第44話 勘違いと罪悪感

「「…………………………」」


ばっちりと目が合ったまま二人の間に何とも言えない微妙な空気感が漂う。

だが、轟音と共に目の前に滑り込むように飛び出してきたアンネの姿を認識した直後、イツキの背筋を嫌な予感が駆け巡っていった。

タイミングと場所。どちらを取っても聞かれてしまっている可能性は十二分に考えられる。


「お前……まさか……」

「何も見てないですよっ!イツキさんがノエルと楽しそうに逢引している姿なんて、私は見てないですからっ!…………あっ!いや、違くって、えっと、大丈夫ですからっ!!」


イツキが疑惑の眼差しを向けると、アンネは慌てふためいたように両手をブンブン振り回しながら思っていたことを口にしてしまう。

逢引、つまり、イツキとノエルを恋人同士だと勘違いしているわけだ。

どうやら魔王についての話は聞かれていないらしい、とイツキはアンネの反応を見て一安心した。そもそもどうやって人払いを抜けて来れたのかという疑問は残るが、会話内容さえ知られていなければ問題はない。


「一旦落ち着け。まず、俺は逢引なんてものはしていない。それにあいつは魔――――」


王、とうっかり明かしてはいけない秘密を暴露しそうになったところで何とか踏み止まる。

いくら気が抜けているとはいえ、ここで口を滑らせては元も子もない。だが、踏み止まったのはいいものの、次の言葉が何も浮かんでこない。


「(魔……魔性?いや、意味が分からない。魔獣…もダメだな、あとで殺される。魔……魔素転換並列回収記憶装置!……違う!!)」


普段から思っていることしか言わない無礼さが特徴の元勇者に、この状況を打開するとっておきの言葉など浮かぶわけもなかった。そして、イツキは突然言葉を失ったかのように口を開いて虚空を見つめたまま固まってしまう。


「魔……??魔族ってことですか?」

「………!そ、そうだ。あいつは魔族だからな、俺が魔力の流れから見抜いたことを気にしていたらしい。今後のためにとわざわざ律儀に聞きに来たんだ」


イツキは若干どもりながらも何とか言い訳を捏造して、この事態を切り抜けることに成功する。

運良くアンネが勘違いしてくれたことで、予期せぬアシストが舞い込んできたおかげだ。

すると、イツキがとっさに語ったノエルの頑張りを聞いて、アンネがとても嬉しそうに笑みを浮かべた。


「そうだったんですね!普段は無表情でよくわからないですけど、ああ見えてノエルはとっても真面目で優しいですからね。イツキさんとも上手く話せているみたいで安心しました!」

「そ、そうだな……」


アンネの純粋な笑顔を見て、こんな幼気な少女を騙してしまったという罪悪感がイツキの心の中を埋め尽くした。

そして、とてもじゃないが、ついさっきまで散々イジっていたとは口が裂けても言えないな……とイツキは改めてアンネに会話を聞かれていなかったことに胸を撫で下ろした。


「でも、本当によかったです。イツキさんがノエルとそーゆー関係だったらどうしようかと……」

「安心しろ。それだけは絶対にない。俺はまだ命を捨てるつもりはないからな」

「あははは……たしかにあのティルザは怖いですからね……」


きっぱりと言い切ったイツキの言葉に、アンネも生真面目で異常に過保護なエルフの姿を思い浮かべた。

普段は落ち着いているティルザも、溺愛するノエルのことなら話は別だ。相手が誰であろうと地の果てまで追いかけてくる狂戦士となるに違いない。そうなってしまったら、さすがのアンネでも手の施しようがない。

だが、イツキとノエルの関係が勘違いだとわかったところで、アンネは安心したように「ふ~…」と大きく息を吐いた。

ゆったりと沈んでいく夕日が妙に呑気に感じられる。きっと忙しない日を過ごしたからだ。


「それにしても、なんだかすごいことになっちゃいましたね~……」

「ああ、全くだ」


呆けきっているアンネのぽやぽやした声に、思わずイツキも気の抜けた表情になる。

この怒涛の一日を振り返ってみれば、誰もがため息の一つはつきたくなるだろう。ただでさえ推しの護衛依頼を受ける非常事態だというのに、たった一日でアイドルと同居生活が決定したのだ。意味が分からない。

イツキのどこか憮然とした態度が可笑しかったのか、アンネが「ふふふ…っ」と小さく喉を鳴らして笑う。


「私もまさか偶然出会ったあなたが来るとは思ってませんでした。もしかして、こうなるようにイツキさんが色々と根回ししてくれたんですか?」

「いや、最初はこんなつもりじゃなかったんだが、リンダさんに無茶を言われてな……。あの酒場になら俺以外にも適任なヤツはいくらでもいたはずなんだが……」


イツキは『旅人の止まり木』で働いているニーナやマキのような戦闘に長けた女性陣を思い浮かべた。

ただの護衛であればイツキほどの実力がなくとも問題はないうえに、少し探せばアンネと知り合いの人も見つかったはずだ。わざわざ限界オタクを送り込む理由などないに等しい。どうせ新手の嫌がらせか何かだろう。

そんなイツキの苦々しい顔つきを見て、アンネもつられて懐かしさに表情を緩めた。


「あはは……なんだかあそこで働いてた時を思い出しますね。リンダさんはいつも無茶なことを言いますけど、私たちが考えてる以上に私たちのことを思ってくれてますから。きっと今回も何か特別な思いがあったんじゃないですか?」

「そうだといいんだがな……」


イツキは苦笑いをしながら、こう仕向けた世話焼きな酒場の店主を思い浮かべた。

アンネはこう言っているが、あのリンダなら「あんたの不愛想な表情を少しでも動かせるように鍛えてきな!」と背中を思い切り叩いてくるだろう。

そして、それと共に、心底面倒くさそうな表情になったイツキを陰で笑うニーナとマキの姿もいとも簡単に目に浮かんだ。

…………ただの想像だが、無性に腹が立つ。

だが、そんな何事も鬱陶しく感じる普段通りのイツキとは別に、まあそれも嫌いじゃないがな、と思う自分もいた。

それに気付いた時、我ながら俺もずいぶんこの世界に毒されたものだ、と不愛想な元勇者はその顔をほころばせたのだった。

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