第105話 ハーティア1


詰め所の中は思ったより綺麗に整理されていた。掃除も行き届いているし荷物が積み上げてあることもない。

 俺達は周囲を警戒しながらツバキの気配探知を頼りに奥へと進んで行く。そして一番奥の部屋に辿りついた。


「この部屋ですわね」


 建物の中には本当に誰も居らず、すんなりと辿り着いた。俺達を連れて来た兵士も建物の中には入って来ないみたいだ。俺達を警戒していると言ってもあり得ないだろ。


「駐在所に兵士が一人もいないっておかしくないか?」

「……人払いされているなら警備隊にも顔が効く人物の可能性がある」


 複数人が待ち構えているならメルビンさんとプセリアさんがいる可能性もあったかも知れないけど、おっさんの態度と一人しかいないってことでその線は消えている。大店の店主とか警備隊に出資している貴族の配下か? でも一人で待つ必要ないよね? うーん、どうなっているのだろうか。とりあえずここで考えても埒が明かないか。中の人物と会ってから考えるとしよう。


 シオンが扉を開け俺とツバキが先に入る。護衛対象である俺が正面に立っているわけだが問題ない。この位置が最も安全だからね。

 中に入るとそこは執務室のようだった。部屋の奥には執務机があり手前には応接ソファーが配置されていた。机の奥には誰かが座っているみたいだけど俺達に背もたれを見せて座っているため顔は見えなかった。


「――やっと来たか」


 聞き覚えのある声にハッとすると同時に椅子に座っていたその男が立ちあがり俺達に姿を見せた。

 振り返った男は見覚えのある顔をしていた。忘れたくても忘れられない顔――でもないか。最近は思い出す頻度も下がっているし。

 ……とはいえ、忘れられる顔でもない。


「――セルガ」

「小僧、お前ごぱ!」

「…………」


 ……うん? いま一瞬だけセルガの姿が見えた気がしたけど――気のせいだったみたいだな。後ろに仰け反って床に倒れる音もしたけどきっと気のせいだ。俺の呟きに反応してツバキの腕が動いた気がするけど気のせいだろう。フィーネが後ろから「ナイス」って言っているけどきっと空耳だね。


「主様、止めを刺しますか?」

「……いや、大丈夫」


 どうやら気のせいではないみたいです。ツバキさん、問答無用でヤッたね。まぁ俺もセルガの顔を見て怒りが再燃しそうだったけどさ。最近はツバキ達との生活でセルガに対する怒りも消沈していたからね。怒りは持続しない。充実した楽しい生活を送っていると特にね。

 とはいえ苛立ちは覚えている。セルガの顔を見てグッと力が入ったけど一瞬で視界から消えたら怒りより驚きの方が勝ってしまったようだ。


 部屋の奥に進み机の裏側を見ると白目を向いている男が倒れていた。額から血が流れている。……うん、事件現場だ。犯人はこの中にいる! ……とりあえずセルガの横に落ちている石を回収すれば証拠はないね。


「……ヤマヤマ、コレ相手なら多少やっても問題にならないと思う。……自宅謹慎中にこんな所にいるのは問題。兵士も動かしているし、殺さなければ自分達で勝手に揉み消してくれるはず」


 フィーネがセルガの生死を確認してから俺に恨みを晴らすなら今だという。流石に白目を向いて気絶している者に追い打ちをかけるつもりはないよ。……ツバキ達と会って居なかったら分からなかったけど。

 予想外ではあったけどツバキが問答無用でやってくれたから結構スッキリした。まぁやり返しはこれでいいや。ツバキとシオンに出会えたのはある意味セルガのおかげだし。やり返した以上文句はない。


「俺がやられた分はツバキがやり返したみたいだからこれ以上はいいよ。……また向かって来るなら容赦しないけど」

「……攻撃を受けたことすら気付いていないと思う。……ヤマヤマが良いならいいけど。……なら起こす」


 フィーネは机に置いてあった花瓶から花を抜き取り、代わりに花瓶の中へ何やら液体を入れて混ぜている。そしてセルガに近づき白目を見せたまま開いている口に花瓶の水を注ぎ入れる。倒れているセルガに立ったまま流し入れてる様はまるで執事が紅茶をカップに注ぐようである。


「ごぼ、ごぼが、い、ごふ、な、ごは、ごぼ!」


 口に花瓶の水が注がれ意識が戻ったセルガであったが、フィーネがセルガの髪を踏んだまま注いでいるため起きるに起きれず、何が起こっているのか分からずに混乱しているようだ。そしてその間もフィーネの狙い澄ました流水は続く。セルガが暴れるせいで飛び散る水滴は俺やシオンに当たる前にツバキが机にあった書類で叩き落としていた。足元に向かう飛沫は書類を振って風圧で弾いている。

 ……うん、ありがたいけど少し下がれば良くないか? ――風圧がセルガにダメージを与えている気がするのは気のせいだよね?   


「ごぶ、まて、ごぼ、きけ、ごほごご――っぅかは、はぁはぁ」

「……なくなった」


 花瓶の水が無くなり舌打ちをしたフィーネが俺達の方へ戻って来る。……フィーネさん、怒っている? 容赦ないけど、どうしたんだ?


「はぁはぁ、くそ、何なんだ、ッ、てめぇら何時の間に!? 今のはお前らの仕業か!?」


 ……ん? 何時の間にもなにもさっき認識したよね? 頭に衝撃を受けて記憶が飛んだか? フィーネが水をかけていたことも良く分かっていないみたいだ。

 顔を袖口で拭いながらセルガは額を抑えよろよろと机にしがみつきながら立ち上がる。視線は鋭いけどツバキの殺気に慣れつつある俺には目つきが悪いとしか思えない。


「呼ばれたから来たけど、お昼寝しているから起こしただけだろ?」

「なんだ――イっ、くそ、なんだ、頭がいてぇ、これもお前らの仕業か」

「――うたた寝しているから椅子から落ちたんだろ」


 間違いなくツバキさんの一撃だろうけど覚えていないなら教える必要はないよね。フィーネが花瓶の水に昨日作った失敗作のGランクポーションを入れたらしく、額の傷は既に血が固まってかさぶたになっているみたいだ。Gランクポーションでは傷口が完全に治ることはないのか。


 それにしても待っていたのがセルガだとは。貴族であり商人であり、悪人である。うん、全部当てはまったね。……来なくも良かったな。

 謹慎中って話だけど、どうなっているんだろう。商業ギルドにバレないように人払いしているのか? 隊長のおっさんが護衛兼共犯者かな。

 ……メルビンさんに報告しておこう。


「……それで私達を呼んだ理由はなに?」

「…………シルフィーネ殿を呼んだ覚えはない。そこの小僧一人を呼んだのです。グリレオはどうした?」


 フィーネの質問にセルガが目を見開いてフィーネを見た。そして苦虫を嚙み潰したように顔をしかめて視線を逸らしながら吐き捨てる。

 二人は知り合いみたいだね。フィーネは長くこの街にいるみたいだし知っていてもおかしくはないか。


「フィーネ、知り合いなの?」

「……うん。以前少しだけポーション作りを教えた。……ベアトリーチェ式だけだよ? でもいいお金になった」


 セルガは男爵家の専属薬師に師事しているって聞いたけど、それとは別にフィーネにも教わっていたのか。 

 セルガがフィーネを見る表情はどう見ても頭の上がらない悔しそうな顔だ。俺の前で強く出たくても出れない感じがヒシヒシと伝わってくる。……フィーネさん、何者?


「まさか――シルフィーネ殿がそいつの師匠なのか? だからそいつがCランクポーションを作れるのか?」


 ……うん? なんでセルガがCランクポーションを作れることを知っているんだ? レベッカさんが知ったのだって今日だぞ。 

 それにフィーネが師匠ならCランクポーションが作れる? フィーネはEランクポーションまでしか作れないって言っていたはずだけど。


「(フィーネってCランクポーション作れるの?)」

「(……私がハイエルフだからベアトリーチェと同様にポーションが作れると思っている。……男爵家の薬師にバレて追い出された)」


 セルガはフィーネのことを薬師の頂点であるベアトリーチェさんと同一視しているわけね。そしてフィーネが薬師に追い出された理由を知らないわけか。……別に教える必要はないけど――フィーネの実力を男爵家の薬師が知っているなら俺がフィーネに師事しているという噂を広げる訳にはいかないか。

 俺には凄腕の師匠がいる設定になっているわけだし。それにCランクポーションの事も認める必要はないだろう。


「俺の師匠はフィーネじゃないぞ」

「……その通り。私が師匠じゃなく、ヤマヤマが私の師匠」

「なんだと!?」


 セルガが目を見開き唖然としてフィーネと俺を見ている。いや、信じるなよ。フィーネの発音が一定だから冗談か本気か分かり辛いけど顔がニヤニヤしているから明らかにからかっているのが分かるだろう。……分かるよね? チラっとシオンを見るとニッコリと微笑まれた。うん、可愛い。……じゃなくて。


「俺も初耳だぞ? そもそも俺に師事しても意味ないだろ」

「……ヤマヤマは高名なポーション職人の弟子。私はヤマヤマの妹弟子」

「いや、それもどうなんだ?」


 明らかに今作られた設定だと分かると思ったけどセルガはフィーネの言葉を信じているようだ。「そんなまさか」「でも、それなら」「シルフィーネ殿が嘘を付くはずが」など、ブツブツ呟いている。フィーネのことを信頼しているようだ。……普通に嘘付かれているからね?

 ま、俺にはセルガがフィネフィネ詐欺に引っ掛かろうと関係ないのでそれは置いておくとする。


 問題は俺が呼び出された理由だな。普通に考えたら謹慎処分になった件に関して復讐とか撤回しろ、とか言うつもりだと思うけど、それなら一人で待っている理由が分からないよね。俺達を連れて来た警備隊が護衛兼恐喝役とするなら実力不足も甚だしい。貴族の権力を振りかざすにしても領主やレベッカさんと繋がりがある俺を相手に意味はないよね。

 ……まさか俺に関して何の情報も持っていないのか? 俺がCランクポーションを作れることも確信があって言っているわけではないみたいだし。……こんなところで領主とレベッカさんの頑張りがあらわになるのか。


 ふっふっふ、もう三日前とは立場が逆転している。そう、俺はセルガを蹴り飛ばしても一月の収益分の罰金で許され…………割に合うか!! セルガと今の俺じゃ稼ぎが違い過ぎるだろ!? まさか稼ぐ事でこんな弊害が生まれるとは。――正当防衛は許されるよね?

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