3:不明の泥濘をまさぐる代価を
目的も着地点も不明瞭なまま、査問会は本所市のエースを拘束し続けていた。
時刻は四時の手前。昼休みを挟んで、六時間ほどが経過している。
主役は、頬にこそ緊張を保っていたものの、内心では辟易とした悪態をつかずにはいられないでいた。
なにしろ、
「では、本部の指示を仰がず作戦行動に出たと?」
「装備無しでの作戦行動は厳に戒められているが、どういう判断で以て実行に移したのか?」
「結果、敗北に至る。判断に間違いがあったと認めるか?」
「各判断において、君の精神状態は正常であっただろうか?」
つまらない事実確認と、こちらの否を鳴らす言葉の合唱なのだ。
丁寧に応対し、返す言葉に応酬したとしても、押し込まれたところで議論が切り上げられる。
こちらに返答を求めるのなら、まだいい。
一時間に一度ほどの頻度で総括めいた取りまとめがあり、常に『斟酌できる点もあるが、軽率かつ短絡である』と非難するだけで次の議題に移っていく。
遣り取り自体はくだらなく思うだけだが、この空虚で不快な拘束に、貴重な時間を削られていると思うとめまい覚える。
しかも、まだまだ終わることはない。
今日は五時で閉幕するのだが、翌日も同時刻から再開される予定なのだ。
辟易と、肩で息をついてしまう。
「リスクを負って作戦行動に移り、しかし、誰一人捉えることができず情報を手に入れることができなかったのでしょう?」
「君が無理に動く必要はなかったのではないだろうか?」
「行動に移す前に、そのリスクを勘案できなかったのかしら」
こんなくだらなく内容の無い質疑に、明日一日付き合わなければいけないと思うと、だ。
せめて、今晩は美味しいものを食べよう。付き合わせている『あの人』へのお詫びも兼ねて、素敵なお店で暴食を許そう。
その一点のみを楽しみに、いましばらくの針の筵を跳ねつけんと頬の緊張を引き締め直していく。
※
土曜の夕刻。
門は閉じ、最低限の人員を残すばかりの閑散とした組合事務所に置いて、会議室の一角ばかりが煌々と明かりを灯していた。
明かりを管理するのは、本所支部の長である大瀑叉・龍号である。
事務員の大半をカレンダー通りに休ませたとしても、管理職たる彼の腕には解決すべき問題が目一杯に抱えられているために、出勤せざるを得なかったのだ。
第一に、謎の組織について。
第二に、謎の組織に与えられた被害の後処理について。
グローリー・トパーズの査問会のその一つであるが、それ以外に実被害実態の書面化や、補償についての手続きなどだ。
そんな休日を返上し書類と格闘の末に目頭を揉みしだく初老に、状況は更なる責務を果たせと迫っていた。
「道下宮坂商事を? 佐々木くん、どういうことだね?」
胡乱な凶報は、査問に召喚された少女に同伴させた信頼を寄せる新人によるものだった。
「大手の商社だ。一昨年あたりから当県への進出に伴って、県組合に少なくない額の寄付があったのは確かだが……」
『査問会に出席している民間企業の三社、どれも道下宮坂グループ企業の影響下にある企業でした。まして、県内に進出してくる大企業です、行政側が意向を汲むことは十分にありえるかと』
「その商社が、査問会の風向きを決めると?」
『そもそも、査問会自体が目的なのかも』
「さすがに突拍子もないだろう」
県組合が主導で開催したという事実でさえ、目的が不明瞭で、自分を含む関係者らが当惑しているのだ。
そのうえで、主導しているのが県外から進出してきている大企業であると?
「だからこそ、か」
老人は、疑いに重なる疑いを険しく睨む。
眼前の謎が最奥の謎を紐解くことで、腑に落ちるかもしれない。
『組合の線から辿れませんか?』
若者の声は常の落ち着いた様であるが、言葉に立つささくれに焦りが見える。
龍号は、彼の言葉を検討するのと平行し、声の棘に首を傾げる。
「しかし、急ぐのかい? こちらも諸々で手一杯なんだが? 謎の秘密結社『サニーデイズ・アセンツ』に加えて、大企業の調査となるとは」
『ユキヒコさんから教えてもらったんですが』
なるほど、昨日の今日で突然に動き出したからには転機があったかと思ったが、協力者がいたのか。
それも県内屈指の事情通である。
表の顔で芸能事務所を営む彼は、伝手とコネと情報で戦うビジネスマンだ。
県内県外問わず、顔は広く、耳は聡い。
佐々木・彰示も、それをわかって頼ったのだろう。
『査問委員の三社なんですが』
ならば間違いはあるまい、と耳を傾ける。
『この一週間以内にそれぞれ、道下宮坂から援助協力があったそうです』
※
事情はそれぞれ違う。
一方は新事業計画への斡旋で、片や工場設備への投資援助、取引規模の拡大など。
「であるが、アメには違いない、か」
『ええ。さすがに、公機関への接触までは探れなかったそうですが』
「いや、十分だろう」
大企業が一少女を吊るし上げるに、性急かつ乱暴に後押ししている。状況は、疑いようのないところまできており、客観的な確証を欲するばかりだ。
「先方が急ぎ行動しているということは、対応も急がなければいけないな。何か起こってから慌てたのでは、遅きに失する。向こうの目的くらいまでは手を伸ばしておきたいとこだ」
『お願いします。こちらも、同僚の伝手で探ってみます』
主導者が判明すれば、あとに残る疑問は一つ。
「しかし、大きな身代の大商社様が、なにをしたいのだろうかね」
『単純に見れば、組合への影響力を増したいのでは? もとより、多額の寄付をしているのでしょう?』
「影響力ねえ……持って、どうする?」
端的に、組合というのは一種の治安維持組織である。
事故や自然災害、特定の事件への対応権を持つが、通常の警察組織と違う。緊急対応が常であるため、例えば警察組織ならば可能であろう『お目こぼし』などは不可能だ。
一企業が関与し、利を得ることなどあるものだろうか。
そこに影響力を持つ、という意味合いにいまいちピントが合わない。
疑問は電話口も同じようで、返るのは小さな唸り声ばかり。
「まあ、調べれば自ずとわかるだろうさ。こちらに任せなさい」
『すみませんがお願いします』
「そっちはそろそろ終わりかい? 今晩は、湊くんをねぎらってやってくれ。あとだね……うん?」
『どうしました?』
「いや、内線がな。すまんが、明日もよろしく頼む」
挨拶を交わして通話を終えると、持ち込んでいた子機に指を。
聞き慣れた、感情のない少女のような宿直担当が、
『組合長。お客さまです』
やはり無感情な声で要件を伝える。
「来客? 今日は休みなのにかい、静ヶ原くん?」
『組合員のために、待機所側は開放していますからね』
なるほど、と嘆息しつつ、腰を上げる。
休みで、かつ五時を迎えようとしている時刻に約束もなく尋ねた無礼者の顔を拝んでおこうか、と愉快そうに頬をほころばせて。
けれども、間を置かず、口元ならず目元まで引き締まってしまう。
『道下宮坂商事の新真下さん、だそうです。心当たりはありますか?』
今まさに、背景を洗わんと決めていた相手が、向こうから乗り込んできたのだから。
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