2:仮面の下の素顔は冷たく不可解で

 本所市は、夕刻へ向かう頃合いにあり、なお夏の容赦ない陽気さに浮かれていた。

 時刻は三時三十分の手前。

 並ぶビルや敷かれたアスファルトが、気持ちだけオレンジに染まってはいるものの、熱と光量は衰えを知らず。

 行き交う人も、土曜の夜が長くなることに心を弾ませていた。繁華街の広い駐車場では、あちこちでビアガーデンが開かれ、週末を楽しむ『乾杯の練習』を繰り広げる。

 そんな賑やかで明るい声の立ち昇る通りを、けれど彼女は心を重くして急いでいた。

 綾冶・文は、俯きがちでずり落ちる眼鏡を直しながら、口元を固く。

 向かうのは『職場』だ。

 年若い少女ばかりの魔法少女組合において、労働基準法で八時及び十時以降の就労制限はとかく悩みの種である。

 特に十時以降の就労については、十八歳以上の必要があるため特に。

 なので、条件を満たす綾冶・文は簡単には休めないのだ。

 その胸に、鉛のような不安を抱えていようとも。

 

      ※


 相棒たるジェントル・ササキは、支部のエースであるグローリー・トパーズと共に『査問会』へ赴いている。

 故に、今日の活動はサイネリア・ファニー一人だ。

 本来、幼さから単独の活動を許されない魔法少女にとって、相棒なしの出動とは『組合の信頼』を勝ち取った例外である。

 現に、本所市では『エース』と自分の二人だけだ。

 ……自分の場合、労基法に引っ掛からない人材の不足のせい、でしょうけども。

 けれども、グローリー・トパーズは『本物』だ。

 齢十四にして、視線と意識を高く保って厚い信頼を勝ち取ったのだ。

 その彼女が『不祥事』で以て、県組合に異例の詰問を受けることになった。

 残されたこちらの不安は大きい。

 問題の状況を聞くに、湊・桐華の下した判断は正当であろうと判断できた。

 正体不明の敵の無秩序な破壊攻撃に、現場で対抗できうる者は彼女しかいなかったのだから。

 組合の理念に基づいて街の平和を守ったにすぎない。それなのに、突発状況であったために組合が規定する『身元を隠すための装備』が用意できなかったというだけで、前例のない召喚という目に。

 無装備がダメというなら、

 ……ササキさんみたいに『他人の上履きを顔面に装備』すれば良かったんですか⁉

 報告書にあった、幼い文の正気をストライクした一文を思い出す。

 そんな暴挙は、土台から無理な話だ。だってグローリー・トパーズには築き上げた外面があって、多分素顔で戦うよりハイダメージなんですもの。実行に移した魔法使いのダメージは知りません。

 だから、文は胸を重くする。

 同じ状況で、自分は、彼女と同じ選択が取れるだろうか。

 自分が動かなければ他に誰もいない時に、後先を振り切って、何かを失うかもしれなくとも、戦う事ができるだろうか。

 不安が、渦巻く。

『あの子』にできて『自分』に出来なければ、『あの人』はどんな顔をするだろう。

 わかる。

 非難などせず、きっとあなたは頭を下げる。その状況に押し込めてしまった俺が悪いのだ、と。

 わかるのだ。

 だからこそ『その時』には動きたいのだけれども、果たして自分にその勇気があるのだろうか。

 不安は、錨のように胸に沈んでいる。

 そんな深海に、陽光が踏み込んできた。

「あっれ、あやや?」

「え? あ、MEGUさん?」

 棒アイスを銜えたMEGUが、コンビニから姿を現したのだ。

 アイドルらしく私服姿も眩しい彼女は、に、と笑って駆け寄ってくる。

 己と、己の価値観に絶対の自信を持つアーティスだ。彼女の携える光量は、不安の暗がりを見回すに十分である。

 たとえ、錨は抜けていないままだったとしても『救われる』灯火であった。


      ※


「あやや……あの頭おかしいのと、自分を比べちゃまずいよ?」

 秘密結社もアイドルの活動もない試験明けの土曜日。MEGUこと長谷部・恵瑠は暇を潰すために同行を願い出て、文もありがたく申し出を受け入れた。

 沈む胸を抱えて足を引きずるより、話し相手が居てくれた方が幾らも建設的だ。

 けれども悩みの吐露に対し放たれたのは、

「頭おかしい? 湊さんが、ですか?」

 乱暴な、あと『お前が言うか?』な、人物評であった。

「そ! 私なんかただの『普通の女の子』よ?」

 いや、魔法少女でアイドルで、加えて口を開くたびに『ジェントル・ササキの社会的抹殺』をしかねないフリーダムな精神活動を行うあなたが?

 普通、という定義に深刻な懊悩が沸き立つが、

「前にさ。関東の秘密結社が、気球船から戦闘ドローンを撒き散らしたの。ターゲットは官公庁で、目的は実地プレゼンでさ」

「へええ……都会は凄いですね。組合の対処が前提なんでしょうけど、何人の魔法少女が必要になるか……空中戦の可能な人数を考えると……」

「ね? 普通はそう考える。だけど、アイツは」

 いつも強気で自信をみなぎらせる彼女が、息を呑み目を伏せ、

「一人で解決したのよ」

「え? だって……」

「そう、空なんか飛べないのに」

 アイツは異常なのだ、と訴えるのだった。


      ※


 一目散に地上を目指すドローンに対し、少女が採った手段は広域放電による機能停止。

 その後、墜落までの僅かな間に次々に飛び移っていったのだ。義経の八艘飛びもかくやという様で気球船に乗り込み、事態を無事解決に導いている。

 概要を聞き及び、文は寒気に撫でられ背筋に鳥肌を立ててしまった。

「ちょっと待ってください。根本からおかしいですよ、その作戦」

「そう。まず、地上を目指すドローンと接触する高度まで、どうしたのかって話よね」

 破壊にしろ、飛び移るにしろ、まずはそこまで到達しなければならない。

 それ自体は予想できる。

「前に、ダーリンが似たようなことしたでしょ? 水蒸気を利用した簡易ロケットで」

「ええ、ええ。空を飛ぶマレビトに向かうために……」

「それ自体は出来なくもないわよ。だけどね、失敗したら墜落で大怪我よ? 下手をすれば……」

 最悪の事態だ。

「私、中継で見ていたの。なにこれ、どうすんの? って好奇心だけでさ。そしたら、今から発射されるってところで、あいつ」

 残ったアイスの棒を噛み折り、MEGUが口元を歪める。

「笑っていたのよ」

 まともじゃないわ、と畏怖と感嘆を込めて呟く。


      ※


「それにしても、ヘリコプターがすごいですね!」

 凍てついた空気を変えるよう、文は上空の騒音へ話題を逸らした。

 昼頃からだろうか、今日はやけに賑やかだ。

「え? あやや知らないの? 沖合にクジラが出たんだって」

「クジラ? それは珍しいですね」

「とはいえ、こんなひっきりなしでヘリが飛ぶ必要ある? 私らのライブの時も、同じくらい飛んで欲しいわ!」

 両手両足を広げ、不平不満を訴える彼女の姿に思わず笑みが誘われる。

 元気な姿を見せて、他者に分け与えられるのは、きっと彼女の特別な力なのだろう。魔法とは別の、彼女自身の在り方からくる力だ。

 湊・桐華が特別であるように、彼女もまた唯一無二なのだと、文は思う。

 さすがは、と感心して、

「あ! クジラのベッドって凄くない⁉ ダーリンと一緒に一日中イチャイチャしてさ! 中継のヘリコたちに見せつけてさ! ああ、いけない……! クジラさんが潮を吹いちゃううぅ……!」

 さすがだ……と、恐怖する。

 腰をくねくねさせ始めた中学生から少し、少しだけ距離を取る。

 ちょうど、目的地である組合の目の前であり、

「あれ?」

 そのドアを押し開ける女性の人影に、思わず首を傾げてしまう。

「どうしたの、あやや? 知り合い?」

「いえ、面識はないんですが、確かあの人……」

 スーツを着こなす姿と、端正な横顔に見覚えがある。

「佐々木さんのお仕事の方かと……花火大会のプレ開催の時、ちらっと見かけて……」

「え? だってダーリン、アイツの付き添いで留守なんじゃないの?」

「そもそも、事務所は土曜休みですよ? アポを取ればわかるはずですけど……」

 頭を捻れども、答えには至らない。

 少女二人は疑問に顔を見合わせるが、とにかく夏の日差しから逃げ出すことが先刻だと、エアコンの隙間風に誘われるよう、出勤を果たしていく。

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