献血のポスターについて
古新野 ま~ち
第1話
仮にこういう場面があったとして、そのとき自分はどうあるかを考えてしまう。
自分は公立の中学の先生をしていたとします。そのクラスの男女比は5対5。今は美術の時間です。美術の教科書を開くと、そこではクールベが紹介されていました。そこで、インターネットを使って、クールベがどんな絵を描いたのかを紹介するときに、『出会い』を選択しました。
とある生徒の質問で、「クールベの他の作品を教えて下さい」とありました。自分は、何の作品を選びますか?
Wikipediaでクールベを検索すれば、彼の絵がたくさんでてきます。教師である自分は中学生に対してどのような絵を例として見せるのが適当でしょうか。
彼の作品は、風景画や自画像も多く具体例には困りません。しかし、色々あるなかで、生徒たちに対して『世界の起源』を見せることは、おそらくしないでしょう。非常に簡単に言えば、女性の下半身の絵です
仮定はこの辺でやめましょう。
献血のポスターで『宇崎ちゃんは遊びたい!』が用いられたことが話題になってますね。原作は漫画アプリで更新されたら読む程度の思い入れですけれど、このことについて考えをまとめておこうかなという気になりました。
件のポスターに批判的であったのが、女性の権利についての活動に力を入れておられることが、いわゆるオタク界隈でも知れ渡っていた弁護士の太田啓子氏であったことも手伝ってか、ポスターの絵を批判するのは女のフェミニストだという浅い認識が広まっている気がします。ちなみに、氏はポスターに添えられた文言についても苦言を呈していました。
このポスターの文言も、献血をしない人に対して挑発する内容だったことも批判されていますね。まぁ、こちらを擁護する人はあまり見かけませんね。
私の判断ですが、ポスターの絵を擁護する人々のなかで一番の有名人は、おそらく映画評論家の町山智浩氏でしょう。その擁護の内容は、ポスターはセクハラを意図して描かれたものではなく、また、当該の絵をセクハラとするならば露出度などの基準を示してほしいということでしょうか。
他の、例えば『ONE PIECE』であったり、はては名画や地母神像などを引き合いに出して、これらはどうなのかという疑問を投げ掛けておられます。
私の意見としては、冒頭の例え話のようですが “見せても無難なものを選ぶ” につきると思います。これは何も『世界の起源』が悪い絵であり排除しなければならないと言ってるわけではありません。間抜けな絵だなとは思いますが。
『世界の起源』を見せれば、一部の男子生徒を中心に女子生徒も含めて喜んでくれるかもしれません。けれども、一部の女子生徒は心中苦々しい思いをするかもしれません。一部の男子生徒は「○○くん、ガン見してる~ 」と囃し立てられるかもしれません。そしてここでは想定できないような何かを引き起こすかもしれません。その全てを、見せてしまった教師ならば責任を取らなければならないでしょう。
話を戻すと、そもそも献血の広告に相応しくない文言だけをとってみても論外の広告でしょう。では、あの、原作単行本3巻の表紙を流用した絵についてはどうなのか。献血に来てほしいからと、胸の強調された『女』のキャラクターで大丈夫だと会議が通ってしまう構造が批判されているのだと思います。ビールのポスターで水着の女性が用いられにくくなったのもそうだと思いますが、多くの人の目に触れる広告では、その広告の内容と無関係に女性が用いられることに対して、世間がどのような反応になるのかを想定しておかなければならないのだということです。ここ数年、萌え絵を使ったポスターは数あれど、炎上したものはごく一部であり、その理由を分析して広告を作ることを怠っているからだとしかいえません。萌え絵や女性キャラクターなら何から何まで炎上すると思ったら、それは間違いだとしかいえません。
重要なのは『宇崎ちゃんは遊びたい!』が批判されたのではなく、日本赤十字のポスターでおっぱいの強調された絵が使われたのが批判されているということです。たとえ、あのポスターが『宇崎ちゃんは遊びたい!』ではなく『ONE PIECE』の水着の女キャラあたりだとしても似たような反応になるかと思います。
姑息な人がちらほらいたので捕捉しておきますけれど、内容と無関係に「女」を使って注意を惹き付ける手段が批判されているのであって、その広告が女性用の下着であったり、またはその女性自身を宣伝するものであれば、その限りではないです。もし何か不愉快に思う広告があるのなら、貴方自身が告発してください。内容次第では、広告業界の発展に繋がるかもしれません。
さて、ここまでは一般論です。今回、何が辛かったかといえば、ポスター擁護陣の姿勢ですよ。地母神像や名画を持ち出して、これはエロくないのかって、馬鹿なのか不誠実なのか、それとも嫌がらせなのか。言うまでもない気がしますが、今の日本人が、インドの地母神像を見て“エロい”と感じるかというと、ほとんど無理でしょう。そもそも女の造形なのかどうかさえ判断できない人がいるかもしれません。名画も、写実的なものなら何が描かれているかわかるでしょうけれど、そればかりではないです。
何が描かれているかを判る、そして、それを見た人はどう捉えるか、これって美術の話、また漫画の話にも通じることです。今と昔の漫画では、たとえ言葉に出来なくても何かが違うことには気がつけるでしょう。そうしたことを受け止めることも文化に触れることなんだと思います。
漫然と読む人を否定はしませんが、オタクと名乗ったり芸術関連を仕事にしている人は、そうじゃないでしょう。
今回も、それより以前の炎上でも見かけた、中傷や嘲笑のためのコラ画像が作られたり、批判している女性に対してアニメキャラの画像を見せつけたり、地母神像と現代日本の漫画を思いつき程度で結びつけてみたりという白々しい動作すべて、嫌気がさしますよ。
あぁ、この人たちは楽しそうに人に嫌がらせしてるなぁと感じてしまう。
『宇崎ちゃんは遊びたい!』は、内容をしらなくても、あの絵だけで十分、おっぱいの大きな女の絵であることが通じるようになってます。そして本編は、「SUGOIDEKAI」と書かれたTシャツを着る女の子のおっぱいが描写されたり、男の先輩が寝ぼけて宇崎ちゃんの胸に頭を埋めたり、宇崎ちゃんがバニーガールの格好をしたりするという内容も含まれています。この絵がエロくないかどうかはさておき、おっぱいをエロいものとして描こうとしていることは汲み取らなければならないでしょうよ。エロ漫画やエロゲーなどが由来の、読者にエロいと思ってもらうために編み出された方法でしょうよ。
もし、本当に、この作品からエロい要素を汲み取れない(カマトトぶってエロい要素を無視することも含めて)のがオタクというのならば、何も言うことはないです。
今年読んだエロ漫画なら六壱のあっけらかんと不倫してる人妻の作品が良かったですとか、DISTANCEの『じょしラク!』アニメ化おめでとうございますとか、篠岡ほまれの足フェチ描写は絶品ですとか、尾崎晶は何度読み返しても笑えるエロさだとか、そういうことをたまに考えてしまう僕としては、何も言いたいことがないです。
献血のポスターについて 古新野 ま~ち @obakabanashi
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