第25話 魔王との戦い

 一体何が起こったのか、俺の目の前で半分ほどに高さを減らしたホテルが、見る見るうちに元の高さを取り戻した。


 まるで蛇に睨まれた蛙のようにブルリと背筋が凍り付く。


「誰かが……見ている?」


 深海の底へ引きずり込まれるような重たい視線を感じる。


「一体、何が起こってるんだ」


 無理やりあんなことをして中にいる人たちは果たして無事でいるのだろうか。

 俺がそんな事を思った時だ。

 突風が吹きつけられたかと思えば、目の前に闇夜より暗い、漆黒の甲冑を身にまとった少年の姿が現れた。


「なっ!」

「なに? この程度? これじゃーホントに子供のお使いだね」


 おそらく俺と同い年程度の少年は、拍子抜けしたといった感じで、首を傾げる。


「まっ、どうでもいいか。ともかくボスの命令でね、僕と一緒に来てもらうよ」


 彼はそう言って俺の肩をがしりと掴む。


「痛っ!」


 まるで万力に挟まれた様なその圧力に、つい苦悶の声が上がってしまう。


「あれ?」


 だが、彼は不思議なモノを見るように俺の顔を見つめて来た。


「離せッ!」


 全力で彼を押し飛ばす。

 きょとんとした顔の少年は、されるがままに一歩引いた。


「おかしいな、スキルは発動してるはず。なに君? 耐性持ちなの?」


 彼は自分の手をキョロキョロと見ながらそう言った。


「お前は協議会のものか!」

「えっ? ああ、そう言うこと。まぁたった今その一員になったばかりだけどね」


 彼は、へらへらと締まりのない顔でそう言った。


「まったくまいっちゃうよねー。僕は人の下に立つのは苦手だって言うのに、あの人はそれこそチートじみたレベルなんだもん。自信無くしちゃうよ」


『たった今その一員になったばかり』その一言が耳の底に染み渡る。


「……あのホテルで戦ってたのはお前か」

「戦い? 戦いっていうか遊びだよ遊び」


 奴は悪びれる事無くそう言った。


「……あのホテルには俺の家族がいた」

「へー、それが何? ……あっ! もしかして巻き込んじゃった? ごめんごめん」


 奴は、へらへらと笑いながらそう言った!


「てめえがッ!」


 俺は拳を硬く硬く握りしめ、奴の顔面向けて振りぬいた。


「がッ!?」


 巨岩――身の丈よりも遥かに大きい岩を殴ったような感触が拳に返ってくる。


「ははっ、そんなもんだろうね」


 奴は俺の攻撃など蚊ほども聞いていないように、へらへら笑う。


「てめえがぁああ!」


 一発で無理なら二発、二発で無理なら三発。

 悲鳴を上げる拳を無視して、何発も何発も奴の顔面を殴りつける。


「あーもう、ウザったいな」

「がッ!」


 蚊を払う様な軽い動作で、俺の拳は弾き飛ばされ、がら空きの胴に奴の手打ちの拳が撃ち込まれ、俺は遥か後方へと吹き飛ばされた。


ステータスの差は歴然だって分かんないかなー、頭悪いなー」


 聞き分けのない子供に言い聞かすように、奴は呆れた口調でそう言った。


「手足の一・二本はどうなっても良いって言われてるんだ、君をダルマにしてからでもいいんだよ?」

「ふざけんな……ふざけんな! 手足がどうした! それが無くなってもてめえの喉笛を食い破ってやる!」

「高々、家族が死んだ程度でしょ? 所詮は赤の他人じゃないか」


 奴は心底不思議そうにそう言った。

 駄目だ、奴は人として、何かが致命的に終わっている。

 だが、どうする?

 奴が言った通り、力の差は歴然だ。幸い俺のスキルには気づかれていないようだが、そんな事どうでもいいほどに基本スペックが違い過ぎる、まるで大人と子供の戦いだ。


「大人しくしてれば五体満足で連れてってやるよ。まぁ、その後どうなるかは知らないけどね?」


 奴はそう言って、ゆっくりと俺に近づいて来る。


「そうはさせないわ」


 そこに挿し込まれる声があった。

 それと共に、眩い光が奴を飲み込み、油断しきっていた奴を遥か彼方に吹き飛ばしていく。


「大丈夫! 隆一りゅういち君!」

恵美えみ……さん」


 俺は痛みに軋む腹を押さえながら、恩人の名前を呟い――


恵美えみさん!」

「えっ?」


 俺の声に、彼女が背後を振り返ったその時だ。

 いつの間にか彼女の背後に戻ってきていた奴が、剣を大きく振りかぶっていた。

 体の半分を丸焦げにした奴は憤怒の表情と共に、その剣を振り下ろす。


「そいつ以外の生死は問われていないもんでね」

「あぐッ!」


 彼女は咄嗟にかわしたものの、それは半歩遅かった。

 ごとりという音と共に、切り落とされた彼女の右腕が冷たい屋上に転がった。


「てめえ!」

「だから君じゃ相手にならないって言ってるだろ!」


 奴は剣の柄頭で俺の側頭部を思いっきり振りぬいた。


「がっ!」


 奴の速度についていけない俺は、まともにその攻撃を食らい、屋上のフェンスに叩きつけられる。

 だが、その衝撃はフェンス如きでは受け止めきれない。

 フェンスは基礎ごともぎ取られ、俺はビルの屋上から宙に舞った。


隆一りゅういち君!」

「ちっ! やり過ぎたか!」


 宙に舞った俺を追い、奴が屋上から飛び降りて来た。


「まったく、こんな雑……魚……?」


 奴は俺の手を取り――重力のまま落下する。


「な? なんだ!? まさかお前!」

「離さねぇよ」


 俺は全身の力を振り絞り、奴の体にしがみ付く。

 奴はこの時点でやっと俺のスキルに気が付いたようだ。

 スキルを無効化するスキルに。


 ビルの高さは10階建てだ、ここから地面にたたきつけられれば、流石の奴も致命傷を受けるだろう。


(まぁ、それは俺も同じだが)


 もしかすると、ただの無駄死になってしまうかもしれない。だが、これ以外に奴に手傷を負わせられる方法が思いつかなかった。


「何をやってるんだ君は!」


 ひと塊になって落ちる、俺たちを紅蓮の炎が包み込んだ。

 だがそれは、俺のスキルによって、俺の体に触れた瞬間に霧散する。


「ちぃ!」


 その一瞬のスキを突き、奴は俺を振りほどき宙に舞った。


「それに掴まれ!」


 俺はその声のまま、空中にぶらりと垂れ下がったロープにつかまった。


信二しんじ! 俺の事はいい! 恵美えみさんが重傷だ!」

「なんだって!」


 信二しんじの動揺が伝わってくる。

 恵美えみさんは、信二しんじの恩人であると同時に、解放戦線最強の一画だ、その彼女が重傷を負ったというのだから、それも無理はない。


「私は大丈夫よ」

「「恵美えみさん!」」


 信二しんじの式神に吊り下げられ宙を舞う俺の前に、彼女が突然現れた。

 右腕を失い、そこから大量の血を流す彼女は顔面蒼白。痛々しいなんて言葉ではとてもじゃないが追い付かない。


「彼は私が足止めするわ。その隙にふたりは逃げて!」

「そんな!」

「いいからいう事を聞きなさい! これは上官命令よ!」


 ぐらりと姿勢が大きく振り回される。


「おい! 信二しんじ!」

「えっ、恵美えみさんを信じるんだ! 彼女は転移スキルも持っている! ぼっ僕たちがいたら邪魔なんだよ!」

「しん――」

「うるさい黙れよッ!」


 信二しんじの叫びと共に、彼が操る式神はぐんぐん速度を増していく。


 壊れかけたネオンのようにピカピカと輝く戦闘光が、見る見るうちに遠ざかっていく。


「くっ……」


 俺はその様子を歯ぎしりしながら何時までも見つめていた。


 ★


「まったく、痛いじゃないか」


 そう言いつつも、安岡魔王の傷は見る見るうちに回復していく。


(回復スキル持ちか、長期戦は厄介ね)


 恵美えみは切り落とされた右腕を凍結魔法で止血しながら、敵を睨みつけた。


(けど、隆一りゅういち君が逃げ延びるまで時間を稼がなきゃ)


 遠慮なく放たれる敵の攻撃を、彼女は逐一撃ち落としていく。

 流れ弾を出す訳にはいかない。さすれば背後の建築物、そして中にいる人に重大な被害をもたらしてしまう。


 転移系スキルをフル活用し、一発も撃ち漏らすことなく足止めと迎撃を繰り返す。

 夜空に瞬く流星群のような戦いが繰り広げられた。

 

 そして、終焉の時が訪れた。


「あ……」


 度重なる連続スキルの使用に、彼女の魔力が底を尽きたのだ。

 そして、魔王の攻撃が、飛行能力を失い落下する彼女を飲み込んだ。

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