第84話 不屈の闘志(1)

「―――――――――ッッッ!!!」


響き渡る破砕音。

あまりの衝撃に声を上げる余裕すらないまま、ガルバーの体がさながら弾丸のように吹き飛んでいく。

懸命に身をよじらせるが、限界を超えていた狩人ハンターには空中で体勢を立て直す余裕も余力も残っておらず、為す術もなく自身の背後―――派閥クランの拠点がある岩山へと向かっていった。


「ぐっ………がぁっ……!!」


激突までのほんの僅かな時間。

今にも飛びそうになる意識を必死に保ちながら、ガルバーは空中で必死にもがき苦しんでいた。どうしようもない無力感を感じながら。

そして、その時、まるで憐れむような眼差しで自分を眺めている視線に気付いた。


「クソが……冒険者ぁぁぁぁぁあああああ!!」


最後の最後でギラついた目をカッと見開くと、その視線の主―――相変わらず無表情で立っているイツキに向けて怒号を放った。

心からの叫びだ。

見下すな。せめて勝ち誇った表情かおをしろ。

そうじゃねぇと、オレが惨めじゃねぇか。

だが、そんな願いも虚しく、ボロボロに疲れ切った狩人ハンターは堅牢な岩山に直撃し、崩れゆく拠点と共にヘルタの大森林の地に伏せたのだった。


☆☆☆


ざわついていた夜鳥の嘶きが途端に静かになり、夜風にさざめく葉の音だけがヘルタの大森林を染め上げていた。

この世界は弱肉強食だ。

大自然の中では敗者に慰めの恵みが与えられることも、その健闘を称えられることもない。それが自然の摂理であり、誰も逆らうことができない真理だ。たとえこの森の支配者である狩人ハンターであっても、当然例外ではない。

岩山に激突したガルバーが力尽きたように倒れ込んだ姿を見届けると、決闘の勝者となったイツキはフッ…と表情を緩めた。


「素晴らしい一幕だった。お前の牙はいつか高みへと昇るだろう」


充実した達成感と共に少しの名残惜しさを覚えつつ、イツキは地に伏せた狩人ハンターから目を離した。

最後に憐むような視線を向けてしまったのは、その才能を惜しんだからだ。

狩人ハンターの集落を飛び出し、怒りの赴くままに冒険者に手をあげ、挙げ句の果てには貴族の捨て駒になる。どう言い繕おうともガルバーは悪者であり、イツキに倒されるだけの正当な理由があった。

だが、狩人ハンターの可能性を見出したのも事実だ。あれほどの閉鎖的な環境に身を置きながらも自身の可能性を信じた彼は、たしかにある意味では英雄だったのかもしれない。


「んあ……?終わったんスか?」

「ああ、どうやらそうらしいな」

「んはぁぁぁ〜…っ!よく眠れたッスねぇ〜…」


うとうとしていたフィーネが最後の衝撃音で目を覚まし、寝ぼけ眼を擦りながら人形の体をゆっくりと起こした。

ほんの僅かな時間だったはずだが、普段から断続的に睡眠を取っているショートスリーパーな情報屋にとっては満足できるものだったらしい。

そんな彼女の視線の先では抉れたような地面の跡が点々と続いており、激しい戦闘が繰り広げられたことを物語っていた。どうやら、ほとんどの相手を一撃で仕留めてきた元勇者にしては幾分か手こずったらしい。


「旦那にしては苦戦してたみたいッスね。いくら悪名高い狩人ハンターと言っても、たかが辺境部族のチンピラじゃないッスか」

「そう言われると返す言葉もないな。だが、あれは中々に鋭い牙だった。俺も久々に熱い闘いができたからな」


手放しで褒めるわけではないが、事実としてガルバーは予想以上の強敵だった。

俊敏な動き、手堅い立ち回り、そして、魔法も惜しみなく使う総合力の高さ。どれを取っても、たしかに数多くの冒険者たちを叩き潰してきたという噂通りの実力だ。

すると、めずらしく熱を帯びた表情で敵を称える元勇者の姿を見て、おどけた様子だったフィーネが目を丸くする。


「へぇ〜…旦那が褒めるなんてめずらしいこともあるんスね。まああたしには速すぎて何が何やら全然見えてなかったッスけど」

「惜しむらくはアイドルの素晴らしさを理解できなかったところか……」

「いや、だからそれ絶対関係ないッスから」


つい先ほどまで死闘を繰り広げていたにも関わらず、すっかり気が抜けた様子で雑談をはじめるイツキとフィーネ。

どうにも緊張感がないというか、ちょっと散歩してきただけとでも言いたげな空気感だ。まあ常に命を危険に晒してきた経験を持つ彼らにとってはこれが日常なのかもしれないが。

すると、フィーネが自身の足元―――人形の下で眠りこけたままの少女に気が付いた。


「ん〜それにしてもお姫様は全っ然起きないッスねぇ……」


フィーネが不思議そうにアンネの頬をぺちぺちと叩いたりつねったりするが、相も変わらず安らかな顔つきで眠り続けていた。イツキも一緒に顔を覗き込んでみるが、やはり目を覚ます気配はない。

そこで、イツキはごくごく真面目な表情のまま悩ましげに顎に手を当てて考え込んだ。


「ふむ………………」


はっきり言って、めちゃくちゃ可愛い。

普段のキリっとした表情ではなく、ふにゃふにゃと気の抜けた笑みという点がそれはもう素晴らしく可愛かった。

百点満点中一万点といったところか……世界創造に匹敵する革命だ。

魔法で空間を固定した後、王立博物館に寄贈して毎日拝み倒したいぐらいには可愛い。


「旦那、目がヤバいッスよ」

「安心しろ。俺はまだまともだ」


じと〜っと訝しげに眺めてくるフィーネの視線を感じつつ、イツキは正気を失わないように自制心のブレーキを全力で踏み込むことで、ようやくアンネの寝顔から視線を逸らすことに成功する。

危ない。もう少しで不可思議な引力によって世界の何処かを消滅させるところだった。


「いやいや、もう目つきだけで完全にアウトになってるッスから!なんか『手を出さなかったからセーフ』みたいな空気やめてもらっていいッスか?」

「可愛いは正義だからな。俺も正義だ」

「この人もう言葉すら怪しくなってきてるんスけど!?」


開き直るイツキに向かって、フィーネが鋭くツッコミを入れていく。

とまあ冗談は置いておくとして、未だにアンネが起きる様子がないというのは少し気掛かりだった。

最初に確認をしたように毒を盛られていることはありえないが、ついさっきまで至近距離で戦闘が繰り広げられていたにも関わらず、全く目を覚ます気配がないというのも不自然だ。


「仕方ない。あまり気は進まないが、魔法で無理矢理起きてもらうか……」

「うわぁ……寝たままの少女に手を出すなんて、とんだ破廉恥なことを……」

「おい」

「やだなぁ~ちょっとした乙女心じゃないッスか~」

「それを言うなら悪戯心だ。このポンコツ情報屋が」

「ぬぐ……ちょ、ちょっと言葉を間違えただけじゃないッスか……!それに情報屋は関係ないし、ポンコツでもないッスよ……!」


ニヤニヤと人を小馬鹿にした表情から一転、恥ずかしさで顔を赤らめたフィーネが可愛らしく口を尖らせた。

まあ外見が人形なので顔を赤らめているかどうかは一切わからないが。


「それにしても、お前はツッコミで言葉を間違えた鬨だけ途端に狼狽えるのはどういうことなんだ?普段は適当に押し切るだろう」

「う、うるさいッスねぇ……!これ以上傷を抉らないでくださいよ……!まったく、穴があったら入りたいってのはこういうことなんスね……」

「ふむ……穴に入りたいなら掘るが?」

「あぁ~…いつもの旦那に戻ったみたいで逆に安心するッスね……」


本気で近くに縦穴を掘ろうとするイツキの姿を見て、フィーネは一周回って穏やかな気持ちに落ち着いた。

やはり、この元勇者はこうでなくてはならない。

見当違いな答えを返すイツキの様子に、うんうんとフィーネは納得したように一人でうなずいた。


「でもまあ、旦那はもう少し乙女心ってやつを理解してから……」

「――――――――待て!」


何やらしたり顔で話し始めたフィーネの言葉を、イツキが有無を言わさぬ鋭い声で制止する。

フィーネが「一体なんスかぁ?」と不満げな表情を浮かべるが、すぐにイツキの瞳の真剣さに気付いて口をつぐんだ。

緊迫感の漂う異常な景色を目の当たりにしたような厳しい目つき。いくら長い付き合いのフィーネであっても、この威圧感を前にして茶々を入れられる度胸は持ち合わせていなかった。

そんな元勇者の睨み付けるような視線の先は崩れかけの狩人ハンターの拠点、その麓へと注がれていた。


「ま…だ…だ……ッ!!オレは……まだ…負けてねぇぞ!!!」


不屈の闘志を持った狩人ハンターが、今まさに起き上がろうとしていた。

満身創痍。いや、もはや倒れていない方がおかしいような傷だ。

しかし、爛々と火を灯し続けている眼光が、闘いはまだ決していない、と言いたげにギラギラと輝いていた。

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