7:目覚める不穏

 日曜の朝。

 初夏の西風がそよぎ、けれどまだ涼しいこの時間帯は新たな緑の薫りが爽やかに、人通りの少ない大通りを駆け過ぎていく。昼に近づけば、きっとむせるように立ち込めることを予期させる、燦々とした日差しに照らされながら。

 窓の外の起きたばかりの新鮮な陽気は、しかし魔法少女組合の本所支部の窓に曇らされてしまう。

 空も暗いうちから灯されていた室内灯が、消されることを忘れられたまま、煌々と仕事を続けているせいだ。

 明かりの下で、長机に数多の書類を並べる、疲労を隠し切れない巨漢の姿。

 本所支部長である大瀑叉・龍号は、手にした書類に赤ペンを幾本か走らせると、一息をついて背もたれに体を預けた。

 酷使した目元を揉みほぐせば、作業場としていた会議室のドアノブが、来客を告げる。

「何時からやっているんです、組合長? 明かりもつけっぱなしで」

 現れたのは、呆れを強い面持ちに浮かべた、私服姿の少女だった。

 湊・桐華。魔法少女『グローリー・トパーズ』として全国に名を馳せる、電撃を操る本所支部のエースである。

 そんな彼女が、日曜の組合事務所に顔を出すのは、

「おや、今日は君が当番か」

「ええ。ジェントル・ササキとサイネリア・ファニーが揃って出向しているので、代打で」

 休日の待機担当の為だ。

 敵対する秘密結社『テイルケイプ』は事前通告以外の作戦は行わないが、事故や災害に備えて人員を確保しておく必要がある。

「先月の、公安絡みの異常な過密状況も解消したし、のんびりさせてもらいます」

「のんびり……相棒の滑山くんは……」

「囮の衣装を一式、囮の待機室に備えておけば、クローゼットの中にでも潜んで一日潰してくれるはずですよ」

 事もなげに語る瞳は『心のヒビにコンクリートを塗り込んだ』色をしていて、もうまさに『組合の被害者』だ。目頭を押さえながら、十全な予備衣装の用意を約束することで、罪悪感を紛らわせると、

「それで、組合長は夜を徹して何を調べていたんです? 会計報告書……顎田市の?」

 隣に回り込み、居並ぶ書類に目を落としてくる。

「昨日にさあ帰ろうか、というタイミングで佐々木くんから連絡があってね」

 その折に記したメモを引き寄せ、エースに示す。

「顎田支部の、ここ数年の引退魔法少女についてと……新体制になってからの年次会計報告書?」

「ああ。引退後、組合へ法的な行動に出た人間はいるかを中心に、パーソナルを確かめて欲しい、と。会計報告書の方は、不審な予算出動がないか、だな」

「それって……顎田支部に問題がある、と? それも、所属魔法少女に対する非合法な」

「佐々木くんの憶測だよ。ただ、証言者がいるらしい」

 昨夜に敵対した、秘密結社に属する元魔法少女が組合に対して強い憎しみを持っており『こんな体にされた』と恨み言を口にした、と。

 桐華は頬を青褪めさせて、息を呑む。

「体にメスを入れたとか、薬物を使っているとか、そういうことじゃないですよね?」

 加えて『乱暴』の可能性も考慮していたが、

「表立った資料からは、埃の一つも立っていない」

 表面上は、清潔な数値が並んでいるのだ。


      ※


「組合への反発を口にするのは、件のストライク・クローバーだけだし、彼女にしても法的に戦う姿勢は見せていない」

 一晩で出した、とりあえずの結論だ。

 受けて、腕を組んで眉を寄せる少女は、それでも、と食い下がる。うすら寒い想像に、可能性の欠片を感じ取ったせいだろう。

「会計の方はどうなんです」

「内訳の精査はまだだが、通常の枠内に収まっている。待機室の増設や食事の提供を開始した三年前から施設管理費用は膨らんでいるが」

「その膨らんだ費用の内訳は『キレイ』なんですか?」

「ざっと見たが、怪しげな項目は存在しない。先方が管理している領収書を確かめる必要はあるが、まさか判子の必要な書類に堂々と虚偽記載はすまい」

「ということは?」

「食事に拡張された休憩室、田舎の小さな支部からは羨ましいほどの充実した福利厚生を施している、ということだね」

 つまり、お手上げである。

 書面上に問題がないのだから残りは物証を見つけるしかなく、それはこの会議室からでは無理難題だ。

「報告はするが、どう扱うかは彼らに委ねるしかない」

 根本的に、顎田市の運営に関する疑いなど、龍号自身も初耳である。何かしら不穏な噂なら影だけでも耳に入りそうなものだが、あいにくという現状。

 くわえて、所属する魔法使いが提出してきた証言も、心証の大きさがネックになる。

 諸手をあげての協力は、躊躇われるところだ。

「ですね。ここで気を揉んでも、どうしようもない」

 身を固くしていた少女も、肩を落とし、息をついて、気持ちを切り替えたようだ。

 十四歳という若輩で全国レベルの実績を誇るのは、このメンタルコントロールの強さだろうなあ、とエースへの再評価を下して、時計の針を確かめる。

 午前の九時、その五分ほど前だ。

「おっと、そろそろ現場が動き出す頃合いかな」

 テレビリモコンを操作し、チャンネルを次々にあたっていくと、その中にコンビニ袋を被ったスーツ姿の『正義の魔法使い』が『2×4』を構える雄姿が。

 子供らを含む野次馬たちは目を見開いて恐怖にざわめいているが、こちら二人は慣れたものだし、

「今日のジェントル・ササキは違うわね。マスクのシワに気合が見られるわ」

 彼のギフト、処女の動悸を激しくするという『処女殺し』の被害者は誇らしげに胸を張っていて、いやエース、君は本当にそれでいいのか? 脳か目の疾患ではないか?

「あら? あの女幹部……」

 親御さんから預かっているという責任感を果たすべきか懊悩していると、彼女が驚きの声をあげて画面を指さして見せた。

「魔法少女崩れとは聞いていたけど、彼女だったのね」

「知り合いかい?」

「挨拶をした程度ですけど……ああ、この子よ」

 と、書類の中、引退した魔法少女たちの資料から一枚を引き抜き、視線を滑らせながら、かつての記憶を教えてくれる。

「フレグランス・クローバー……実績も言動も容姿も、目立ったところのない先達でした」

「名前をストライク・クローバーに変えて、秘密結社に鞍替えをしたわけか」

「組合に恨みがあるならわからなくも……え?」

 不意に、桐華が驚きの声をあげて、言葉と視線を止めた。

 どうしたのかと、向きなおって首を傾げると、

「この資料は、去年のものですか?」

「ああ。健康管理や衣装データのために、君も毎年更新しているだろう?」

「つまり、彼女が組合から去る前の、最新のデータだと……」

 まじまじと、穴を開けんとばかりに見つめていると、不意に苦々しく眉根を寄せて、

「ジェントル・ササキは……彼女に勝てないかもしれない……!」

 不穏な予言を零し落とすのだった。

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