第32話

ある日結婚式が終わった後のゲストハウスで、すみれはエントランスの花を生けていた。


2階まで吹き抜けの広々としたエントランスで大きめのアレンジを生けるのに、すみれは脚立を使って作業をしていた。


会場のスタッフ以外は誰もいないと思って作業に没頭していたすみれに一人の男が声をかけた。


「すみません、忘れ物を取りに来たのですが・・・」


すみれは自分に声をかけられていることに気がつかなかった。


「あの、すみません・・・扉の鍵が開いていたので勝手に入ってきてしまって・・・」


男は申し訳なさそうに再び声をかけた。


すみれがその時にようやく、男が自分に話かかていて、男が会場のスタッフではないことに気がついた。


作業していた手を止めて、すみれは男の顔を見た。


男は礼服に身を包み、引き出物の入った紙袋を手に下げていた。


「申し訳ありません。お客様がまだいらっしゃるとは思わなくて・・・」


すみれは慌てて脚立から下りた。


脚立から降りたすみれは、エプロンの腰紐に挟んでいたタオルで手を拭いた。


「お忘れものですか?」


すみれはにっこりと笑って男に訊いた。


「・・・あ、はい。」


男はすみれの優しい笑顔に魅せられ、思わず息を飲んだ。


「係の者を呼んで参りますので、あちらのお席でお待ちいただけますか?」


すみれはエントランスの脇にある待合いスペースに男を案内した。


男はすみれに案内された場所に移動し、すみれがエントランスからスタッフルームに入って行くのを見ていた。


五分ほど待っただろうか、すみれは会場の男性スタッフと一緒に先程入っていった扉から出てきた。


すみれと一緒に出てきたスタッフが男の元に近づいてきたので男は立ち上がった。


すみれは男の元に戻らず、軽く男に会釈して作業の途中だった花の所に戻っていった。


会場のスタッフと男は10分ほど何かを話していた。


お互いに名刺を交換して、二人の話は終わったようだった。


スタッフが男を出口まで案内しようとすると、男はその申し出を断った。


正面玄関の鍵は開いたままだったので、そこから帰ると言ったようだ、男はスタッフに挨拶をし、すみれの方に近づいてきた。


「先程はありがとうございました。」


男は最初に声をかけた場所から、再びすみれに声をかけた。


すみれは男の方に視線を移し、脚立から下りて


「いえ、とんでもありません。忘れ物大丈夫でしたか?」


と答えた。


「素敵なお花ですね。」


男はすみれに言った。


「ありがとうございます。」


「僕、こういう者です。あなたにお花を依頼したい時は、どうすればいいのでしょう?」


男はすみれに自分の名刺を渡そうとした。


すみれは差し出された名刺を両手で受け取り、その場に男を待たせて、自分の名刺を持って戻ってきた。


「失礼いたしました、麻生様。私、桐島と申します。装飾のご依頼は会社にご連絡いただけますと、企画担当の者がお話を伺います。」


「君にお願いしたい時は?」


「私はまだ勉強中なので、全てのアレンジを担当できるわけではないんです。」


すみれは少し申し訳なさそうな恥ずかしそうな顔で話した。


「このアレンジは?君が作ってるのでは?」


「こちらは最後に弊社の社長が手を入れます。」


「君にお願いできるのは?」


「花束、テーブルサイズのアレンジなどの贈り物で持ち運びが出来そうなサイズの物なら、お作りします。」


「ありがとう。また改めて連絡します。」


男はそう言って、すみれの手から名刺を受け取りゲストハウスの正面玄関から出て行った。


これがすみれと悠一郎の出会いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます