第40話 結論

「うん、やっぱり、私はボストクさんの案に賛成です。この劇場も安全とは限らないんだから、イツキさんに居てもらった方が確実だと思います」


アンネはボストクの提案に再び納得し、ごく自然に賛同の声を上げた。何の迷いもなく。それが当然だとでも言うように。

そして、少なからず反対が予想されていたアンネがあっさりとOKを出したことによって、周囲に動揺の波が広がっていく。


「え、あれ……?私なにか変なこと言いました?」


そこでようやく周囲が息を呑んでいることに気付き、アンネが何か失敗したのかと少し不安げな表情になる。

気にしている箇所がどこかズレているが、決して面白半分で言った様子ではない。そして、何をするにもいつも慎重で、あれこれ背負い込んでばかりのアンネの言葉だったからこそ、誰もが驚きを隠すことができなかったのだ。


「ちょ、ちょっとアンネ、本気?だって、こいつ"男"よ?男はみんな狼だって、メイのお母さんも言ってたんだから!」

「うーん……でもイツキさんって、何か違う気がするんだよね。仕事は出来るけど手は出せない、みたいな?」

「可愛い顔して、さらっと酷いこと言うわね……」


アンネが言い放ったイツキへの辛辣な評価に、普段は毒舌なメイナも思わず苦笑いを浮かべる。悪意ゼロの無意識だからこその言葉なのだが、メイナにとってはそれが逆に恐ろしく感じられた。

一方、『女性に手を出す度胸もない冒険者』と断言されたイツキとしては軽く反論を言っておきたいところだったが、今はそんな茶番を炎上させるような場面じゃない。


「落ち着け。いくら何でも話が飛躍し過ぎだ。これはあくまでも護衛依頼の話だったはずだろう?」

「じゃあ、イツキさん、まさか私たちの中の誰かに手を出すってことは―――――」

「それは絶対にない。神々の前で魂に誓おう」

「なら、いいじゃないですか!ね?」


そう言って無邪気に笑うアンネの顔を見て、イツキも二の句が継げなくなってしまう。

言い返しようがないのだ。こんな純粋な眼差しで信頼の心を寄せられて、ノーと言えるわけがなかった。そもそもイツキは合理性以外ではアンネに対してほぼ無力なのだから、試さずとも勝負の結果などとうに見えていたが……。

一瞬にして陥落した自称冒険者を見て、ティルザがメイナに小声で耳打ちをする。


「……………メイナ、どう思う?」

「ノーコメントよ」


ティルザの問いかけに、メイナが呆れたようにお手上げだというポーズをしてみせた。アンネがいいと言ったのなら、自分はそれに従うという意思表示だ。

メイナのことだからもう一度食って掛かるとは思うが、その前に白黒はっきりさせておかねばならないことがある。そう覚悟を決めると、ティルザは困惑したままのイツキの前に仁王立ちで立ちはだかった。


「ではイツキ殿、私からも一つ言わせてもらおう」


ティルザは一言断ってから、再び品定めをするようにイツキを観察した。

特に目立ったところのない普通の下級冒険者にしか見えないが、その内側に秘めた力を持っている。護衛という点においては申し分ない。いや、申し分ないからこそ釘を刺さねばならないのだ。


「ノエルに手を出したら、殺す」

「…………肝に銘じておこう」


ティルザが有無を言わせぬ本気の表情でにこっと微笑んでみせてから、目をスッと細めて冷え切った言葉の刃を突き立てていった。

何か問題でも起こそうものなら、地の果てまで追いかけられることになるだろう。どんな障害をも乗り越えて相手を追い詰める。この目はそんな“絶対冗談が通じない類のアレ”だ。

それを見たイツキは視線を逸らしながら、絞り出すように返答することしかできなかった。そして、心の中で逆らってはいけないリストに彼女の名前をそっと追加したのだった。


「それじゃあ、もう一回聞くけど、アンネ、本当に本気であいつをここに住ませるつもりなの?メイは反対よ!」

「私はノエルさえ安全なら何でもいいが、常識的に考えて男女が同じ建物に住むのはあまり宜しくない。それもほぼ初対面の冒険者だ。少なくとも、私たちの舞台ライブを見てくれている人たちはこの事を快く思わないだろう」

「それは……なんとなくわかるよ。でも、私は皆が大事だから、ここで妥協なんて出来ないよ」


呆れ切った表情で抗議するメイナと、真面目な意見で諫めようとするティルザだったが、アンネは二人の言葉を受け止めてもなお折れる気はなかった。

自分たちができる最高の舞台ライブをするために出来ることは何でもする。そうしないと、きっと心のどこかに後悔が残ってしまう。それだけは絶対に嫌だった。


「私たちが過ごせる"今"は、もう、この瞬間しかないんだから」


アンネは僅かな迷いすら振り切るように力強く言い切った。自分の信じた道を違わないために。

そんな頑固なリーダーの様子を見て、ティルザとメイナは顔を見合わせてから諦めのため息をついた。


「はぁ……わかってたけど、こうなったら無理ね」

「そうだな。このアンネは梃子でも動かないさ」

「…………っ!ありがとう、二人とも!」


アンネはさっきまでの真剣な様子から途端に破顔すると、バッと二人に覆い被さるようにもたれかかった。そして、身長差のあるティルザとメイナを両腕で抱き込むと、吹っ切れたような満面の笑顔を浮かべた。


「うわっ…!ちょっと、アンネ!いきなり抱きついてこないでよ!」

「まったく……こういう時だけは調子がいいのだからな」


少し顔を赤らめながら文句を言うメイナと、呆れながらも優しげな笑みを浮かべているティルザ。何だかんだ言っても、いつでも味方になってくれる大切な仲間だ。

そして、アンネは心の底から嬉しそうにイツキの方を振り返った。


「それじゃあ、イツキさん、これからよろしくお願いしますね!」

「はぁ…………ああ、よろしく頼む」


決定権など無いことは重々承知していたイツキはため息をつきながら、渋々といった様子で提案を受け入れた。

これでしばらくはアイドルと同居生活というわけだ………胃が痛くなるな、とイツキは自虐するように心の中で呟いた。これを羨ましいと思う人たちがいるのはわかるが、面倒事だけは全身全霊で避けて通りたいイツキにとってはリスク満載の地獄道だ。誰かに知られでもしたら……想像するだけで背筋が寒くなる。

だが、不思議と嫌な気分ではなかった。むしろ、腐り切った貴族たちの小間使いに比べれば百倍マシだ。


「まあ、こんな報酬も悪くないな、きっと」


いつにも増して仲間たちと楽しげに笑うアンネの笑顔を見て、イツキはそう独りで呟いたのだった。

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