第57話「ヘレナの戦い(前編)」



 カンカンカンカンカンカン!!!!



 フォート・ラグダ市内は蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていた。


 逃げ込んだ冒険者二人と、街道から馬留めを破壊しながら市内に突っ込んできた多数の馬車等からもたらされた情報によって、混乱は極みを迎えた。





 山の大暴走ロックザスタンピード




 稀に起こりうるという、大型種の異常繁殖からくる死の暴走───


 暴走の先にある者は食い尽くされ、物は破壊しつくされるという。

 最終的には共食いで消え去るか、海や崖などから転落死し、消滅する。


 しかし、近年では目立った報告はなく、迷信の類や他国の出来事だとすら言われ始めていた矢先のことだ。 


 王国で最も起こりやすいのは、熊よりも猪。

 比較的繁殖力が高く、暴走に陥りやすい地猪グランドボアなどが、その先駆者であるわけだが…


 今回は違うという。


 よりにもよって熊の大群…

 それも、近隣で最強種であるキングベアの大群だ。


 地羆グランドベアを従えた大群ではなく───嘘か誠か、キングベアそのもの・・・・の大群だという。


 キングベアに率いられた地羆グランドベアによる災害は、王国では過小だが──世界各地で報告されており、キング・ザ・スタンピードなんていう呼ばれ方もある。

 だが王国では、ただのいましめ程度にしか誰もとらえていなかった。


 すなわち、後方地域ゆえに緊張感の欠如──平時の備えを怠るなというものだ。


 だが、それは起こった。

 大暴走スタンピードなどという可愛い規模ではない。


 これは生物災害バイオハザードだ。


 市議会の当直は、議員の招集を待たずに議会当直の権限である、緊急決定権をもって正門を封鎖。

 市外の兵と市民を完全に遮断しゃだん───見殺しにした。


 これによって通用門のみの出入りとなるが、当然…早々一気に人々が通れるはずもなく───

 早晩そうばん殺到したキングベアによって食い殺される始末。


 人々の死体で通用門が埋まるという悪夢となった。


 しかし、迅速で非常な判断が功を奏し、市内への侵入は辛うじて防がれた…が、城外で防戦していた衛兵の隊長が行方不明となり、正門付近の指揮系統は混乱。

 現在は、個々で対応している始末だ。


 急いで非常呼集をかけ、全兵力を掻き集めるとともに、緊急要請を官民問わず発令。


 駐屯王国軍と、冒険者ギルド、青年団、自警団、商人たちの護衛の傭兵などにも防戦のために応援要請をかける。


 たまたま議会の当直についていた、冒険者ギルドのギルドマスターであるヘレナ・ラグダは、様々な批判を浴びることを覚悟で、次々にげきを飛ばしていく。

 その迅速な判断により被害は最小限にとどまっていたが、市内の防衛兵力集結の動きは遅々として進まない。

 やがて、殺到するキングベアにより、正門が破壊寸前と至るに有力者たちは早々に避難準備を始めていた。



 それは、駐屯王国軍の中隊長も同様であり……、

 中隊本部はすでに護衛ともに脱出したため、もぬけの殻となっていたのだから──救いようがない。



 そんな、役に立たない情報ばかり飛び込むに至り…正門近くの衛兵隊募集事務所を前線指令所としていたヘレナは、机を蹴り飛ばしながらヒステリックにわめき散らしていた。


「中隊長が逃げただとぉぉぉ!!!」

「は、はぃぃぃ」


 伝令に使っているのは冒険者ギルドの職員たち。

 議員の一人でもあるヘレナにとって、市議会以上に頼りになる子飼いの部下だ。


 バッカァァァン…と、蹴り飛ばされた机に載っていた書類が空を舞うが、誰も拾い集めない。

 職員の数が足りず、全員が何らかの作業に追われていた。


「のんびり結果報告してないで、次級者をさがしてこい! …今すぐ!!!」

「は…は、はぃぃ」

 若い女性職員はダラダラと汗を流しながら、自分の報告がヘレナを激高げっこうさせたことにしきりに恐縮していたが…そんなことよりも、気の回らない職員・・・・・・・・にヘレナは苛立いらだっていた。


 王国軍の中隊長は、前々からクソの役にもたたないゴミ軍人として知られている。


 役立たず故、前線にもいかず後方の安全な地域でグダを巻いていたわけだが…まさかこんな事態にも役に立たないとは…

 練度的には怪しいが、曲がりなりにも正規軍だ。

 装備は市の衛兵と比べるまでもない。


「くそ、くそ!!」


 女性とは思えない汚い言葉で消えた中隊長を呪う。


 あーーーあのクソ野郎!!

 せめて、次級者に申し送りしてから逃げやがれ!!


 視界の先では、市の衛兵が必死で押さえる正門が…ギシギシと小揺るぎしている。

 扉の大きさに比して細いかんぬきは、今にも折れそうだ。


「バリケードの構築急いで!!」


 正門が破れた時に備えて正門に対して半円を描くようにバリケードを構築している。

 オバサンや老人、青年問わず、ヘレナに掴まった哀れな市民は、避難もできずにヒーヒー言いながら近くの家屋から運び出した家具を積み上げている。

 それを補強する為に外側に杭をガンガンと打つのは職人街からさんじたドワーフ達。

 文句も言わず精力的に働く彼らには頭の下がる思いだ。

 自発的に駆けつけてきてくれたというのだから…感謝の言葉もない。


 ───彼ら亜人の方が人間よりもはるかに貢献しているな…


 ギリギリ間に合いそうなバリケードに安堵あんどしつつも、正門を突破するようなキングベアに対して、この備えが如何程いかほどに役立つというのか。


 勿論もちろん正門自体にも補強はほどこしている。


 青年団に、自警団が杭や馬留めを設置し、正門の隙間にくさびを噛ませるなどして頑強に補強をしているが、扉自体が砕け散りそうだ。


「衛兵の非常呼集は済んだ? 非番の指揮官はまだこないの!?」


 伝令を統括していた職員に聞くと、

「い、今向かっているそうです!」

 

 くそっ、遅い!


 逐次ちくじ到着した衛兵達は、慌てているのか兜だけの者や武器すら持たない者がいるが、それでも十分だ。

 掻き集めた武器を手渡し城壁へ向かわせる。


 それでも、武器は全然足りない。


 あるにはあるのだが、剣や盾があったとてこの状況では役に立たない。


 投げて使える槍は、とっくの昔に城壁にげて、少ないながらも防戦していた衛兵が使い尽くしている。


 弓矢はそれなりにあるが威力が乏しい。

 町中の薬屋や錬金術師に声をかけて毒を集めているが、まだ到着していない。


 多少なりとも銃があれば威力を発揮するのだが、詰め所にあった銃は管理が無茶苦茶で、火薬は湿気っているわ…火縄とひうちが混在しているわ、そもそも、さび付いて機関部は動かないわ…オマケに銃身には虫が巣食すくっているわ…で──すぐに使える状態ではない。


 今も引っ張り出した銃に、鍛冶職人や手先の器用な者が何とか整備をほどこしているが──間に合うかどうか…火薬に至っては、辛うじて樽の中心部分にあるものが使える程度。


 今の今まで銃を軽視していた弊害へいがいだ。


 猟師達が街にいるので多少なりとも流通はあるのだが、それもこの現場に届いてこそだ。

 そもそも猟師達は、キングベア捜索のために出払っているのが痛い。


 何名かは、街の異変に気付いて戻ったようだが、正門を封鎖していたせいで──街に入ることができずに避難したか、外で食われたかのどちらかだろう。


 それでも、と。

 焼け石に水とは分かってはいるが、緊急事態という事で各商店からも武器を供与させている。


 街の武器屋を総ざらいして、あらゆる武器に、火薬や早合はやごうも都合させているのだが、逃げ惑う市民やら混乱する市内のこと、正門まで届くのに時間がかかっている。



「お、王国軍小隊長です!!」



 ゼィゼィと息を切らせて駆け込んできたのは、先ほど一喝いっかつして蹴り出した女性職員だ。


「お、お待たせした…王国軍フォート・ラグダ駐屯部隊の第1小隊長です」

 バッっと敬礼してみせる若い将校。


 装飾の激しい実用に欠ける剣を持っただけの、いかにもペーペーといった感じ。そもそもヘレナに敬礼してどうする…


「臨時だけど…不本意だけど…腹が立つけど…──前線指揮を執っている、冒険者ギルドのマスター、ヘレナ・ラグダよ。一応議員でもあるわ、だけど…敬礼は結構」


 いつまでも返礼が帰ってこないので、敬礼したまま硬直していた将校はようやく手を降ろす。


「りょ、了解した……。して、我が軍の中隊長はどこに?」

 

 ……


 …


「逃げたわ」


 …


「は?」

「逃げたわ」


 ……


 …


「ええええええええ!!!!」


 うっさいわね…

 っていうか情報伝わってないのかよ!!


 頭を抱えたヘレナは、

「えっと…、中隊長の事はどうでもいいわ…今は貴方が王国軍最高指揮官よ。しっかり防戦してね」


 ドンと押し戻し、正門の方へ向ける。


「む、む、無理です!!」


 アホ!

 知ってるわ!


「無理も何も、やらなきゃ死ぬわよ!」

 だからはよ行け!


「お、お、俺はまだ配属されたばかりでぇぇぇ!」


 知・る・か!


 ゲシゲシとケツを蹴り飛ばして追いやる。


 少しその様子に不安を感じたので、近くでゲンナリとした顔をしている老齢に差し掛かる職員に指示して、目付役をやらせることに。

 えぇ~~!! と、嫌がっていたが…知らぬ、とばかりに職員を無理やり送り出す女傑。


 あの若造だけでは不安だ。多少なりとも人生経験豊富な職員がいれば少しは役に立つだろうと、王国軍の小隊長のもとに送り出した。


 あんなのでもいないよりまし…


 軍隊というものは、単純なところがある。

 指揮官が前へ行け、後ろへ下がれと指揮するだけで動く場面があるのだ。

 あの指揮官も、役に立つかどうかは別にして、王国軍兵士を前線に立たせるためにも彼に陣頭に立ってもらう必要がある。


 指揮下の部隊は30名足らずでロクな武器を持って来ていない。

 今の今まで儀礼くらいしか活躍の場がないのだから、彼らの用意した武器も儀礼用の物ばかり…


 何を考えているのよ!


 とにかく今は市内から武器が到着するのを待つしかないが……

 王国軍の中隊長が逃げたというなら、こっちも考えがある。


 もうこうなったら、勝手に武器を持ち出させてもらうのだ。


「あんた! 適当に市民を連れて王国軍の武器庫を開放してきなさい! ココに有るよりはマシなのがあるでしょう」 


 えぇぇぇ! といった驚いた顔の職員。

 あぁもう、いいから行け!


「さっきの小隊長の許可があるとか言っときなさい。それでも倉庫番がうるさく言うなら───」

 懐から金貨の詰まった袋を投げ渡す。

 買収しろ、と言っているのだ。

「わ、わかりました!」

 オタオタとしながら指示に従う職員。


 それにしても…


「冒険者連中はどうしたの!?」


 今が稼ぎ時でしょ?


「えっと…」

 脂汗を流し顔面を引きらせた中年の職員がオズオズと言う…


「全員消えました…」







 は?






「………御免ごめん、今なんて言った?」


 ダラダラと汗を流す職員、


「一人もいません…」


「フ、」

「ふ?」

「ファァァァッッ〇!!!!!!」



 バッカァァァァァンと湿気った火薬入りのたるを蹴り飛ばすヘレナ。

 その形相たるや…



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