第三章: 君と自分の居場所は、不均衡に揺れているのだから

1:後悔の彩り

 特殊自警活動互助組合、通称『魔法少女組合』本所支部は、明確な苦境にあった。

 第一に、出来レースの相手である悪の秘密結社が、機能不全直前であること。

 第二に、悪の秘密結社に出向している組合員へのクレームが、なぜかこちらにも殺到していること。

 最後に、

「今日は湿気がすごいですね、組合長」

 待機室の椅子に腰かけた、本日唯一の待機員である支部最強の魔法使いが、

「こう梅雨めいてくると、中安くんが給食で残したコッペパンを私のロッカーに隠した時のことを思い出しますね。二週間経過していて、ちょうど、今日みたいな天気の日で……覚えているかなあ中安くん、私は絶対に、地獄に落ちても忘れんぞ!」

 精神的外傷をぱっくりと開いてしまっていること。

 日曜の昼中に似つかわしくない『重油』じみた恨み言を、

「天崎くん? 除湿しよ? ね? リモコンをこっちに……どうして暖房にするの? 湿気上がっちゃうでしょ? ほら、大丈夫だから、ね?」

 向かい合って真正面から浴びている組合長、大瀑叉・龍号は、心に『防油堤』を、瞳に『無辜の被害動物』への慈しみを湛えるのだった。

 室内環境を『汚染』している、エアコンのリモコンをもぎ取りながら。


      ※


「それで、今日はどうしたんです? 日曜当番は私だけでしょう?」

 窓の外は、季節を先取りした梅雨前線に崩れかけていた。どんよりとした日曜の昼下がりの曇天を眺めやりながら、衣装を纏うウェル・ラースが穏やかに笑う。

 湿気が下がることで魔法使いは『重油』を染み一つ残さず、タンクに戻した。

 本来、当番は魔法使いと魔法少女のコンビで請け負う。だが、前回『家庭内のやんごとなき事情』で早引けした彼が、相棒へ強引に休暇を取らせたのだった。彼女はしばらくごねていたが「何かあったらすぐに連絡する」と約束したことで納得。

「現状で呑気に休んではいられんよ。なに、今は息抜きに来ただけだよ」

 約束を提案した龍号は、ブラックのコーヒー缶に口をつけながら、微笑み返す。

「テイルケイプ頭領との二足の草鞋は、大変ですねえ」

「まあ、まだ楽しめているのが幸いだよ。人手不足は前からさ」

「最高幹部の退職願を突き返し続けて、何年でしたっけか。テラコッタ・レディも苦労しているみたいで」

 言われる通りだ。

 後任の準備が整っておらず、頭を下げて留意してもらっており、特に最近は出向だった幹部メンバーの撤収と重なって、

「ササキくんが暴れておるからなあ」

 比較だけでいうのなら、組合側で活動している時より『お行儀は良い』のだが、事が始まると『計画的』なぶんだけ致命的なことが巻き起こる。

 彼の瞬発的な状況解決力では全裸に至ることはない、という『理論上の帰結』は大きいと思う。

 ……問題は、保証されたわけじゃあないことだがなあ。

 疲れに力を失ったまぶたを、重みを揉み逃がすように指をあてがいながら、

「彼女……相棒はどうだね」

「サイネリア・ファニーですか? 良くやっていますよ。ササキくんと修羅場をくぐっただけあって、判断は拙いながらも、行動が淀むことがない」

 このまま相棒を続けるのも悪くない、と冗談めかして、

「だけど、根本的にササキくんに依存していますからね。先があるなら矯正も考えるべきでしょうけども、きっと今年で引退でしょう? 受験の準備もしていますし」

 だから、

「残りの時間は、彼と一緒に居た方がいい」

 そこが、

「彼女の居場所だと思いますから」

 声は重い。

 憤怒という彼の名とは違う、後悔の色に沈んで染まる。

「ササキくんも『居場所を守る』ために、テイルケイプに出向したと聞いています。個人的には、早めに戻した方がいいかと」

「どちらかの『後悔』が、もう片側を『後悔』に引っ張り込む、か」

 新人魔法使いと引退間近な魔法少女、二人の居場所とは『お互いがある処』であり、どちらか一方でも足場を崩したなら『壊れてしまう』のだと、彼は訴えている。

 口で後輩を心配する先達の瞳は、しかし、暗い海で回るあぶくがひしめくから、

「随分と実感のこもる助言じゃないか」

 澱みをかき回してやろうと努めて明るく笑う。

 心遣いが伝わったか、彼も頬を柔らかく、

「誰も彼もの『居場所』を守ろうだなんて、彼はすごく立派ですよ」

 視線には暖かい陽をこもらせて、

「あの時……『相棒』の望む『居場所』に気付きもせず、ぶち壊してしまった私なんかよりも、ね」

 龍号は、ああ、と胸を沈めて髭をしごく。

 彼は『無数の心傷』をエンジンとする魔法使いであるが、その中に一際『大きく深い傷』があることを知ってはいた。

 まさに『後悔』に起因するもの。

 けれども。

 年々積もる面の皮の厚さで、塞いでしまったのだと思っていたのだけれども。

「おや、チャイム……日曜に来客ですか?」

「桃子くんだな。打ち合わせでね。私が動けないから、こちらに来てもらったのだよ」

「はは、組合で悪の秘密結社が幹部会議とか、大胆不敵すぎるでしょう」

 おどけるような穏やかな顔の下、赤々と、裂ける海溝のように傷口は開いたまま。

 龍号は、ああ、と心中でもう一度、悔やむため息をこぼす。

 壊れてしまった『彼』と『彼女』の居場所に、苦い思いを馳せて。

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