Ep.39 モブ令嬢でも、愛する人の為だと強くなる
「何、怖がることはありません。貴女には、今日この屋敷で見たことを忘れて頂きたいだけですから」
私の頬に片手を添えてにっこり優しげに微笑むその姿が恐くて、間近で見るとサフィールさんの瞳って銀色のなかに黒が混ざってるんだなとそんな下らない現実逃避をしてしまう。
補食される寸前の動物のように息を殺してじっとしている私に、何故か彼は拍子抜けしたような力ないため息を溢した。
「ーー……ふむ、やはり貴女には効果がありませんか。これは困りましたねぇ、このままでは外に出してあげられないではないですか。これは物理でどうにかするしかありませんかね」
全然困っているようには見えないけれど、淡々とした口調とは裏腹の物騒な言葉に一気に血の気が引く気がした。
(流石にこれは不味いわ。まさかこんな、正確な位置も自分で把握出来ないような隠し部屋で捕まるだなんて……!)
我が家で使っている物より明らかに上質な毛足の長い絨毯に組み敷かれたまま、冷や汗が頬を伝う嫌な感触に眉を潜める私。そんなこちらの様子を察しているのか居ないのか、サフィールさんは感情の読めない笑みを浮かべたままじっと私を見ている。
視界の端に僅かに見える肖像画と寸分違わないその顔に、ゾワリと背筋が粟立った。
(そんなに親しくなった訳でも無いのに、悪い人では無さそうだと油断してた私の落ち度だわ。とにかく、今は一刻も早くこの場を離れないと。でも、一体どこから出れば……!)
怯えて視線を逸らすふりをして、逃げ道を探す為に周囲に目を凝らす。
今私が組み敷かれている位置は部屋の中央付近の床。部屋にある物は少なく、ガイアのお祖父様達の肖像画と小さな暖炉、あと、西向きに付いた小窓がひとつ位。人が出入りするような扉は見当たらない。
やっぱり普通の部屋じゃない。ならば尚更、せめてこの拘束されている状況だけは何とかしないと不味い。
(成人男性と十代の女子じゃ腕力的には敵わない……。幸い足は動かせそうだから一発くらい蹴りで……いや、駄目だわ。きっとそれだけじゃすぐにまた捕まってしまう。何か、せめて武器になる物があれば……!)
と言っても、今私の手元にあるのは、常日頃持ち歩いている裁縫セットとお財布くらいだ。せめて護身用の短剣くらい買っておけば良かったと今さら後悔しても遅い。
冷静になれ。手持ちで武器が無くても、何か攻撃に使えるだけの強度があるものなら自衛にくらいは使える筈。
唯一自由に動かせる足を少しずつ動かして床を探る。お行儀が悪いなんてこの際言っては居られない。
(固いもの、固いもの……。ーっ!あった!)
広がったカーディガンの影に埋もれたそれなら、手に取ることさえ出来れば丸腰の相手になら十分、武器になる。そう確信して息をついたと同時に、顎を掴まれて再び正面を向かされた。
「こんなにも近くに居るのに余所見とはつれないお嬢さんですねぇ。これでも女性に好まれる容姿だと自負していたのですが」
「……っ!生憎、幼い頃からずっとただ一人心に決めた男性が居ますから、どんなに見目麗しかろうと他の男性に触れられて喜ぶような浅はかな女じゃございませんので!」
「おぉっとー、いやぁ、お転婆ですねぇ」
余裕綽々なその顔をキッと睨み付けて、サフィールさんのお腹を蹴りあげる。……が、やっぱりそれは難なくかわされてしまった。
(やっぱり避けられたわね……、でもその油断が命取りよ!)
「お転婆で結構!もう守られるだけの足手まといは卒業するって決めたの!」
『喰らえ!』と言う気持ちを込めて、分厚い白紙本の表紙を余裕綽々なサフィールさんの頭に振り下ろす。(それでも角で殴るのは流石に痛すぎそうなので止めておいた)
色々調べたくてさっきの魔法の部屋から一緒に持ってきておいて良かった……!
「ーっ!その本は……ぐっ!」
ガンっと言う確かな手応えと同時にサフィールさんがよろけて床に手をつくと、機械音のような鈍い音と同時にさっきまでただの壁だった場所に立派な扉が現れた。しかも、鍵はかかっていない!
(でも、どうして急に!?これじゃまるで魔法だわ。部屋の床に扉を隠していた何かがあったってことかしら……)
色々と気になることはあるけれど、逃げるならサフィールさんが倒れている今しかない。
(とにかく、ガイアを探さなきゃ!)
例の魔法部屋から持ち出した黒表紙の白紙本だけを抱えて、謎の部屋から飛び出した。
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「やれやれ、フラれてしまいましたか。残念です」
セレンが逃げ去った直後、サフィールはやれやれと肩をつきながら床から立ち上がった。先ほど殴られた箇所を指先でなぞると、ほんの少しだがコブが出来ている。
ただの弱虫な小娘かと思っていたが、意外と頼もしい芯のある女性なようだ。
(それに、あの本に選ばれたと言うことは精神面だけでなく能力面でもただのお嬢さんでは無いと言うことだ。もう少し、様子見といきましょうか)
痛む傷口を自身の掌を当て、男は一人ゆったりと笑う。明かりひとつ無いその部屋では、男の銀色の髪は紺碧に染まって見えた。
「さぁ、今頃彼の方もあの阿保所長のせいで厄介なことになっているでしょうからねぇ。ここが頑張りどころですよ、お転婆なお姫様」
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私が外に飛び出したのと同時に、扉はふっと跡形もなく消えてしまった。やはり魔法がかかっていたようだ。
飛び出した先のごく普通に見える三階の廊下にぽつんと立ち尽くす。
(やっぱりあそこも隠し部屋だったんだ……)
どうやら、このお屋敷にはまだまだ謎がありそうだ。さっきの部屋とサフィールさんなことについても、もう一度ガイアと話さなければならない。
一歩足を踏み出すと、ジャリっと固い物が靴底に当たった音がした。
なんだろうと床を見て、ぎょっと目を見張る。よく見ると、あちこち砕けた硝子の破片だらけじゃないの……!
(窓枠の装飾も転がってるし、どこかの部屋の窓が砕けたんだわ。さっき地下で感じた振動はこの時の物だったのね!)
なら、その様子を見に行った筈のガイアが心配だ。点々と散らばる硝子片を頼りに原因であろう場所まで走ると、客間らしい豪華な部屋のテラスで倒れ込んでいる黒い頭を見つけた。
悲鳴すらあげる余裕も無いまま駆け寄ってその身体を抱き起こす。
「ガイア!ガイア、しっかりして!!」
「ん、ーーんん……っ、あれ、俺、何を……」
少し肩を揺らして声をかけると、すぐに小さくガイアが声をあげる。見たところ一切外傷もないし、意識も戻ったことにほっとした。
「良かった、倒れてたから心配したよ。大丈夫?」
背中を支えたままそう問いかけると、まだ少し虚ろな純黒の瞳が私を捉えて、困惑した表情のガイアがゆっくりと口を開く。
「……君は、誰だ?」
「ーー……え?」
無惨に荒れ果てたテラスで霧散したその声に、一体何が起こったのか、すぐにはわからなかった。
~Ep.39 モブ令嬢でも、愛する人の為だと強くなる~
『愛する貴方を守れるように、強くなっても良いですか』
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