第83話 S14  プセリア女史

 サイガスの街にある高級宿屋、星の煌めき亭の玄関から一人の侍女が店内に入ってきた。歩く度に揺れる巨峰にカウンター傍にいた宿泊客の男達の視線は釘付けとなった。その視線から逃れるように早足で階段へと向かう侍女。フロントマンは顔パスならぬ胸パスで彼女を通した。数日前から宿泊している人物の侍女であり既に顔も胸も目に焼き付けていたのだ。


 男達の視線に苛立ちを覚えながらも階段を登り、目的の一室に辿り着いた侍女がノックをして入室する。

 部屋の中では豪華なドレスを着た貴婦人がワイングラスを片手に優雅にワインを飲んでいた。


「プセリア様、情報を集めてきました。……そのワインはこの辺りには出回っていないのですからあまり飲みますと帰りに後悔しますよ? 貴女達も止めてください」


 メイドがため息混じりに苦言を呈するのは彼女の主人であり、ファーニア皇国の貴族、プセリア・フォン・ラフィーク女伯爵。周辺国を含めても数少ない女性の貴族家当主である。


「この者達に我を止めることはできんさ。ネリサも理解しておろう」


 プセリアの背後の壁には豹人族と熊人族の女性が静かに佇んでいた。メイド――ネリサの言葉に豹人族の女性は肩を竦め、熊人族の女性は無反応で答えていた。


「それであとからワインがないと駄々をこねるのはプセリア様ですからね? 私は「だから言ったでしょ」と言うことになる未来を予言します」

「ほお、我の侍女は予言の魔法を扱えるようになったのか。これは興味深いな。それで予言者殿、我の予言はどうであった?」

「お察しの通り、どうやらポーション職人が噂の中心のようですね。意図的に流されている情報もあるのでまだ正確ではありませんが、おおよそプセリア様の予想通りかと」

「くっくっく、やはりか。優秀な者なら我が領地へ招待したいな」

「ベアトリーチェ様から怒られますよ」

「この街の領主は平凡だ。それなら私の元に来たほうがそのポーション職人のためだ」

「はぁ、また始まった。それでこの街の領主様と戦争でもするおつもりですか?」


 ネリサは以前プセリアが行った強制招致で戦争一歩手前の事態に陥ったことを思い出し頭を抱える。

 最終的にファーニア皇にまで波及した歴史に残る大事件、普通であればお家取り潰しとなっていてもおかしくない事態であった。

 それを僅かな損失で済ませ、結果的に皇国に大いなる利益を生み出し非公開ながら勲章を受勲した事件である。


「そのような事態にはならんさ。平凡ゆえに聡い。我と争う損より失う利の方がマシであると判断するであろう。――とはいえ同じやり方では面白くない。何か情報はないのか?」


 グラスにワインを継ぎたそうとするプセリアからネリサはワイン瓶を奪い取り棚に戻す。

 むすっとするプセリアに水差しを渡しながらネリサは口を開いた。


「件のポーション職人について得た情報は、貴族の子弟に暴行を受けて、領主様から護衛を譲られ、領主様のご息女を失禁させ、商業ギルドに総謝罪をされ、領主様が家に訪問して、商業ギルドが家を包囲している、といったところです」

「…………。いや、意味がわからん。護衛を譲られた所までは分かったが、なぜ恩がある領主の娘を辱める? それになぜ商業ギルドが総謝罪をする? あの組織は自分達の非を認めんことで有名であろう。それを一つの街支部とはいえ総謝罪を行っただと? Aランク職人か? その上、領主が訪問している家を商業ギルドが包囲しておるのか? 領主は敵なのか? 味方なのか?」

「どれが偽情報なのかまだ精査できておりません。ただ貴族の子弟に暴行を受け、商業ギルドに謝罪をされたのは本当みたいです。目撃者が多いようなので。あと領主家の馬車が中央区の屋敷に入っているのと、その屋敷を商業ギルドが張り込みしているのは確認してきました。理由はまだ不明です」

「その屋敷に件のポーション職人が住んでいるわけか」

「……。近隣の話では竜人の胸乗せが住んでいるそうです。スラムの亜人と共に」

「……また意味が分からなくなったな。竜人の胸乗せとはなんだ? 我もそれなりに周辺国の情勢を調べていると自負していたがそのような単語に聞き覚えがないぞ。住んでいると言う事は生き物ではあるのだろうが。その生物に領主は会いに行って、商業ギルドは監視しているのか? ……危険魔獣か何かか?」

「わかりません。情報が意図的に公開されていると思ったら、巧妙に隠蔽いんぺいされている部分もあり雲を掴むような話ばかりになりました。恐らくその生物こそが件のポーション職人だと思いますが……直接領主様に尋ねるのが一番早いかも知れませんね」


「ほお。つまり武力に頼れと言うことだな?」

「脳筋は止めてください。そこの二人も嬉しそうな顔しない! ……はぁ、なんで私が。早く帰りたい。……いっそ本当に攫いましょうか。どうせ後日ベアトリーチェ様にお会いするのですから、そこで謝罪すればいいでしょ。プセリア様が」

「ほほお? お主は我にあのポーション狂いを相手にポーション職人を攫いましたごめんなさい、と言えと? ……面白そうだな」

「え? 本気でやるつもりですか? 商業ギルドが警戒しているのは本当ですよ? 門にも亜人の冒険者くずれがいましたし、竜人の胸乗せと言われるぐらいですから竜人もいるはずですよ?」


「だからこそ面白いのだろう。ナムルとアルクスはどうだ?」

「仕事ならやりますよ。でも危険手当は多めに付けてくださいよ?」

「竜人とは戦ってみたいと思っていた」


 豹人族のナムルは親指と人差し指で丸を作り笑みを浮かべる。そして熊人族のアルクスは拳を握り闘志を漲らせていた。

 その様子を見てネリサはどう宥めるか思案しているとワイングラスで水を飲んでいたプセリアが笑みを深めて机を叩いた。


「ポーション職人を連れて来たら特別手当に金貨十枚だ。竜人を倒したら更に金貨五枚だ。我の護衛に竜人スレイヤーが居れば箔も付くというものだ!」

「ちょっ! プセリア様!?」

「おおぉ! 太っ腹! 良いね良いねぇ。ならウチはポーション職人だ。アルは竜人ね?」

「無論だ。邪魔するヤツはナムルが止めてくれ。サシでやりたい」

「いいよ。でも金貨一枚ね」

「好きにしろ」


「くっくっく、ネリサ。もう止まらんみたいだぞ?」

「……焚き付けておいて何言ってるんですか。知りませんよ? どうなっても」

「たまには刺激がないと退屈で死んでしまう。さっさと連絡を寄越さないアイツが悪いのだ。ポーション職人には十分な見舞金を払うし、我が領での暮らしも優遇してやるさ」

「……二人ともポーション職人には怪我をさせないようにね? 念のためポーションを持って行きなさい、プセリア様のを」


 ネリサは長い旅路の万が一の為に用意されていたCランクポーションとDランクポーションをナムルに手渡す。

 秘蔵の一品であり、伯爵の命綱とも言えるCランクポーションをプセリアに断らず渡す侍女ネリサにプセリアは些か顔を引きつらせていた。


「…………。お前はもう少し我を大事にしたらどうだ?」


 プセリアの言葉に返事をする者はおらず、ナムルとアルクスは闇に溶け込むように姿を消していた。

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