9:心臓を強く響かせる
本所市は日本海に面した都市であるから、街を横断する河川も広く大きい。
当然、河川敷も広大に長大に確保されている。ふらふらと姿勢を不安定に揺らめくフェラーリが不時着するのに、障害は明りの少なさ程度であった。
緊急時用の発電機を運び込み、投光器を手持ちで夜空に投射すれば解決である。本所支部の人手が要求され、事務所が空にはなってしまっているが。
であるから、傷だらけの少女たちは危うい事もなく帰還を果たし、皆の顔に安堵と歓声が上がれば、
「ササキがまだ残っているんだ!」
運転席から飛び出したストライク・クローバーからの悲報に、緊迫が喝采を差し止めるのだった。
※
悲鳴のようない彼女の訴えに、現場の誰もが悲痛な理解を沁み込ませ、
『各位、ジェントル・ササキが対象を海岸へと再誘導しています。援護を』
突然にオープンになった無線から、抑揚ない焦りの満ちる報告が、追い打ちをかけてくる。
「ひとまずこの場は撤収だ!」
「海保に連絡を取り直します! 何にしろ足が欲しいでしょ!」
「サイネリア・ファニーを回収しろ! ソーミさんに預けるんだ!」
「それは俺が!」
「いや、俺が!」
「上半分は俺に任せろ!」
誰もが顔を見合わせて慌ただしく撤収準備を開始する中で『即決裁判で極刑』がスピード裁決されていくが、些事は捨て置き、現場の責任者は今後のプランニングを要求されていく。
「静ヶ原くん、状況はどうなっている?」
『現在、バックパックを日本海側へ投擲し、対象の進路を誘導しています』
「ちょっと待った、トウィンクル・スピカ。それなら、ぶん投げた後で一緒に帰還すればよかったじゃないか?」
『ユキヒコ・ウェンディゴ。そうはできない、ササキさんが現場を離れられない事情があります』
岩石状の生命体であるマレビトは、今や体の大半を砕かれ、生命としての機能を有する各部分も損傷し、瀕死の状態にある。
『人間で言えば、血液を送り出すポンプである心臓が不全の状態でした。それを、バックパックが発する『波動』で強引に維持していたのです』
「……それでは……取り除かれ、投げ出された今は……」
『不可欠であるからこそ、追いかけて海を目指しています、絶海のリバイアサン』
「……いや、不可欠が『欠けた』マレビトは……どうなっている……?」
皆が、誰もが息を呑む。
想像が、容易く突き当たる安易な疑問だ。
けれども、一縷に縋って言葉を待たねばならなくて。
『……浮力が弱まったのか、降下速度が増しています。当初の試算では海に辿り着けず、手前の住宅街に……』
「はあ⁉ じゃあ一緒に帰って、砕いた方が確実だったじゃねぇか!」
「落ち着きなさい、ストライク・クローバー。静ヶ原くん、試算は『当初』なのだね?」
『はい。現在は修正、海洋上まで維持できる予測です』
「……どういうことになっているんだよ……」
皆の疑問を、代表して少女が呟く。事態の進行に、誰も思考が追いついていない。
龍号が、一つ頷いて己の経験値を披露すれば、
「ササキくんだな? おそらく、対象がストライク・クローバーを取り込んだのも偶然ではなかったわけだ」
「んん……どういうことですかね、テイルケイプ頭領」
『組合長の言うとおりです。なので、ササキさんは現場を離れられません』
孤軍で死地にある魔法使いが、奮っているのだ。
『彼が、自らの心拍でマレビトの命を維持しているのです』
文字通りに、命を燃やして。
※
予想の通りであった。
自分が伏せて、全身を押し付けているこの死に瀕する来訪者は、明らかに墜ちる速度を増していた。
そして予想の通り、今は降下速度が緩んでいる。
この、心臓の脈動によって。
「持ってくれよ……!」
とはいえ、血が失われ、切り裂く風に晒されていては、自覚できるほどに鼓動は小さい。
海まで。
ほんの少しの距離の間だけ、脈打ち続けるだけでいいのだけれども。
「足りないか!」
機首が大きく下がり、本所市のまばらな夜景を、守るべき人々の安寧たる営みを、魔法使いに突き付けてくる。
心臓の鼓動が、押し出す血圧が、足りないのだ。彼に命を吹き込めぬほどに。
ならば、なりふりは構っていられない。
ここに残った理由が。
生命を賭ける根拠が。
成すべきを成すため。
「止むを得ない……!」
くだらない保身なんか投げ捨てて、この身の危険など省みる必要はなくて。
ただただ、街を守る、その一点を以て、懐の携帯電話を握りしめると、
「静ヶ原さん! サイネリア・ファニーに伝言をお願いします!」
追い込まれた、この窮地を穿たんがために。
「いますぐ『なるべく肌色成分多め』な画像を送るように!」
心拍数を上げなければならない。生き残って後ろ指を差されようとも。
※
「話はわかったわ、ダーリン! 私に任せて!」
※
マレビトの機首が、痛ましいほど下がった。
後にジェントル・ササキは語る。
「画像を見た瞬間『法廷』を想像して血の気が引いた。あれほどの恐怖は、短い人生の中で初めてだった。『単純所持』って奴でしょ?」
と。
※
協議の末、ひとまず代表の『二の腕』に一肌脱いでもらうことに。
※
マレビトの機首が、なお一段と下がった。
後にジェントル・ササキは語る。
「画像を見た瞬間『全てを察し』て血の気が引いた。全てを捨てたつもりだったが、守りたいものが残っていた。MEGUちゃんの後にあれで『機首』が上がったら、それこそヤバいでしょ」
と。
※
「だああ! もう『待った無し』じゃねぇか! 指名はサイネリア・ファニーだけど、私でも大丈夫だろ! 前に『鳥みたい』になっていたし!」
※
『高度安定、お手柄ですストライク・クローバー』
無感情なオペレータが、尚更無感情に作戦の成功を伝えてくれる。
「意識ない未成年の服を剥いで撮影とか、それこそ『回転赤色灯』だろうが」
『それで『高度』が上がったら『致命傷』でしたね』
誰もが、物陰から顔を真っ赤にして出てきた粗暴な少女へほっこりとした感謝を。
そうして、見上げる。
星の海を流れる、一筋を描く岩の船を。
誰かが呟く。彼は勇者だ、と。
「満天に、自分の『性癖』を晒すだなんて」
そして、他の誰かが応える。
「けど副支部長に似たようなこと仕掛けたろ? 自業自得かなって」
言われてみれば、と満場が一致するなか、流星は悠々と往く。
夜に沈む、広く静かな海原へと。
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