4:ネオンの下に暗雲が湧き立つ

 事の発端は、顎田支部における高い損耗率から発生する欠員の、補充依頼であった。

 日曜の稼働人数を確保したいがための要請だが、本所支部としては当初難色を示していた

 理由は簡単で、顎田市ほどではないが動かせる人員に限りがあるためである。

 人数が少ないためローテーションが厳しく、特に夜帯を任せられる戦力となるとさらに一握りとなる。

 そんな貴重な人員に、一時とはいえ負担を強いることへ首脳陣は眉をしかめたのだが、出動を良しとしたのは意外なことに、当人である『サイネリア・ファニー』であった。

 元より能力と実績の不足から物怖じしがちだった少女が、だ。夏服の涼やかな格好の彼女に、胸を張って任せてくださいと啖呵を切ってしまわれては、承諾せざるをえなかったのだ。

 ちなみに、その時点で相棒のジェントル・ササキは、サイネリア・ファニーの市外デビューの『危険性』を自身の『腰の折れ曲がり具合』を根拠に訴えていたが、これまでの言動を鑑みるに『まあ配慮は不要かな』という政治的判断が下されている。

 そんな、アウェーデビュー戦を鮮烈な悪夢としてお茶の間を慄かせた『本所支部の劇物』たちは今、

「ああ……ここも閉まっています」

「十時を回ってしまうと、どうしてもお店は限られてしまいますね」

「さすがに、綾冶さんを連れて居酒屋というわけにもいきませんから」

 夕食のお店を探して、繁華街をさまよっているのであった。


      ※


「シメ狙いのラーメン屋さんはちらほらありますが」

「静ヶ原さん、さすがにこの時間のラーメンは……」

 ただでさえ仕事の衣装がきついのだから、勘弁して欲しいというのがサイネリア・ファニーこと綾冶・文の心底からの願いであった。

 ただでさえ、二日だけの稼働のうち初日は遅刻からの相棒による単独解決だったのだ。そのうえで、二日目は衣装がはち切れて不参加となっては、反対を押し切って参加した立つ瀬が無さ過ぎる。

 とはいえ、こんなにも条件に合う食事処が見つからないとは意外であった。

 顎田市最大の繁華街『川端かわばた地区』は、昼はランチ店が多いが、夜は完全にアルコールを提供するお店の独壇場である。土曜の十時を回ろうと雑踏と言って良いほどの人足があり、彼らは夕飯ではなく、酩酊を目論んで暖簾をくぐっていくのだ。

 本所市にも繁華街はいくつもあるが、この街は規模が違う。

 ただただ圧倒されていると、

「もう少し行くと大通りですから、そこでファミレスにでも入りましょう」

 先を行く背中は、こちらがはぐれないよう手を引いてくれた。初夏の陽気のせいで、繋いだ手の平に汗がにじんでしまうのが、少し恥ずかしい。

 彼の逆手を見ると、ちっこい元美少女がやはり手を引かれながら、ワンカップを傾けつつイチャイチャしているカップルに鋭い視線を送っていて、すごく恥ずかしい。

 元気な客引きたちをいなしながら通りの終わり近くの、比較的静かなところまで導かれると、敵意を捲く相手がいなくなったせいか澪利が、重く口を開いた。

「しかし、こちらの支部は福利厚生が凄いですね。早番遅番限らず、夕食を用意しているなんて」


      ※


 作戦終了後、顎田支部長から『過反応物質に触れる』ような誉め言葉をいただき、解散となったおりに判明したことだった。

 事前申請の人数分しか準備が無いことも、同時に。

「少し見てきましたけど、食堂も立派で、どれも美味しそうでしたね! 知っていたら、事前にお願いしていたんですけど」

「肉料理メインなのは、運動量の多い仕事だからなのかな。どちらにしろ、厨房も立派なもののようでしたね」

「ええ。私も、あんな設備があること自体知りませんでした」

「静ヶ原さんが、ですか?」

 彰示の驚きは、文にとっても同調するものである。

 全国区で名を馳せるエースであったトゥィンクル・スピカは、顎田支部への援軍などを理由に、出入りが多かったはずなのだ。

 その彼女が知らない、となれば、

「ここ最近に用意された制度なのでしょう」

「咲内支部長の施策、でしょうか」

「彼は三年前に就任したばかりです。その際に手を入れられたのでしょうね。作戦時間の短縮も、その一環かもしれません」

「そうですね……本所市の夜番は、十二時まで。十時には終わりというのも、従事者の負担を減らしてくれている」

 確かに、こうして夜の街でお店選びができるのは、入ることのできるお店に限りはあれど、嬉しいところだ。本所市では、作戦終わりの食事なんかコンビニの売れ残りに頼るか、牛丼ラーメンなど炭水化物過剰なチェーン店に駆け込むしかないから。

 そう思えば、

「あの支部長さんは凄い方なんですね。最初、こっちを田舎者やら役に立たないやら言いたい放題だったので、印象が悪かったのですけども」

「そうだね、文さん。その暴言も、責任感からくるものだったんだろう」

 ちら、と振り返り、鋭い目を優し気に軋ませて、だけど、

「だけど、だからこそ腑に落ちないんだ」

「え?」

「そうですね」

 疑問に首を傾げる相棒に、一体何がと問いかければ、隣で一緒に手を引かれていた静ヶ原が答えて、

「あの子……ストライク・クローバーの言葉ですよね」

 疑いを形作るのだった。


      ※


 つい先ほどに矛を交えた悪の女幹部。

 秘密結社『リバーサイドエッジ』に所属する、魔法少女崩れであるストライク・クローバーは、確かに憎々しく、

「腐れ組織、はまあ煽り文句としても、逃げようしても許さない、というのはひっかかりますね」

 言われてみると、だ。

 両者は基本的に、対立構造であっても、実のところ共生関係にある。魔法少女組合は明確な対立相手がいなければ組織縮小の憂き目にあい、秘密結社は彼女らとの衝突によってメディアの目を惹き、活動の拡散と広報を行っているのだ。

 無論、乱立する秘密結社群において、各々のスタンスにブレはあるのだが、

「……確かに。どちらかがどちらかを機能不全に追い込んだなら、利に反しますよね」

 それが経済社会における、一般的な認識である。

 しかし、件の女幹部は否定をするように『逃げる背を撃つ』と明言していたのだ。

 自分の言葉に、背を向けたままの彰示がだから腑に落ちない、と肩を落とす。

「公表されているプロフィールでは『組合に恨みを持つ悪の魔法少女』だった。年齢から察するに、在籍中に組織改革があったはずなんだ」

「組合側の過去のデータも確認しています。作戦名『フレグランス・クローバー』として、去年の活動履歴が残っていましたから、間違いないかと」

「それじゃあ……」

 彼女は、栄養満タンな食事の提供や稼働時間の短縮などの、顎田支部が手を回した厚い福利厚生に不満を持っていた、ということだ。

 普段の夜番はコンビニのおにぎり程度で腹を満たし、日を跨ぐギリギリまで稼働している文にしてみれば、信じがたい。

「どうして、そんなに恵まれているのに……」

「そうだね。事の真実は、本人に聞いてみないと分かりはしないだろう。けれど」

 言葉を切った彰示に、自分はどうしたのかと小さく手を引いて反応を待つ。

 先を濁すということは言い難いということで、だけど、これまでたくさんの困難を一緒に乗り越えてきたのだから、懸念は分かち合っておきたいと願うのだ。

 けれど、答えは言葉に迷う彼からではなく、

「彼女の不満が示されたデータに依るものか、ということですよね、佐々木さん」

 もう一人の、大人からもたらされた。


      ※


 つまり隠された真実があるでは、という提起であり、根拠が、

「彼女は『体をこんな風にした』と言っていましたからね」

 不審この上ない、犠牲者からの証言だ。

 ああ、と文は納得を得る。

 ストライク・クローバーの身に何が起きたのかなんて、想像の域だ。

 けれども、原因となる何かはあって、現状で見える情報では、不穏な内容を想起させてくる。

 ……自分の『体』を『望まない形』にされた、ということですもんね。

 彼が言葉を詰まらせているのは、誰かを傷つけてしまわないか、ということだろう。

 悪を暴くことにためらいのある人ではない。けれど暴くことで、現在所属してカリキュラムに従している顎田組合の魔法少女たちの、組合内に限らない居場所を奪ってしまうのではないのかと。

 破天荒だが優しい人だから、と文も胸が詰まってしまう。

 握る手を強め、慰めでもするように引き寄せると、

「綾冶さん」

 彼が、上天を見上げながら、名を呼んでくれた。

 傷心を思って声を出せずに待てば、

「知っているはずだけど、俺は童貞だ。今年で三十歳の」

 ええ、はい、知っています。だから魔法使いになれて、私はあなたに出会えたのだから。

「そんな男が、ね。君みたいな可愛い子のパンパンに張り詰めた胸元に二の腕を沈み込まれると、血圧急上昇なわけです。しかも夏服だから、固い物が肘に当たって呼吸のたびにごりごりごり」

 つまり『天体望遠鏡』が『天頂観測』であり、視線が下がっている。

「あ! す、すいません!」

「……ほんと……天は二物を与えず、なら有言実行して欲しいものです……どうして右と左の二物が……」

 逆サイドの小さい人が『無表情』を『大河の中央で川魚の腑を齧る無表情』に変えながら、空になったワンカップをそれでも傾けて呟く言葉が、震えるほど恐ろしい。

 そんな具合で大人二人が『不具合』を起こして動けなくなってしまい、どうしたものかとおろおろしする文の耳に、

「だから嫌だって言っているだろ!」

 聞き覚えのある、少女のような声が飛び込んできた。

 目を向ければ、ドレス姿の長身の女性と言い争う、小柄なやはりドレス姿の姿あり、

「あれは……」

 ウィッグも、衣装も違えど、纏う刺々しい気配はそのままな、

「ストライク・クローバーさんじゃないですか?」

 先刻まで敵だった女性の、驚くほど艶やかな姿であった。

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