2:適材適所だからと言っても

「うちの新指がご迷惑をかけました」

 まさにベテランという風格の老刑事に、頭を深々と下げる丁寧な謝罪をされ、

「いえ、こちらこそ誤解を与えたようでして」

 本所中央警察署の廊下で、彰示も腰を曲げて礼を返した。

 彼が手錠を掛けられてから、二時間あまりが経過していた。

 パトカーで署に連行された後、

「なんだと! 志鶴ちゃんが暴力にモノを言わせて男を捕まえてきたぎゃあああ!」

「あるのは握力と背筋力だけで男っ気のなかった志鶴ちゃんが、男をぎゃあああ!」

「見ろよ、あいつ縮こまって……まるでゴリラに捕まった哀れな人間ぎゃあああ!」

 と、騒然となる同僚たちを蹴散らしながら取調室に連れ込まれ、

「志鶴ちゃんが男と個室⁉ 晩飯まだだろ⁉ 『正しい意味』で食わぎゃあああ!」

「動きそうなものは、全部固定したか⁉ 朝には血の海ができあがるぞぎゃああ!」

「見ろよ、あいつ縮こまって……まるでゴリラに捕まった哀れな人間ぎゃあああ!」

 と、順繰り覗き込んでくる同僚たちを蹴散らしながら、事情聴取が進められた。

 とはいえ押し問答に、罵声が混じる程度のもの。何一つ実益のない一時間が経過したとこで、目の前で頭を下げる老刑事が鬼の形相で乱入して、事の幕引きと相成ったのである。

「あのバカには、きつく言いつけておきますので、本当に申し訳ありません」

「いや、勘違いは誰にでもありますから、彼女にあまりきついことは……」

 佇まいから実直な人柄が滲む人生の先達へ、フォローの言葉を掛けたところで、

「なんで岡さんは向こうの肩を持つんだよ! 童貞なんぞ存在が『罪深い』じゃねぇか!」

 パテーション向こうから怒声が響くたびに、老人の腰は俯角を狭めていく。

 立派な大人だ、と感動しきり。

 部下の尻ぬぐいを嫌な顔せず、また、彼女への責めを分けて担おうとしている。省みた時に、果たして己はここまで、嫌味一つこぼさずに頭を下げられるだろうか。

「それじゃあ、長居すると刺激しそうですし、ここで……」

「はい、申し訳ないが、そうしていただければ」

「そうなると、迎えが遅れたこちらも、責められるところですね」

 冗談だと笑顔でアピールし、どうにか空気を和らげる。

「身内が近場に居ないので、現場の責任者をお願いしたんですけれど、どうも留守だったらしくて」

「大瀑叉さんでしょう。お忙しい方ですからね。事情は『わかっている』とお伝えいただければ」

 おや、と疑問が過ぎり、まあ年齢と職業的に『治安維持というパイを取り合う仲』である以上、名前と顔を知っているのは当然かと納得。

 と、薄壁向こうの怒声がトーンを増したので、

「ああ、こりゃいかん。私はバカを宥めてきますんで、すいませんが」

「ええ、ありがとうございました」

 お互い深々と頭を下げると、

「ほら、静ヶ原さんも」

「だだだめでででですす! きゅきゅ急にそそそんな……お薬……お薬……!」

 自分の背に隠れる『明日を見失った無表情』の送迎担当者が持ち前の『かつて無口クール今コミュ障』を全力で発揮していた。


      ※


 本所中央警察署は、繁華街から離れた静かな商店街の突端に鎮座している。

 駅前繁華街を除けば、本所市の平均的な東北の街と同じで、夜は早い。十一時を回った時点で、見える明りは街灯の群れと、夜空の星々だけだ。

 署から出た静ヶ原・澪利は、彰示と並んで帰路についていた。途中にある『本所名物・本格総菜パン自販機』で一番人気のピザパンを買い食いしながら、僅かな明りを頼りに組合へと。

「災難でしたね、佐々木さん」

 頻繁に発作を起こす『持病』のせいで、静ヶ原・澪利の移動は徒歩が基本だ。自動車運転免許は取得しているのだが、組合長によって取り上げられているのも、理由の一つである。

 湿って重い風を楽しみながら、遠くから聞こえるカエルの鳴き声と自分の肩掛けカバンから響く『お薬たち』のぶつかり合う鳴き声を背景に、並んで駅前を目指していく。

 ……夜道で二人きり。これは逢引で構いませんね?

「基本的に、本所署の方々は我々への感情は良いほうなんです。都会の方の、いわゆる『老舗』ではない秘密結社が存在する地区では事情が変わりますけども」

「だとすると、今回の逮捕は、あの新指さんという刑事さんの独断ということですか」

「ええ。ですから災難だと」

 ピザパンの端をついばむと、息をついて肩を落とす。

「不逮捕権というのは、魔法少女組合の権利の確立と同時に、警察側の保護も含まれているんです」

 特色があり、多岐に渡る能力を振るう『悪の秘密結社』は基本として、並みの警官隊では相手にならない能力を獲得している。

 逆に言えば、最低限その程度に達しなければ魔法少女との戦闘に堪えられないのだ。

「正面切ってがっぷり四つでやり合えば、警察側の被害は甚大でしょう。最低限、機動隊クラスを複数隊、使い捨てる覚悟が必要かと」

「現実的な備えとはいいがたいですね。テイルケイプのような『事情を知っている』ところならともかく、その辺の段取りのない連中が相手となると」

 ええ、と頷いたところで、またピザパンを一口。

 小さな口が災いして、パンの縁が頬にくっついてしまった。部位が風に冷たさを感じるから、ピザソースが線をひいてしまっているのだろう。

 ふむ、と一つ思案すると拭うでもなく、講義を進めることにして、

「言ってしまえば『汚れ』なのです『秘密結社』というのは。不慣れな者が不適当な素材で乱暴に拭き取れば被害は広がる。適した者が適した素材で丁寧に行う必要があるんです。そうすることで、互いに利益が生まれますしね」

「ええと、例えが難しいですね。飛躍が大きいと思いますが」

「わかりませんか?」

 ……ここです! ここが決め処ですよ!

 頬を熱に浮かせながら、だけど鼓動の張り裂けんばかりの激しさを顔に出すのは、そこまで。

 ……無口クールで助かりました!

 首を捻ってこちらを見下ろす彼へ、

「つつつつまりり、こここの『汚れ』はは『佐々木さんの舌』が適役かかかとと」

 ブレブレのド直球を内角高め、なんなら頭を狙って目一杯で放り込んでやった。

「どどどどうででですす『おいしそう』じゃじゃじゃありままませんかかかかかか」

「……え?」

 顔面を狙われた打者は、汚れた頬を確かめ、己の手元にあるピザパンを確かめ、もう一度こちらを見返して、

「あ、いえ。俺は自分の分だけで十分ですから」

 ……なんだそれ。


      ※


「憎い……こんなにも怒りと羞恥で震えているのに嗚咽すら出てこない……無口クールを生み出した社会が憎い……!」

 アスファルトにうずくまって震え出したちっちゃい人だったが、濃い闇を噴き出し続けるお口へ『お薬』を大量に投与することで状況は沈静化されていった。

 大の大人が路上に座り込む『見た目』少女にワンカップを呑ませている絵面は、百歩譲って通報案件だ。署はすぐそこだから、ダッシュで刑事さんたちが駆けつけるだろう。

 冷汗を拭いながら、澪利を立たせて身だしなみを整えると、

「お見苦しいところをお見せしました」

 頬のピザソースを拭い取ることは頑なに拒否されたが、どうにか落ち着きを取り戻してくれた。

 再び、二人は夜道を歩きだし、講義を進める。

「留意点ですが、現場は比較的に良好な関係を築いていますが、両組織のトップに近づくにつれて、仲は険悪になっていきます」

「そうでしょうね。言ってしまえば、商売敵なんですから」

「プラス『秘密結社の裏』を知っている方は、その技術を警察組織に導入すれば組合は不要であろうと考えています」

「ははあ、確かに」

「それらの技術はテスト運用の性格が強いんです。以前に、テイルケイプの装備を拝借した佐々木さんならわかるでしょうけども。テストモデルを運用する覚悟があるのか、そもそも、秘密結社と組合を排除して、運用できる脅威が存在するのか」

 現実的ではないのですよ、と締めくくった講師はピザパンに噛り付いて、何が目的なのか朱の線を増やしている。

「ですけど、そうしたら新指さんはかなり特殊なスタンスですよね」

「個人の信念まで捻じ曲げるほど、今は組織が強い時代ではありませんしね。とはいえ、不当逮捕までするのは行き過ぎだと思いますが」

 自分の分を食べきり、こちらの手元を表情なく見つめるから、そっと差し出す。

 おずおずと包みを開けて頬張りだす彼女に、お腹空いていたのか、と感想を付けながら、

「なかなか、こちらの話を聞いてくれない人で難儀しましたよ」

「一直線で自分の目で見た正義を信じて疑わない、よくあるアンバランスな『正義の味方』です。そのうえで、魔法使いを憎んでいる……佐々木さんのように、もう少し柔軟性を持っていただければ助かるんですが」

「その言い草だと、俺の前にもなにかあったんですか」

「ええ、数えきれないほど。まあ」

 何気なく、本当に零れるように、ピザソースまみれの口から、

「昔からです」

 大きな鉤の付いた単語が呟かれた。

 疑問に言葉を止めたせいで、訝るこちらに気が付いたらしく、

「ああ、同い年で、同級生なんですよ、彼女」

 感情の乏しい表情で、切り替えしてきた。だが、そこには誤魔化すような色の揺らぎが見え隠れする。

 隠そうとしているものを暴き立てる必要のある問題だろうか、という自身への迷いが湧いて、疑い続けることに窮する。

「そんなことより、もう少しで繁華街ですよ」

 言われてみれば、確かにざわめきとまばゆい照明が近づいていた。

 ここを横断して、組合事務所へと辿り着くことができる。

 不意に、同行者が振り仰いできて、

「私の顔を見てください」

「どうしました?」

 言われた通り、まじまじ見つめると、

「佐々木さんは、このまま事務所に向かっても大丈夫ですか?」

 両目に疑問符を浮かべると、

「具体的には『顔をピザソースまみれの見た目少女と繁華街を横断する』覚悟はあるのかと聞いているのです」

「なるほど」

「なければ、やはり『牛酪ワンちゃんごっこ』で綺麗にする必要があるのでは?」

 ぐい、と薄い体を押し付けて、

「どどどどうですすすす『おいしそう』じゃありりりませんんんんか?」

 あなたのピザパンもありませんし、と続けてくるから、

「実は、ピザソースって苦手なんですよね。チーズと合わさると美味しいですけども」

 己をデコレーションした勇者が、膝から崩れ伏した。

 そのまま四つ這いで十六ビートを刻みだしたので、彰示は慌てて彼女のカバンをまさぐることに。

 ついでに『お薬』を流用して、口元をハンカチでゴシゴシと拭ってやったりもしたのだった。

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