第3話




 次に目を覚ますと、レイチェルは馬車の中にいた。

 目の前にはコーディがいる。彼はむっつりと黙って、不機嫌そうに座っていた。

 辺りを見回すと、そこはコーディの家の馬車であることに気がついた。


 ああ。この後に及んで、自分はまだ夢を見ているらしい。

 浅黒い肌。無骨な手。短い茶髪。緑の瞳。ちゃんとコーディだ。懐かしい姿に、思わず涙ぐむ。夢の中とはいえ、もう一度会えると思っていなかった。

 ほうっと息を吐くと、椅子に身を沈める。傍らには、赤くてふわふわの、いつものクッションがあった。

 幼い頃彼が贈ってくれたのだ。レイチェルが気に入ってずっと使っているから、コーディの馬車に乗る時には、彼の執事がいつも乗せてくれる。


 あまりにいつも通りの光景に、レイチェルは痛む頭を押さえた。


 思えば、この頃はまだ幸せだった。彼には嫌われていたけれど、コーディの隣はまだレイチェルの場所だった。


「しかし、君にはほとほと呆れる]


 長い息を吐くと、コーディはレイチェルに顔を向けた。眉間を揉むと、疲れた様子のコーディは「いいな?」と前置いて、言い聞かせるように話し出す。


「あのメイドは俺の弟の世話をしているだけで、俺とはほとんど話さない。君も知っているはずだが?」


 責めるような口調にたじろぐ。だが、コーディの言っていることは、彼の言う通りちゃんと知っている。その原因はレイチェルなのだから。


 レイチェルが怒り出すからという理由で、コーディの世話をしているのはほとんど執事になっている。

 レイチェルの家計は、現在コーディの家に頼り切りで依存しているが、こんな風になる前は、逆にコーディの家を助けることもあった。


 コーディ自身も、昔レイチェルに助けてもらったことがあり――他にも理由はあったが、レイチェルは知らない――みんなレイチェルに逆らえないのである。


 そこまで思い出し、一年前に同じような会話をしたなと思い出す。入学式だったから覚えがある。


「あの子は俺に色目なんて使っていないし、クビになると行くところが無くなる。解雇するだなんて二度と言わないでほしい。みんな困るんだ」


 間違いない。これは一年前の会話だ。学園に行く馬車の途中で、コーディとこんな会話をした。

 レイチェルは、どうやら走馬灯でも見ているらしかった。


「……レイチェル? 聞いてるのか?」


 ぼうっとしていると、コーディが立ち上がろうとする。ちょうどそこで馬車が止まって、運転手が学園に着いたことを知らせてくれた。


 コーディの手を借り、馬車を降りる。そこには通い慣れた学園があって、レイチェルは、目眩のする頭を押さえた。もうこの光景は二度と戻ってこない。


「わっ!?」

 ぼんやりしていて、足元に段差があることに気がつかなかった。レイチェルは、つんのめって、転んでしまう。――痛い?

 違和感に、はたと止まる。驚いたコーディが手を差し伸べてくれたが、レイチェルは固まったまま地面に寝転がっていた。


 地面を叩くと、土の感触がする。レイチェルは起き上がると、胸元に手を当てた。傷はないし、血も着いていない。

 いや、走馬灯なのだから当たり前か? それにしては一場面が長くないだろうか。疑問に首を傾げる。


「胸が痛いのか?」


 コーディが、眉を寄せると片膝をついて、レイチェルの顔を覗き込んできた。その顔を掴むと、彼をぺたぺた触り出す。

 ちゃんと感触も体温も伝わってきて、レイチェルはますます混乱する。


「……転んで頭でも打ったか?」


「そんな風は見えませんでしたが……おそらく体調が良くないのでは?」


「そういえば、馬車の中でもぼうっとしていたな。引き返して病院に……いや、学園には保健室があるんだよな。連れて行こう」


「その方がよろしいかと」


 不審な行動を始めるレイチェルを前に、コーディは真剣な顔で執事と相談を始める。


「コーディ様。ちょっといいですか?」


「あ、ああ……」


 そんな彼の手を掴むと、レイチェルは、自分の胸を触らせた。


「!!?!?」


 コーディが目を剥いて飛び上がる。レイチェルはすくっと立ち上がると、驚く彼に詰め寄った。


「もっとちゃんと触ってください」


「公衆の面前で何を言ってんだ!?」


「ちゃんと、わたくしの心臓が動いてるか確認してください」


「???」


 動揺するコーディに舌打ちすると、レイチェルはもう一度彼の手を掴もうとして──彼女を見つけた。


 コーディを押し退けると、その背中に向かって一目散に走り出す。


「すいません、コーディ様!」

「レ、レイチェル!?」


 コーディの焦る声が聞こえたが、振り向かずに彼女に向かって声をかけた。


「ステラ様!」


 レイチェルの呼びかけに、彼女は、立ち止まって振り返る。長い黒髪がさらりと揺れ、金の瞳が見えて、レイチェルはその美しさに息を飲んだ。


 この瞬間。彼女と対峙するこの瞬間。レイチェルはいつも、一瞬だけ嫉妬もなにもかもを忘れて見入ってしまう。それから、こう思うのだ。星を見つけた、と。


 レイチェルは彼女に駆け寄ろうとしたが、しかし、何を思ったのか、ステラはダッシュでその場から逃げ出した。

 残されたレイチェルは、一瞬ぽかんとして、項垂れる。次いで、肩を震わせた。


「ふふ……」


「レイチェル。あのご令嬢がなにか――ひえっ」


 追いついてきたコーディが顔を覗き込んで、後退る。レイチェルは笑うと、遠くなっていく背中を凝視して、屈伸を始めた。


「……レイチェル。まさか追いかける気じゃないよな? 違うよな? 貴族が集まる学園の入学式で、よそのご令嬢を、走って追いかける気じゃないよな?」


「そんなことしませんわ」


 慌てふためくコーディに、ハッと笑ってみせる。否定が返ってきて安心したのか、胸をなで下ろす彼に、レイチェルは堂々と告げた。


「捕まえてふん縛るのよ」


 顔を青くして叫ぶコーディを置いて、準備運動を終えたレイチェルは、目標めがけてダッシュした。



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