12:胸の音は誰より高く
危険域のササキのために、サイネリア・ファニーは命綱から脱する。
暗闇の中で彼を見失わないよう、置いていかれぬよう、目を逸らさずに手足を繰る。
余力を残すことなど考えられない。
全霊で以て、彼に手を伸ばす。
触れた指先に伝わるのは冷たさ。海水によるものか、それと彼の手がそれほどに冷え切っているのか。
どちらにしろ、余地はない。
辿り着いたことを伝えるために、引き寄せて。
体の温もりを分かち合うために、抱きしめて。
持ち込んだ酸素を与えるために、唇を寄せて。
もう離さないと、細い腕にありったけの力を込める。
痛いほどに高鳴る心臓の音は、あるいは魔法使いの『ギフト』のせいなのだろうか。
※
『おい! バカが!』
突然の悪態が、指令室に響く。
どうしたのかと、澪利が先を促せば、
『あのクソガキ、命綱を切りやがった!』
「なんだと、夜の海の中だぞ!」
「海面から……見えるわけないか……!」
「くっそ、なにが……!」
誰もがどよめき、動揺を発露する。
無感情な声で元エースは、事態の把握に焦る。
「まさか……海中で通信も届かないですよ。状況が……」
『わかるわけがねぇ! くそ、私も飛び込むぞ!』
「いけません。目印も帰路も準備がない以上、二重遭難の可能性が大です」
『だからって……!』
「クローバーさん、その場で待機を。こうなれば正順手となるので、海保の誘導を優先です。車のライトは生きているはずですから、目印になってください」
『……くそ!』
気持ちはわかる。
魔法少女の仕事であるとはいえ、大人の目論見と準備不足に巻き込まれたのだから。
手は打てるだけ打たねばいけない。
けれど『その時』を、昏く覚悟しなければいけなくもある。
暗澹と、マイクを握りしめれば、組合長らに状況を伝えるために、マイクのスイッチャーを操作。
と、その背中に、同僚たちの焦燥に濡れた声が響く。
「海中に巨大反応! マレビトが再活性したか⁉」
※
海面が割れるのを。
夜が膨れ上がるのを。
ストライク・クローバーは、唖然と見下ろしていた。
先刻まで悠々と空を走っていた岩石型マレビトが、浮上をしてきたのだ。
その背に、
「……なんとまあ、人工呼吸にしちゃあ長々と……」
本所市における『ある種』トップであるコンビを横たえさせて。
サイネリア・ファニーが魔法使いに馬乗りになって、両手首を押さえつけたうえで口を口で塞いでいるという『逆なら事件』な事案状態なのは、どうしてなのかは深く追求はせずに。
したくもないし。
※
突然の覚醒に、ササキは四肢を軽く跳ね上げた。
目の前は正真正銘の夜空で、肺もちゃんと膨らんでいる。
そして、全身に伝わってくる熱いほどの肌の温もりと、皮膚を叩くのがわかるほどの強い鼓動。
生きているのだ。
そして、救われたのだ。
覆いかぶさっている彼女に。
守るべきと思い続けていた『相棒』に。
すごくありがたくて、嬉しくて、だけど懸念もあって。
荒く息を整えながら微笑む君は、満足げに濡れる唇を動かして、喜びを分かち合うための、懸念を形にするための言葉を紡ぐのだった。
「ササキさん……ササキさんと違って私、約束は守りますからね」
※
『ササキさんのギフトが本来の興奮と運動と相乗となって、マレビトを再活性させたようですね』
魔法使いが己の鼓動で維持していたのだから、理屈としてはあっている。
「とはいえ、再浮上するほどか? あいつがくっついていた時は、落下速度を緩める程度だったのに」
『サイネリア・ファニーには前例がありますからね』
かつてマレビトと対峙した時に、興奮のあまりに、艦船を丸ごとバラバラにできるほどの『ギフト』を発揮したことがあるのだ。
「……まじか? 確か、せいぜい二メートルくらいじゃなかったか、射程って」
『ええ。ですから、異常と。再現性もなく、確認のしようもなかったのですが……おそらく、という仮定はありました』
体格的に比較的恵まれた彼女は、その体躯を動かすためにおそらくは、
『心臓がとても強いのでしょう』
だから、心拍数を跳ね上げられる。
力の源泉である『ドキドキ』を、他の魔法少女よりも発露しやすくなっているのだろう。
なんて結論だ、と呆れてしまうストライク・クローバーであったが、寄り添う二人を見ていると、思わず笑みがこぼれてしまう。
「そりゃあ、ギフトまで相性が良いんじゃ、敵うわけないわな」
『実際、ハードソフト両面で良いコンビですよ』
伝説とまで謳われた元エースが言うのだから、相当なのだろう。
その彼女が、なので、と言葉を続ける。
『救助の準備を。そろそろでしょう』
「ん? どういうことだ?」
疑問を返した途端、見下ろしていたマレビトの姿が遠くなったようなそんな気が。
「……また落ちていってないか?」
『最初は二人とも酸欠で頭が暖まって、傍目を気にせず心臓バクバク言わせていたでしょうからね』
つまり、と落ち着いて冷静に論理的な指摘。
『成人男性を組み伏せて唇を強奪している姿が、まあ関係各位にお届けされている事実に思い至れば、サイネリア・ファニーはともかく』
無感情の声が一拍置けば、ざらつく無線が少女の、
『ササキさん……お布団、ちょっと大きすぎちゃいましたね』
はしゃぐのを隠し切れない弾む声をお届けしてくれものだから、当然、
『ササキさんの『肝は冷える』頃合いではなかろうか、と』
「いやあ……優等生ぽいけど、それこそ『アイアンハート』だなアイツ……」
『公衆の面前で『ぐちゃぐちゃになりたい』と叫ぶくらいにはメンタルが固いですからね……』
色は『ピンク』だなあ……なんて苦い顔をしているうちに、二人を乗せた『キングサイズベッド』は派手な水しぶきを撒き立てながら、海面に盛大に叩きつけられていく。
しまらねぇな、なんて呟いて命綱を投げ入れると、ストライク・クローバーはそれでも『良かった』と独り言ちる。
彼も、彼女も、そして自分自身も、己の『役割』を成し遂げることができたのだ、と。
少々ながら、誇らしく口の端を持ち上がってしまうことが誇らしい。
だから、ああ、と気が付かされる。
自分は今、すごく『楽しんでいる』んだなと。
手を伸ばし『欲しかったそのもの』ではないけれども『見合った最大限』を掴み取れたのだな、と。
それが、言いようもなく愉快に、胸の奥をくすぐるのだった。
第五章 了
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