2:きっと、そこに戻るからと
悪の秘密結社『テイルケイプ』のアジトは、本所市役所からほど近い『鷺舞会館』をカモフラージュとして、その地下に威容を潜めていた。
公機関の集中する区画であるため夜の七時を回ると人通りも減り、薄暗く物寂しい雰囲気のなか、会館はその入り口を不自然なほど無造作に開け放たれている。
アスファルトに浮く小さな砂利を踏み、物音のない内部を、
「こちらウェル・ラース。現場に到着、静かなものですね」
夜闇に白装束を浮かび上がらせる魔法使いが、警戒を濃く伺っていく。
『ボディカメラの映像を確認しました。お気をつけて』
「おや。静ヶ原さんはてっきり『向こう』担当で、こちらは組合長がオペしてくれると思っていたんだけど」
『本来の予定ではそうなのですが、少々立て込んでいまして。回復をお待ちください』
なんで? と聞き返すのは愚かだ。魔法使いをやっていれば、不測の事態など茶飯事なのだから。
通信機の少女のような声が、淡々と状況を教えてくれるから、
『新指さんの情報から相手は十人ほど。武装は例の銃火器と、こちらはササキさんからですが、テイルケイプが有する特殊繊維装備を有している可能性があります』
「参ったな。私は、コモンには自信がないんだけど」
『明るい情報もありますよ』
ほう、と非常灯だけの不気味な館内へ足を踏み入れながら、耳を傾ける。
『ササキさんが足止めから解放されました。『回復』を待って、急行するでしょう』
「そうか……激戦だったんだな。組合長の回復の件も、同じかな」
『そう……ですね。必要な犠牲でありました』
彼は、彼の仕事を成したということ。
であれば、こちらも期待に応えねば。
静まり返る鷺舞会館ホール。明かりはまばらに点在するクリアグリーン色の非常灯だけ。
改築したばかりの真新しいフロアタイルを数歩踏みしめると、奥の昇り階段より、
「接敵した!」
魔法により鋭敏になっている五感が、忍ぶ足音、身じろぎの衣擦れ、抑え込む呼気、薬莢を纏った火薬を捉える。
それは、つまるところ『敵意』であり、
「静ヶ原さん! 『彼女』はそこにいるかい⁉」
『はい。隣で、モニター映像を見ていますが』
「なら、伝えてくれないか⁉」
返事は、けれども、暴力的な銃声が響き渡るせいでこちらには届かず、だから構わずがなりたてる。
「想定外が重なっている! 帰りは遅くなるかもしれないが、許してくれ!」
状況が、想定を上回っている。
もとより、人数、勢力、情報に、最悪と言っていい差がある。
そこへ、本来『一般人が魔法少女と互するためのガジェット』が追加されたのだ。
ただ独りの魔法使いへ『昏い覚悟』を結わせるに十分な、絶望であった。
※
そもそもの勝利条件に無茶があるのだ、と澪利は吐息をこぼし、激しい動きにブレる映像を見つめていた。
ウェル・ラースが冠する『最強』は伊達ではない。何十人を同時に相手にしようとも結果を厭わなければ、簡単に完勝できる程度の力を有する魔法使いである。
そう『結果を厭わなければ』だ。
横たわる何もかもを立ち上がらせるという広範性のあるギフトにより『赤血球を立ち上げることで血流を淀ませる』などということも可能ではある。つまり、対象の『死』と『後遺障害』さえ厭わなければ。
けれども、彼の人品は他者の破壊を望むことはなく、尚且つ、今回は敵対者へ決定的な負傷を負わせることも許されない。もしそんなことがあれば、
「志鶴さん。ウェル・ラースは『決死』を選んだようですね」
彼女の居場所が壊れてしまうのだから。
無論、組合側の目論見や建前も共存する意図であるが、魔法使いにとってはそれが一番に大きい理由であろう。
言われ、直情で鳴らした元魔法少女は、力なく歯噛みして、
「わかってるよ。わかってる……!」
くそ、と吐き捨てて、部屋を後にしていく。
……見ていられない、が、現場にもいけない、ですからね。
感情のまま突っ走っていた少女が、想い人だった人と再会したタイミングで、堪忍を求められているのだ。
気持ちはわかる。
だからこそ、
「……急いでください、ササキさん」
乞うように、祈るように、唯一の希望に救いを促すのだった。
※
メッセージの着信を告げた携帯電話が記すのは『たすけて』の四文字であった。
いつもは快活な、アイドルグループの作詞を担当しているだけあって彩り豊かな『あたまおかしい』言葉を解き放っている少女の、たったそれだけの一言。
それだけに、乞われた魔法使いは事態の深刻さを噛みしめ、
「MEGUさんがこんな状態じゃあ……ササキさん、急がないと!」
ディスプレイを覗き込んでいた相棒が、青い顔で腕に縋りついてくる。
わかっている。
このままでは『居場所』が失われるのだから。
綾冶・文のものはもとより、テイルケイプの面々に組合のスタンス、さらには『元魔法少女』の彼女の居場所さえ、だ。
志鶴は『今の居場所が大切』だと言っていた。
しかし、その思いから警察隊を庇った傷がテイルケイプ攻撃の口実に利用され、なにより追われるように組合に逃げ込んできたという。
テイルケイプ制圧は既成事実へ成ってしまえば、立場は守られようと、彼女の気持ちは『大切な居場所』を壊してしまうだろう。
だから、
「サイネリア・ファニー。ひどく、難しい作戦になると思う」
頭上の空模様のように、暗雲が垂れ込めるのだ。
秘密結社員の救出はもとより、おそらく敵対部隊の無傷すら条件に含まれる。
美岳と、同じ装備の十人ほどを相手に。
「わかっています。だから、今は急がないと……」
「聞いてくれ、サイネリア・ファニー」
彼女の名を強く呼び、手を取り、向き合い直す。
え、と言葉を詰まらせた少女へ、ササキは言い訳を口に。
「魔法使いは魔法少女を、監督し、保護する責任がある。年若い君たちが、その若さから誤らないように。君たちが、無事に帰路へつけるように」
そう。『言い訳』なのだ。
「だから君を、今回の現場には連れていけない。相手の武装は、君のコモンでは危険だ」
危険を盾に、大人の『澱み』を洗うような所業を見せたくないがため、の。
彼女は想像の外だったのだろう。
驚きに目を見開き、腕が力を無くして垂れ下がり、
「そんな危険に、一人で向かうつもりなんですか?」
目一杯の抵抗を見せるから、
「現場には『最強』がいる。なにも心配はないさ」
大人は、言い訳を重ねるしかない。
ぐ、と言葉を呑んで、ただでさえ伏せがちな目をさらに落とす。
そうして、落としどころを探してくれているのだろう。
……本当に、この子が相棒で良かった。
自分には過ぎた、頭の良い子だと心底から思うのだ。
だから、
「約束、してください」
どんな内容だとしても、それしき、だ。
微笑みで頷くと、顔を隠すように抱きつかれて、
「必ず帰ってきてください」
当たり前だ。
「帰ってきたら、一緒にご飯を食べて」
ああ。
「お風呂に入って」
そうだね。
「セックスしましょう」
頭が良い、という評を訂正してもいいかな?
※
組合の職員たちは、残業の疲れからか、床に大の字で転がり出し、
「おいおい、なんの隠語だよ。『セ』ントーンからのジャーマンスープレ『ックス』か?」
「『せっ』かくなんで『く』びをしめま『す』に一票」
「カ『セッ』トコンロで『く』ろい『す』みになるまでに一票」
「他にありますかー。後で集票しますねー。票数の多い刑罰を執行しますからねー」
ジェントル・ササキの無事な帰還を願うのである。
余談だが、提案された刑はどれも獲得票一票の同率一位となり、全てが適用されることに相決まったのであった。
※
「前に約束したときから、ずっと、ずっと我慢してたんです」
言う通り、かつて死地に赴く際に、反故を前提に交わした空手形であった。
「ササキさんはみんなに頼られて、まだまだこれからもあるから、簡単には無理だなって思っていました」
もはや、彼女を連れて行ったほうが安全なのではとすら過ぎるが、未成年を保身のために危険へ晒すのを良しとするほど、ササキの良心は恥を知っており、
「いまなら私『ぐちゃぐちゃ』になっても離さない自信があります!」
けどやっぱり連れていったほうが良いような気もしてくる。
「ササキさんは変わることは仕方がない、キレイに『変わって』いけばいいって言いましたよね⁉」
ああ、確かに言ったね。
「変わるのが仕方ないなら『あなたの隣』で変わりたいんです!」
だから、と息を継ぐように続けて飛び出た言葉はすごく曖昧な、
「約束です! 約束しました!」
きっと、最初に見せた頷きが『契約の成立』になっているんだろうなあ。
少女の柔らかな体が名残を惜しむように離れ、分け合った熱をさらうよう、二人の隙間に風が流れる。
うつむいたままの相棒に、どんな言葉をかければと逡巡し、はたと思い出す。
ジャケットの内ポケットに、彼女へのプレゼントをしまい込んでいたことに。
この間、偶然に店で見つけて、だけど組合への復帰によって渡す機会を逸してしまった、心ばかりの贈り物。
魔法使いは、目の前の少女へ安心を与えたく、懐に手を差し込むのだった。
※
「ササキさん、これって……」
驚きを大きくして、差し出された手の平を見つめてしまう。
「テイルケイプにいる時、たまたま店で見つけてね。しばらく離れ離れのままだと思っていたから、こんな状況になってしまって渡しそびれていたんだ」
彼の手に乗る贈り物は小さなぬいぐるみで、ジェントル・ササキを模ったものだった。
だから、なるほど、と合点する。
……だからあの日、ササキさんの人形だけ在庫が一つ少なかったんですね。
彼が組合に戻るきっかけとなった日、他の商品が最低三つ陳列されるなか、この人形だけは二しか残っておらずで、組合のエースとMEGUとが買い求めていたのだ。
てっきり『人気ないんですかねぇ……ないんでしょうねぇ』など考えていたという本心は伝える必要はないだろう。今は想いを伝えるフェイズのはずだから。
自分もポケットをまさぐり、不審がる相棒に、やはり手を差し出して見せる。
手の平に乗るのは、やはり渡しそびれたままだった己を模ったぬいぐるみで、
「……驚いたな」
「ええ。私も」
頬をぎこちなく、だけど無理をするわけでなく笑顔が浮かぶ。
ポリ袋を被った彼の面持ちは上手く読み取れないが、けれど明色なのだろうと決めつけて、
「なんだか、すごく嬉しいです」
ぬいぐるみを手渡し、手渡された。
彼は懐に、己は胸に抱けば、
「必ず帰るよ。当然、ウェル・ラースもMEGUちゃんもテラコッタ・レディも、みんな、全員救い出して」
きっと、その全員には相対する『警察』をも含んでいる。
それは容易なことではなく、けれど信頼する彼が言い切るのだから、
「約束ですよ」
信用する他に混じるものなど一つだって無いのだし、
「無事に帰ってきて、ください」
自分が守るべきは『この人の隣』であることを、強く確かめられるのだから。
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