第60話 追撃開始(1)
「そ、そんな……アンネが……」
遠ざかっていく黒装束の男と
何も出来なかった。
そんな無力感が少女の心を強く締め付ける。そして、どうしようもない後悔の気持ちがじわじわと波のように押し寄せていく。
だが、肝心のイツキはそんなメイナに構うことなく先ほど投げた短剣を回収しに、すぐ脇を通り過ぎていった。
「そろそろか………」
そして、その直後、何かに気付いたように視線を劇場の入口へと向けた。
すると、イツキの視線の先―――劇場内からドタドタとこちらへ駆けてくる足音が聞こえてくる。
「はぁ…はぁ…はぁ…!アンネが急に駆け出していったけど、一体何があったんだい?」
騒ぎを聞きつけたのか、ボストクが息を切らせて劇場の入口から出てくる。そして、絶望に項垂れているメイナを見てから、そばで立ったままのイツキに問いを投げかけた。
劇場前の惨状を見て、すぐに非常事態であると気付いたようだ。
さらにその後ろからティルザとノエルが遅れてやって来る。
「これは…もしや戦闘があったのか…?!」
「イツキ、何があったのか、説明して」
戦闘の跡が色濃く残っている様子を見たティルザが驚きの声を上げ、ノエルが何かを察したように厳しい目付きでイツキを睨み付けた。
これで今この劇場にいる全員が集まったことになる。
そして、イツキは問い詰められる形でかくかくしかじかと起こった出来事を手早く伝えた。
☆☆☆
『アンネが攫われた!?』
「ああ、そうだ。ルーベン伯爵の手の者だろう」
驚きの声を上げる面々に向けて、説明を終えたイツキが淡々と首謀者の名前を付け加えた。
そして、恐れていた突然の緊急事態に、その場にいた誰もが浮足立ちはじめる。
「ど、どどどどうすればいいんだ……?!」
「ボストク、落ち着いて。きっと、イツキが何とかしてくれる」
「ノ、ノノノノエル……!!わ、私は何をすれば?!剣を持って戦えばいいのか?!」
「ティルザ……うん、わかったから。ちょっと落ち着こう、ね?」
あたふたとするボストクとティルザを見て、ノエルが少し呆れ気味に宥める。
普段は頼りがいがあるというのに、いざという時に役立たないとは……。
すると、ようやく放心状態から立ち直ったのか、メイナが暗い顔で俯きがちになりながらも静かに立ち上がった。
「ごめんなさい……メイが余計な事をしたばっかりに………」
「終わったことを気にしても仕方ないだろう。どちらにしろ防ぎ切れなかった俺の不手際だ」
「あ、あんたは何でそんなに冷静なのよ!護衛なんでしょ?!はやくアンネを助けに―――…っ!?」
まるで他人事のように淡々と言葉を紡ぐイツキに向けて、メイナが癇癪気味に声を荒げた。子供みたいに落ち込んでいる自分を馬鹿にしているのか、と。
だが、その顔を見た途端、苛立っていた気持ちはすぐに尻すぼみに消えていった。
なぜなら、イツキの目が怒りに灼灼と燃えていたからだ。
威圧感なんてものではない。ただただ純粋な怒りの感情。それがありありと表情に現れていた。
「わかっている。すぐにいく」
イツキは今にも溢れ出しそうな怒りの感情を抑え込みながら、回収した短剣を懐にしまった。そして、ガルバーたちが去っていった方向を見定める。
「(方角は北東か……
イツキは必要最低限の情報を集めてからひと通りの考察を終えると、顔を上げてメイナたちの方を向いた。
「ひとまず付近に敵はいないが、どこかに潜んでいる可能性がある。お前たちは自分の身を守ることに専念しろ。全員で協力すればそう易々と捕まりはしないはずだ」
「まさか、あんたそれを考えて……」
「陽動と分断は常套手段だ。ここでもう一手先を行かれると、それこそ取り返しのつかないことになる」
メイナが失意に沈んでいた間も、イツキは常に先を見据えて動いていた。
護衛の役目は確実に果たすのがイツキにとっての義務だからだ。
すると、そんな冷静沈着な判断を下すイツキの様子に影響されたのか、浮足立っていたボストクとティルザも落ち着きを取り戻した。
「なるほど、わかったよ。ここは支配人の私が皆を守ってみせる!」
「イツキ殿、ご安心を。ノエルの事は私が命にかえても守ってみせる!」
「大丈夫。自分の身は、自分で守るから」
『………あれ?』
「ああもう!メイがまとめて面倒見るから!」
相変わらず足並みが揃わない面々に向かって、メイナがいつも通りの調子で少し怒りながらも、その表情には先ほどまで失われていた温かさが戻ってきていた。
これで、ひとまず問題はないだろう。
ようやく普段に戻った彼らを見届けると、イツキは安心したように笑みを浮かべた。
「お前たちは劇場の中で待っていろ。詳しいことはアンネを助けてから伝える」
「………任せて良いのよね?」
「愚問だな。ここで役目を果たさなければ、俺がここまで来た意味がない」
「………ありがとう。アンネをお願いね」
そして、メイナが深々と頭を下げた。
自分の力不足への苛立ちも、浅はかな行動への後悔もある。だが、それを全部ひっくるめて胸の内にしまい込み、全てを目の前の冒険者に託した。
イツキはその言葉に同意するように頷くと、ガルバーたちに追い付くべく劇場を飛び出していった。
☆☆☆
劇場から出たイツキはまっすぐガルバーたちを追いかける―――のではなく、劇場前の路地へと飛び込んでいった。
劇場の入口を眺めるにはちょうどいい塩梅の場所だ。
そして、そこに積み上がったゴミの山を眺めた後、その中から薄汚い小さな“人形”を引っ張り出した。
「おい、フィーネ、起きろ」
「ぎゃっ…?!って、旦那じゃないスか……何スかこんな朝早くに……」
「時間がない。手短に答えろ」
人形から
ふわりと体が宙に浮き上がった後、重力に引かれて煉瓦の屋根に足がつく。
その直後、衝撃。
イツキは屋根瓦がはじけ飛ぶほどの勢いで加速し、アンネを攫った
「北東方向に向かっている
「えぇ〜…面倒ッスね……。特別料金いただくッスよ?」
「金は払う。どうせ"視ている"んだろう?」
「しょうがないッスね……これは貸しッスからね?」
フィーネはイツキの要求を渋々といった様子で飲み込むと、静かに記憶の糸を手繰り寄せはじめた。
イツキが情報屋としてのフィーネを信頼している理由が、これだ。
彼女の能力の本質は人形に情報を保持するだけでなく、この街にバラまかれている人形を通して実際に見聞きした情報を収集できる部分にある。
人形が見た景色、聞いた言葉を回収できる。情報屋を生業とする上で、これほど便利な能力はないだろう。
「ん〜…旦那とやり合ってた銀髪の男はガルバーの奴ッスね。これはまた面倒な奴と関わっちゃいましたね〜…」
「そんなに強いのか?大した事はないと思ったが……」
「そういう意味じゃないッスよ。本当に旦那は戦闘バカなんスから……。旦那も一悶着あったからわかるとは思うんスけど、一応強者だとは噂されてるッスよ。ただまあ、この男の場合は"単純な強さ"というよりも、悪い意味で
「どういうことだ?」
フィーネの含みを持たせた言い方に、イツキが立ち並ぶ家々を凄まじい勢いで駆け抜けながら食い付いていく。
そして、そうこうしている間に、視界の端には僅かに
「ガルバーは黒い噂が絶えないバリバリの
「なるほどな。そして、どうやら今回はルーベン伯爵と手を組んだようだ」
「みたいッスねぇ〜…ロクでもない輩同士は自然と引かれ合うってわけッスね……おっ!どうやら東門から抜ける算段みたいッスよ」
肩の上に乗っているフィーネが巨大な門へと入っていくガルバーたち一行の姿を捉える。
どうやら正攻法でエルネストリアから抜け出すつもりのようだ。
「やはり東門か……だが、わざわざ大通りの玄関口を選ぶとは何か理由があるのか?」
そこでイツキがとある疑問を口にした。
城壁で囲まれたエルネストリアには、東西南北それぞれの方位ごとに全部で4つの門がある。
その中でも東西を繋ぐ大通りの出入り口になっていることから特に人通りが多く、検問もそれなりに厳しい。
少なくとも悪事を働いた輩が逃げ道に選ぶルートではないはずだ。
「ん〜…旦那がいた劇場も東側にあるから間違っちゃいないとは思うんスけどね。中央には自警団もいるわけッスから」
「だが、
「それはそうなんスけど……」
何か裏があるのかもしれない。
だが、未だに掴み切れない敵の意図に若干の不安を覚えながらも、イツキは着実にその距離を埋めてきていた。
このまま順当に行けば、敵がエルネストリアから出てすぐに追いつけるはずだ。
そう思っていた矢先のことだった。
「んん…?!お相手さん転移魔法使ってないスか…!?」
肩の上に乗っている
つられてイツキがその視線の先を追うと、門の先―――エルネストリアの外に出た場所に青白い魔力の光が立ち昇っているのが目に映った。
そして、黒装束の男が中心で詠唱をしている巨大な魔法陣の中に
ここまで足を使ってやってきたのは
どうやら東側に出てから一気に目的地まで転移する算段のようだ。
「チッ………間に合え……っ!!」
イツキは予想外の事態に舌打ちをしながら、さらに加速をして門の中へと突っ込んでいった。
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