ばりばり、ばきばき

 かごの外側に、なにかが高速でぶつかってきている。

 一つや二つではない。おびただしい数のなにかが、連続して籠に衝撃を与えている。

 それは間違いなくラスティを狙っている……明確な殺意を持って。


 ラスティは恐怖に身を縮めつつ、考える。ぶつかってきているものは、おそらくハリーの血でできた武器だ。いばらに守られていなかったら、全身を串刺しにされていただろう。


「ハリー、もうやめて!」


 ヴィオレットの叫びがラスティの耳を刺す。声は相変わらず哀切を帯びていたが、苦痛の色はない。外の状況はわからないが、彼女は無傷のようだ。


「あなた、身体が万全でないのでしょう? そんな状態で、こんなに術を使ったら……」


 ヴィオレットはあくまでハリーを案じていた。そういえば、ハリーは昨日のダメージを引きずっているのだった。このまま無理をし続けたら、彼はどうなってしまうのだろう。


「そういう君こそ、こんなにたくさん血を放出して、身体がもたないのではないか?」


 聞こえたハリーの声は、余裕たっぷりだった。確かに、今のヴィオレットは大量の血液を体外に出している。ラスティを守護している茨の数は尋常ではない。


 ──俺を守るため、ヴィーが失血死することがあったらどうしよう……。


 無力感に打ちひしがれていると、ぱらぱらと砂塵さじんのようなものが降ってきた。

 まさか、と思い、くちびるの横に付着したものを舐め取る。


 ──甘露かんろだった。


 どくりと心臓を高鳴らせ、全身を高揚させる甘露。ラスティがこの世で最も焦がれる至高の滋味じみ

 すなわち、衝撃によって崩れた茨の破片。すなわち、ヴィオレットの血液。


 ああ、もっと欲しいと本能が訴える。砂粒程度の量では生殺しだ。

 猛烈な吸血欲に身動みじろぎしていると、一本の茨が蛇のようにうねりながら目の前にやって来た。そのまま、ラスティの頬をくすぐる。

 愛おしむような動きに、ラスティはヴィオレットの心遣いを感じた。ラスティの具合を案じながら、しっかりしろと励ましてくれているようだった。


 やがて茨は、ラスティの口元へとやってきた。

 先端がうごめき、ラスティのくちびるをこじ開けようとする。まるで、いつかの強引なキスのように。


 ──そういうことか、ヴィー。

 女の意図を理解したラスティは、大口を開けて、茨にしゃぶりついた。味覚が強烈な甘味を感知する。


 舐めるだけでは足りない。込み上げてきた衝動のまま思い切り歯を立てると、とても硬かった。

 諦めてたまるか。さらに力を込めると、飴細工のように砕けた。


 ばりばりと咀嚼そしゃくし、ごくりと飲み込む。

 首をもたげて、さらに茨を求める。


 強引に咥え込んだことで、とげがくちびるを傷付けた。

 よく噛まずに嚥下したものだから、破片が喉を切り裂いた。


 それでもとまらない。とめられない。

 だって、小さな傷は付いたそばから治っていく。


 ぜんぜん痛くない。

 ぜんぜん痛くないのだ。

 背中の傷の痛みさえも、溶けるように消えていく。

 わずかな掻痒感そうようかんと共に、ずたずたに裂かれた肉が塞がっていくのがわかった。


 でもまだ飢餓感は治まらない。だから手を伸ばし、もっと茨を求める。

 力任せに引っ張ると、どんどん伸びてくる。だから、遠慮なくかぶりついた。


 ばりばり、ばきばきと硬い茨を噛み砕く自分は、まるで犬のようだ。与えられた骨に遮二無二しゃにむに喰らい付く、飢えた犬。

 恥じらう必要などない。自分の姿は茨に隠されて、外からは見えないのだから。


「どういうことだ、ヴィオレット!」


 耳に届いたのは、怯えたようなハリーの声。

 ラスティは構わず、食事を続ける。ばりばり、ばきばきと。


「なんだ、その音は! 中でなにが起こっている? あの男は、なにをやっている!?」


 ヴィオレットは答えなかった。黙秘したのか、それとも失血で力を失っているのか。

 早急に確認せねばならない。血を肉体へ還してやらねばならない。


 しかし茨の籠から出たところで、無力な自分は格好のまとだ。

 ならばどうする。なにができる。なにが使える。


 思案していると、また籠に衝撃。

 ハリーの攻撃は続いている。籠を破壊し、中にいるラスティを殺傷せしめんとしている。


 俺も武器が欲しい、とラスティは思った。

 ハリーの槍のように、ヴィオレットの茨のように。エドマンドの剣のように、グレナデンの盾のように。

 『超越者』たる自分も、血を使ってなにかを作製できるはずだ。

 周囲に飛び散っている己の血液に意識を向けてみる。


 ……ああ、なんと奇妙なこと。

 血の一滴一滴に、感覚がある・・・・・


 地面に落ちている血からは、砂と草の感触が。シャツに染みている血からは、素材の質感が。皮膚に付着している血からは、自身の体温が伝わってくる。

 そして、手足のように動かすことができる・・・・・・・・・


 だから、命じてみた。け、と。


 血がするすると流れていく。乾き始めていた血も、離れたところに散っていた血も、余すところなく動き始める。

 同じ方向へと流れる幾筋もの血は、やがて一つに合流し、小川のようになった。

 赤い川は茨の隙間を通って、お日様のもとへと流れていく。


 ラス、とヴィオレットの声が聞こえた。

 ラスティ、とハリーの声が聞こえた。

 そのどちらも、ひどく吃驚きっきょうしているようだった。

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