ハナキリンの朝

機人レンジ

花の精と死をまとう恋人

 目が覚めてリビングに行くと、テーブルに置かれていたのは一輪のハナキリンだった。


 あぁ、これが彼女なりの別れの挨拶なのだと気づいたのは、それからトイレに行って歯磨きをして、マーガリンと木苺ジャムをたっぷり塗り付けたトーストにかじりついていたときだった。ベランダでは雀のつがいが羽を休めていた。


 不思議と悲しさがわいてこなかったのは、彼女への愛情が薄れていたせいかもしれない。というより、釣り合わないという事実に私が打ちのめされていただけだろう。彼女は美しかった。業界では大手の花の販売会社に勤務していて、多くの式場や斎場に花を卸す仕事を担う彼女は、可憐な花々が人々を安らかにするのに生きがいを感じていた。花を眺めて瞳を輝かせる彼女は、私からすれば彼女自身が花の精ではないかと思うほどに綺麗だった。抱きしめたときに鼻をくすぐる花の香りが、ますますそんな印象を抱かせた。


 それと比べて私はどうだろう。小さな葬儀社に務める私には、いつだって死の匂いが漂っている。自分でわかるのだ。黒い喪服がどんな流行服よりもしっくりきてしまうのだから。私の仕事を知ったとたん、人の死を食い物にする悪党だと罵る人だっていた。彼女と出会ったのだって、ある葬儀で使う花を彼女が斎場に納品しに来たときだった。私の一目惚れだった。


 一人で寝るには広すぎるダブルベッドに寝転がり、昨夜のことを思い出す。私は嘘をつくのが下手だ。そして馬鹿正直だ。悩んでいることがあるなら相談にのると言った彼女に甘えて、伝えるべきでない想いを一挙に吐き出してしまった。堰を切った言葉の濁流は、きっと彼女をズタズタに傷つけたに違いない。それほどまでに、私の屈折したコンプレックスは積もり積もっていたはずだ。だからこそ、その吐き出し口に彼女を選ぶのは愚行だった。でももしかしたら、私は自分一人で苦しんでいるのがイヤだったのかもしれない。彼女はパートナーのことでまったく悩んでなどいないようだったから。だからこそ、一緒に苦しんでほしかったのかもわからない。


 すべてを包み隠さず話した後、彼女は一言も口を利かないまま寝入ってしまった。私もそのまま、ふてくされるように眠ってしまった。いっそ朝になったらすべてが元通り……私と彼女が出会わず、勇気を出して交際を申し込むこともなく、こうして同棲することもなかった昔に戻っていればいいと思った。そして一刻だけのものであったはずの願いは叶った。隣に彼女がいない目覚めを迎えて、神様は余計なお世話になるときだけ願いを叶えてくれるのだと知った。


 日差しが差し込むリビングで、私はぼんやりとテーブルの中央に置かれた花瓶を眺める。だらしなくイスに座り、コップに注いだ牛乳を飲む。まるで人間の唇のような不思議な形状と紅色の花びら。どことなく彼女のふっくらした唇を連想させて、私はすこし視線を逸らす。確か以前、この花にはちょっと恥ずかしくなる花言葉があるのだと教えてもらったはずだ。ネットで調べてみようかとスマホを手に取るが、どこか未練たらしい気がして止めてしまった。


 それからは怠惰な時間をずっと過ごした。テレビのワイドショーを眺め、飽きたらまたベッドに寝転がってスマホで動画を眺めた。ただ騒ぐだけが能のユーチューバーが、スーパーから大量の鯖缶を買って一週間それだけを食べて暮らすという、ユニークのかけらもない企画に挑んでいた。彼女を探しに行く気にはなれなかった。そもそもどこにいるのかもわからないし、スマホはベッドのわきに放置されていた。


 ふと、クリーニングに出しておいた仕事用の喪服を受け取りにいかなくてはいけないのを思い出し、車でクリーニング屋に赴いた。そうして喪服を返却してもらい家に帰ると、袋から服を取り出ししげしげと眺める。ほつれ無し。破れ無し。葬儀業者にとって喪服は戦闘服だ、なんて言うと不謹慎かもしれないが。悲しみに沈む家族を励まし、亡くなった人を安らかにあの世へ送るこの仕事は、私にとっては戦いだ。墨汁でくまなく染めたようなこの重苦しいスーツが、そんな戦場に立つための必需品なのだ。


 誇り。そんな言葉が脳裏に浮かんで私は苦笑した。その誇りに執着するあまり、彼女を失ったのと違うのか。本当に彼女と対等になりたいのなら、一緒の花屋にでも転職すればよかったのではないか。


 しかしふと、彼女がかつてかけてくれた言葉を思い出した。葬儀の花を実際にセットするのは私の仕事だが、その真剣な目つきが好きなのだと。


 そう言ってくれたのは、私が一か八かの告白をしたときだった。それまではただの友人でしかなかった関係を、もう一歩進めたものにしたいと願い出たとき。世に生きる大勢の女性なら、まず断るはずであろうお願いをしたときだ。


 スーツをクローゼットにしまい、またベッドに寝転んだ。手足を思いっきり伸ばし、寝室の空間を独り占めにする。すると急に胸が苦しくなって、私の目じりから冷たい雫が落ちていった。


 いつか聞いたことがあった。私には、常に死が寄り添っている。死者に寄り添う私のことが嫌いにならないのかと。彼女はこう答えた。そんなあなたが誇らしくて好きだと。


 私だって、この仕事に就いて後悔はない。つらいことも多いけど、それが私の選択した『今』だから。彼女はそんな私を愛してくれて、そんな彼女を私は愛した。私の内にわだかまる私自身を卑下させる何かは、きっと仕事なんかじゃない。では何なのだろう?


 ふと顔を横に向けると、自分の顔がそこにあった。部屋の隅に置かれた鏡台。そこには私が映っている。そうして突然、私は答えを得た。そうだ、答えはずっとシンプルで、でも認めがたかったものだ。昨夜のベッドの上で、私が最後に言い放った言葉。それが答えだ。


 私はスマホをネットにつなぐと、テーブルのハナキリンの花言葉を調べようとした。すると、玄関のチャイムが鳴った。インターホンの画面を見ると、既に懐かしさを覚える人がそこにいた。


 私は玄関を開ける。彼女はそこにいて、赤くなった目で私を見つめた。目元の化粧は既ににじんでいた。


「ハナキリンの花言葉、思い出してくれた?」


「ごめん、まだ」


 彼女は苦笑を漏らした。


「あなたも目、赤いね。あたしのために泣いてくれてたならいいや」


 そうして私を横切って部屋に入ろうとした彼女を、私は抱きとめた。誰にも見られないよう、急いでドアを閉めながら。


「ねぇ、お父さんとお母さんにもう一度、会ってくれないかな」


 私は彼女を抱きしめながら言った。


「私たちがお父さん達から見たら変なやつらだってこと、わかってるつもり。結婚だって法的には認められてないってことも。でもやっぱり、私はあなたが好き。花が大好きで、たくさんの人を花で喜ばせたいあなたが好き。ずっと一緒に生きていきたいよ」


 彼女も私の腰と頭に手を回した。そして私の長い髪をなでながら、言った。


「うん、もちろん。あなたには悪いけど、あなたの両親が認めなくったってそんなことはどうでもいいの。大切な人に寄り添っていたわろうとするあなたが、あたしも大好きだから」


 そして耳元に唇を近づけた。


「それから約束して。『私が男に生まれていればよかった』なんて、二度と言わないで」


 私は了承の証として、彼女の顎に手を添えてその唇をふさいだ。伝えたい言葉を伝え終えれば、あとの気持ちはこうして伝え合うのが一番気持ちいい。


 柔らかな彼女の唇をようやく放すと、笑みを漏らしながら言った。


「ねぇ、ハナキリンの花言葉ってこれじゃなかったっけ」


 彼女も微笑みながら答える。


「うん、『早くキスして』。形が唇に似てるからって安直だよね」


 そうしてかぐわしい花の香りを漂わせながら、今度は彼女から唇をふさがれた。


(終)

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ハナキリンの朝 機人レンジ @Trooper85

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