺した代わりに、俺は自分の顔に薄っぺらい仮面笑顔を張り付けた。



「軽薄だなんてひっどいなぁ、俺は楽しいことだけして生きてたいの!それにあんたのが俺みたいな学なしよりずーっと頼りになんじゃん?」


「せっかく強いのにもったいないって?俺の力をどう使おうが俺の勝手でしょ~。それに、俺速度はあるけどパワーないしね。真正面からやったら先輩には敵わないって!」


「公爵令嬢が自分の側に置きたい騎士を探してる?行く行く、かなりの別嬪だって聞くし、そんな上玉の側で働けたら目の保養じゃん!騎士団からしても俺が離れたら厄介払いになるでしょ?ねーねー、取り立ててくださいよ団長~」



 薄ら笑いを張り付けて、心の内は覆い隠して、感情の伴わない軽い言葉で周りを自在に踊らせる。あぁ、なんて楽な生き方だろう。初めから、こうしておけばよかったんだ。






 本当に、そう思うのに。どうして毎日が、こんなに息苦しいんだろう。











 件の公爵令嬢は、周りに尋常じゃない人数の見目麗しい男を侍らせていた。どうやら俺もお眼鏡にかなったらしく、いつでも呼びつけられるようにと王宮の騎士団に入れられた。


(ようやくターゲットの懐まで潜り込めたし、もう女遊びは止めないとなー)


 ナターリエと名乗った公爵令嬢の周りの男は皆、妄信的に彼女に傾倒していた。過去に窮地を救われたことから心酔していると聞いたが、多分それだけじゃないだろう。人心を操ろうとする嫌な魔力が、彼等にまとわりついていた。


 とは言え、この環境は潜入にはもってこいだった。このタイミングで軽薄だった若い騎士が女遊びを止めれば、『ルドルフもナターリエに心を奪われた。だから女遊びを止め彼女に仕えたのだ』と、周りに違和感を持たれずに済むだろう。


「貴方がいる騎士団に、幼い頃から私に尽くしてくれている騎士がおりますの。貴方には彼と同室になって貰うわ!」


 二人部屋か、面倒だな。そう思う反面、いつも通り適当にあしらえばいいと割り切って向かった、新しい職場。そこで出会ったのが、あいつだった。


「来たな、新入りか。白竜騎士団・第一支部の第一隊長、ガイアスだ。よろしく」


 かつての俺の髪なんて比にならない、艶やかな純黒の髪。隠すこともなく魔力の証であるそれを持ったまま生きている人間に、少なからず、驚いた。


(びっくりした、まさかこんな場所で本物の忌み子が生きてるなんてねー)


 彼は優秀だった。剣の腕は騎士団でも五本の指に入る程で、魔力も使わせたらまず右に出る者はない。俺と違い学もあるようで、書類裁きも格段に早く、正確だった。

 この若さで隊長まで上り詰めているのも納得だ。ナターリエが絡むとおかしくなるものの、普段は人望も有るらしい。上にも臆さず誤りを正し、自分より劣る同期も見下さず常に対等に話を聞き、下に不遇な者がいれば、自らが手を差しのべる。

 そんな生き方をしている彼だけど、それでも。騎士団内には、ガイアスへの悪意がたくさん飛び交っていた。かつての職場で俺に向けられていた嫉妬や差別と、同じように。


 だから、ある日。酔った同僚に髪を無理矢理切られそうになっていたガイアスを助けて、そいつらの目の前で墨を頭から被ってやった。まぁ、彼なら本当はやり返そうと思えば瞬殺できたのだろうが。


『ほら、これで俺も黒髪だけど、どうする?』


 常識はずれな行動に引いたのか、同僚達が逃げていく。ガイアスは俺を風呂場に放り込みつつ、滅茶苦茶小さい声で『ありがとう』と呟く。なんだか、すごく嬉しくて。本当に久しぶりに、声を上げて笑った。


 でも同時に、やっぱりガイアスもこのままじゃ辛いんじゃないかと、そう思った。だから。




「ねーねー、今夜呑みにいかない?金ならあるっしょ、愚痴言いながら呑み明かそうぜ!」


「断る、休暇前以外の夜は外泊は禁止だ。第一、それで明日の任務に影響があれば誰が王都を護るんだ」


「ちぇっ、堅物め……」



 堕ちちまえよ、お前も。こんな世界、狂ってるから、こっちも狂っちまった方が楽だって。



「なぁ!その書類本当はお前の担当じゃないだろ?不備の修正なんかいいじゃん、出掛けようぜー」


「駄目だ。これは城下で行われる祭りの準備許可に必要な書類だぞ。明日までに提出されていないと、町に暮らす市民が困るだろう」


「……あっそ、つまんない奴」



  何でだよ、その市民達はお前が町に降りればその髪見て恐怖して遠巻きにお前を拒むんだろ。そんな奴らの為に、清廉潔白な生き方してんなよ。



 それからいくら誘惑しても、ガイアスがそれに乗ってくることは一度もなかった。でも、もう既に引くに引けなくて。懲りずにあいつを堕落させようと躍起になっていた俺に、いつだったかガイアスが言った。


『お前、楽しくもないくせにそんなに笑って苦しくないのか』と。



(なんだよ、それ。どうしてそんな風に、他人の心なんか気にかけられんの?)



 同じく親に棄てられて、腐った世界に見放された。だからこっちも見捨て、見下し、都合が良いように利用してやろう。


 それでいい、それがいい。散々虐げられた自分たちには、その生き方が似合ってる。





(ーー……本当に?)



「俺、昔一人だけこの頭をなにも怖がらず撫でて貰ったことがある気がするんだよな……。まぁ、彼女の顔も思い出せないし、自分に都合がいい夢を見ただけかも知れないんだけど」


 宝物だと言った、少し不恰好な花の刺繍のハンカチーフを撫でながらガイアスは笑う。自分と同じ立場に居ながら、ごく自然に、仮面じゃない、本当の笑顔で。


 だからだろうか、いつの間にか、彼の前だけは、俺の仮面も取れるようになったのは。とっくに棄てた、”未来“に少し、希望を持てるようになったのは。









『学院卒業の一年後、公爵家並びに彼等に仕えている者達を断罪し失脚させよ』

 教会からそんな任務状が来たのは、それから三年後のことだった。その、”仕える者達“の中には、当然ガイアスも含まれる。清廉潔白なあの男が、悪事など働いているわけがないのに。


(このままじゃ不味い、事が始まる前にどうにかしてあいつをお嬢さんから離さないと……!)


 とは言え、あの悪女の本性を知らず魅了されている彼がそう簡単に離れてくれるとは思えない。いい策が思い付かぬまま、無情にも卒業式が迫ってきていた。


 このままじゃ、自分を救ってくれた友を、俺がこの手で貶めることになってしまう。


(誰か、誰でもいいから、あいつの心をあの悪女の手から救ってやってくれないか)


 奪われた心を動かすのは、同性である俺では無理だ。でも、そんな都合がいい女性が居るわけがない。第一、それこそ彼の運命の相手でもない限り、ガイアスの心が動かないだろう。


 不甲斐なくて、歯痒くて、ガイアスの居る宿舎に帰るのが苦痛だったある日、暇潰しに立ち寄った中庭で、女性もののポーチを拾っ

た。


(貴族ばっかのこの学園に手作りの小物なんてめっずらしー。誰のだろ?えーと、”セレスティア・スチュアート“か……。自分で縫ったのかなこれ)


 なかなか上手いじゃないか。そうクルリとポーチを回して見つけた、ピンク色の花の刺繍。ガイアスの、ハンカチーフと、同じ柄……。


(まさか……っ、いやでも、そんな……!)


 すぐに学内で彼女を探した。でも、元から目立ちたがらない女性らしく見つからないまま向かえた卒業式。そこで起こったのが、王太子によるナターリエとの婚約破棄騒動。

 そして、大問題となったそれを解決する鍵として祭り上げられた可哀想な少女が、セレスティア嬢だった。


 騒動の直後、俺とガイアスが国王に事の次第を報告する。ナターリエのケアがしたいと、先にガイアスが帰っていった。


「……陛下、セレスティア嬢に護衛として付ける騎士について、是非推薦したい者が居るのですが」


 このままいけば、彼等の破滅まであと一年。これは、賭けだ。


 あの修羅場の最中、純粋な好意を滲ませた眼差しで我が友を見つめていた、純真無垢なあの娘になら。


 何故だか、あいつの心を、動かせるような気がしたから。


「セレスティア嬢の故郷は、ガイアスの出身地の隣でしょう。是非、彼を行かせてください。お願いします!その期間のあいつの仕事は、自分が全て引き受けますから!」


 ずっと付けていた仮面笑顔を外し、初めて心から他人に願う。そう、自分に重ねていた、初めての友を、自らの手で送り出した。

 闇に堕ちた自分とは違う。光溢れる、新たな、未来へ。



    ~自分と重ねて《ルドルフ・バークレイズ》~


『どうか、暗い世界に沈まないで。君は光の中に居て。今は心から、そう思うから』


 これは、二人の恋をお膳立てした、不器用な青年の前日譚。

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