第6話【LOVERS ONLY】


【第六幕】



私の恋人は環心也さんという美大生。

私は彼の彼女になった。


同じ大学生、年齢もそれほど離れてない。

それでも彼は、私たちとは少しだけ異なる世界や時間の中で生きている。


時々、ふとそう思うことがあった。

彼にはひとつ変わった性癖がある。


つきあってみて初めてわかったことだ。

悪癖というべきだろうか。


それは彼の拾い癖だった。


「心也さん!拾った物を持ち帰るのは、私だけにしてくれないかな?」


彼は2人で街を歩いている時も、やたらそこらに投棄された廃材(つまりゴミ)に目がいくようだ。お気に入り(どう見てもゴミ)を見つけると、廃棄家電や、どうでもいい板きれや石ころ等を、家にお持ち帰りしたがる。


その度に、私は彼に母親のように注意しなくてはならなかった。


「これはゴミじゃないのに」


なにその恨めしそうな目。

普段は物ごしのやわらかな人なのに。

彼も譲らない。


揚げ句に私に向かって深い溜息。


「君も母と同じことを言うんだな…」


ほら、言ってるそばから何か見つけた。

それは、ばっちいから捨てて下さい。


「おお!あれは…なかなかのトマソンだぜ!ほら、繭もよく見てごらん!」


見たところ、トマソンに該当するような外国人など何処にもいない。


彼の目線の先にあるのは雑居ビルの壁。

2階建ての建物の壁には扉がひとつ。


そこから下に降りる階段も、隣の棟に移動するための渡もなかった。


以前はそこにあったのかもしれないが、今は撤去されてしまったのだろう。


トマソンって誰?


あなたの世界では常識でも。

私に教えて欲しい。

もっと深く知りたい。

心也さんのこと。

彼の言葉で。


路地の裏にある、コンクリで作られた古びた小階段。その先に扉はない。ただ段差だけが残されて、登っても入り口がない白い壁。


大きな長靴のスタンプが押された泥の中から

芽を吹いて、咲いた一輪の花。


「昔、巨人に鳴り物入りで入った助っ人外人がいてね。彼は大いに期待されたけれど、実際成績は散々で…すぐに帰国した」


その外人選手の名前がトマソン。


ホームランを量産する安打製造機だと、最初は誰もが大いに期待したが。

実際は三振ばかりで、バットに全然当たらない。


とんだ扇風機だった。


利便性が最先端まで進化を続ける、私たちの世界の中にある、どうでもいい物。

まったく機能してない、いらない物。

そこに存在はしても人目に止まらない物。


それをトマソンと名づけた人がいる。


それを日常の中で発見する。


「それが楽しいんだよね」


そう心也さんは言うのだ。


なあんだ…結局はいらないものじゃない。

私はそう思った。


そう考えると、オペラおばさんに心惹かれるという彼の言動も多少理解できた。


でもオペラおばさんは、そんな芸術とは程遠い。人々が見過すどころか、嫌でも耳や目に3Dサラウンドで飛び込んで来る。


心也さんはどこかずれている


あんまり変なものばかり拾っていると、たちまち家がごみ屋敷になりそうだ。


「まあ…子供のから色々拾って来たので、母親にはよく家で叱られたもんさ」


「お母様とは話が合いそう」


心也さんのお母さんも、彼の性癖には昔から頭を悩ませていたらしい。


「だから、僕は頑張って美大に進学出来てよかったと今は思うんだ」


高校生の時、自分で願書を書いた美大の進学には、当初御両親も難色を示した。

将来が不安だと言われた。

現役合格も難しいと言われた。


それでも、なんとか難関を突発して、志望の大学に入ることが出来た。


心也さんは、家やそれまで通っていた学校以外の自分の居場所を見つけたのだ。


「僕の通っている大学には、ゴミ ストック ヤード…通称【ゴミスト】と呼ばれるすごく大きな部屋があってさ」


ゴミストは学生の間では【宝物殿】と呼ばれているらしい。


学祭などの大きな催し、四年生が卒業して大学寮を去る時期には特に、そのゴミストに在校生たちがつめかける。


本来ならば、ゴミを捨てる以外用がないはずのその場所に、皆が挙って足しげく通う。

美大のゴミストは、捨てるのではなく、むしろ拾うことを目的にした学生が、足しげく立ち寄る場所でもあるのだ。


廃棄されたゴミは、美大生にとっては、大切な大切な宝の山なのだ。


創作に注ぎ込むお金を、廃財を利用することで少しでも補える。


課題に追われ、バイトする時間もない。美大生にこんなありがたい場所はない。


「まあ…大学以外でそんなことばかりしてると、大抵は白い目で見られるからね」


多少の後ろめたさはあるみたい。

心也さんの通う大学では、彼の拾い癖など至極普通で真っ当な行いらしい。


心也さんは言う。


「秋頃に、僕の通う大学に来てごらん」


彼の通う大学の構内に、一歩足を踏み入れたら。廊下の其処彼処に置かれている、学生が製作した石像や、オブジェだと判別出来る物の他に、廃材だか作品だか、一般人には凡そ分からないしろものが鎮座している。

そんな謎物体が沢山置かれているらしい。


それを世間では廃棄物と呼ぶのだが。

彼の大学では違うらしい。


身だしなみなどそっちのけ、課題の創作に没頭するあまり、すでに廃材や作品と同化してしまった人もいる。


「でも…何故かそこにいるだけで落ち着くし、とても和むんだ!」


そこにいるだけで、俄然とやる気や、勇気が湧いてくる。


心也さんにとって大学はそんな気持ちにさせてくれるらしい。

ちょっとうらやましい。


そういう場所なら。

私も…昔から自転車に乗って探していた。


そんな心也さんだ。

子供の頃から、絵を描くことが当たり前のように好きな少年だった。


けれど、小学校の図画や工作の授業とは、あまり相性がよくなかった。


授業というより、先生や小学校の定められた教育方針言うべきか。


「幼稚園や保育園の、お絵描きの時間が大好きだったな。好きなものを、好きなように描いたら誉めてもらえたからね」


けれど小学校の授業で絵を描くことは、学年が進むに連れて次第に苦痛になった。


そこにどうしても教師は、社会性の発達や、正しく正確な線を描くことを求める。


心也さんがしたように、緻密な風景画の中ににオペラおばさんを描き込むようなことは、けして誉められたことではなかった。


オペラおばさんは現実に存在するものだ。

しかし彼が描いたのは、必ずしも、そうした現実にあるものばかりではなかった。


少年時代の心也さんが、心に思い描いて、描きたいと感じた世界には、それは確かに存在していたにも関わらず。


「他の人には見えないものだから仕方ないよ。ふざけて描いてると思われたんだ」


心也さんは私にそう言った。

少年時代の寂しげな面影が重なる。


担任の教師はそれを皆の前で否定した。


決められた時間内に合わせ、さっさと提出された他の子供たちの描く絵が、彼の絵よりもずっと良い評価をもらえた。


いつまでも完成しない彼の絵は、そのうちにに取上げられてしまう。未完成のままで。


他の子の絵と一緒に、教室の後の壁に、四隅を画鋲で止められて飾られた。


彼は、それがすごく残念で不満だった。

それでもクラスの誰もが、彼の絵の上手さは知っていた。


彼の絵を欲しがる女の子もいた。


「シンヤ!なんか描いてくれよ!」


友だちに言われる。

それがうれしかった


「学校での図画の成績は…惨敗だった思い出しかないんだ。親が進学を危ぶむわけさ!」


今の心也さんは、好きな絵が自由に描けて、幸せなんだよね。


彼の横顔を見てそう思った。


外に捨てられた鉄錆や汚れに魅せられ、家に持ちかえり塗装していた少年。


外で、なにか面白いものを見つけると、今でも彼は耳朶が熱くなるらしい。


その色使いや、独創性に気がつく人は、まだいなかった。


そんな行為も美大生になれば普通。

彼の手で命を吹き込まれた作品の幾つかは大学の講義で取上げられ称賛された。


彼は、そこで初めて得た自分の居場所、喜びとか、ささやかだけど、生きる意味があるんだと、再認識した。


そう嬉しそうに私に話してくれた。


「私、心也さんが人でよかった」


「え、それってどういう…」


私は心也さんと手をつないだ。

彼の指先は、若竹の穂先のように細くて繊細で少し冷たい。


けれど重ねた手は、互いの体温ですぐにあたたかくなる。


私には絵の才も音楽の才能もない。

からっきしだ。


心也さんが街を歩きながら、見ているものは概ね、私には理解出来ない。

説明されても実はぴんとこない。


街角や路地の一角や建物にそれはある。


多分それは、街のいたるところに置き忘れられた人のなりわい。人の思いだ。


彼はそれを見つけて挨拶が出来る人。


人の目は前にしかついていない。


私たちは背中を押され前に前に進む。


立ち止まらず、省みられることもなく、やがて忘れ去られ消えていくものたち。


心也さんはそれを見つける。

フレームやキャンバスに中に新しい居場所を用意してあげられる人。

そんな魔法を持って生まれた。


それが芸術というなら。

私にも芸術というのが、よそよそしく気位の天高いものではなくなる気がした。


人の思いは目に見えない。

見えたとしても見過ごしてしまう。

それがどんなに美しく素敵なものでも。


「心也さんが人間でよかった」


私の口から無意識に零れた言葉。


人間でないなら。どんなに美しくても、心惹かれるものであっても、こんな風に手をつないだりは出来ないから。


それは悲し過ぎる。


心也さんは私になにか言いかけ。


「ありがとう」


それだけ私に言った。


「でも心也さん」


私は彼に頬笑み返し言った。


「その左手に隠した石は捨ててね!」


「まるで人の顔みたいに見えるよね」


「捨てなさい!」


私は彼にぴしゃりと言った。

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