私は君の周囲を苛み、呪い、災いを振り撒き続ける

「いや、そういうことか……」


 ハリーはなにか思い付いたようで、はたと言葉を止めた。しばらくの沈黙のあと、見下げ果てたような声でヴィオレットに語り掛ける。


「ヴィオレット、君もその男に血を吸われて、のぼせ上っているということか。快楽に心を支配されて奴隷のように従属し、そいつにまやかしの愛を抱いているということか……?」

「やめて!!」


 ヴィオレットが狂乱気味に絶叫した。


「もうやめてハリー! 私を言葉で責めさいなむのも、ラスにむごいことをするのもやめて! ──いいえ、私のことならいくらでも責めてちょうだい。どれだけ残酷な目に遭わせてくれても構わないわ。でも、私の大切な者たちを傷付けるのは……もう、やめて……」


 語尾は消え入りそうなほど弱々しかった。心の奥底からの懇願のようだった。


「二度と顔を見せるなと言うならそうするし、もう片方の目を寄越せと言うならただちにそうするわ。でも、を傷付ける選択をすることはできない。それは、のことも含めてよ……」


 ヴィオレットは激しい運動をしたあとのようにぜいぜいと喘いだ。あまりの動揺に、呼吸がままならないようだ。

 やがて、ひときわ大きく息を吸い込み、引き絞るような声でハリーに訴える。


「私は決して、あなたを憎めないわ。戦えないわ。……だってまだ、覚えているもの。初めて出会った日のことも、それからの出来事も。あなたにもらった言葉も、思い出も、そのとき感じたぬくもりも……」


 なんと情愛深い女だろう、とラスティは素直に称賛した。そして強い強い羨望を抱いた。

 ヴィオレットという至高の女に、そこまで堅固な感情を抱かせるハリーという男が、心の底から羨ましかった。


 ハリーのことが羨ましくて、妬ましくて、憎らしくて──悔しい。どうして、ヴィオレットの気持ちのほんのわずかでも、あの男には届かないのか。


 ハリーの胸の中に宝石箱があるように、ヴィオレットの胸の中にも宝石箱があるのだ。その中にあるものは、決して色褪せることがない。どうして、あの男はそれを理解しないのか。


 ヴィオレットはむせびつつも言葉を続ける。


「ハリー、私は……」

「──黙れッ!!」


 怒号は雷鳴のようにとどろき、ヴィオレットは鞭で打たれたかのようにびくりと身を竦ませた。


「それ以上はやめろ! 過去のことなど聞きたくない!」


 絶叫はもはや恫喝どうかつに近かった。無力な女を怯えさせる脅迫だ。

 かつて愛し合った男に怒鳴りつけられる恐怖は、暴行を受けるに等しいだろう。やめさせなければ、とラスティは思った。


 だがどうやって。今すぐハリーの口を塞いでやりたいが、身体は苦痛に支配されている。どうしたらいい……。


 ハリーの怨言は終わらない。


「最初から人形にするつもりだったくせに! 隷属させ、逆らえぬようにするのが目的だったくせに! よくも、そんな──」

「やめ、ろ」


 ラスティが発した制止の声は、小虫の羽ばたきのようにかすかなものだったが、ハリーの耳には確かに届いたらしい。彼はぴたりと言葉を止め、はっと息を呑んだ。ラスティが声を発したことに驚いたのか、はたまた言い過ぎたと自省したのかは定かでない。


 ラスティは身を起こそうと試みたが、やはり無理だった。痛みに負けて、身がすくんでしまう。

 それでも辛うじて、次声を紡ぐ。


「それ以上は、よせ……みっともない、ぞ」


 どんな事情があったとしても、男が女を感情のまま怒鳴りつけるさまは、あまりに見苦しい。


「ああ、ラス、じっとしていて。しゃべってはダメ」


 ヴィオレットがそっと腕の辺りに触れてくる。身を案じてくれていると同時に、ハリーを挑発するな、と言いたげだった。


「しぶとい男だな。大人しく這いつくばっていればいいものを」


 ハリーが忌々しげに吐き捨てる。彼の声からは、先ほどまでの激情は消えていた。だがその代償として、ぞっとするほど冷酷な色が宿っている。


「ヴィオレット、君がどうしても私を憎めないのならそれでもいい。いつまでも『情』に囚われて、まこと哀れなことだがな」


 さげすみ切った声音に、ヴィオレットははらりと涙をこぼした。けれど、どれだけ彼女が嘆こうともハリーには届かない。


「君が私への『情』を捨てるまで、私は君の周囲を苛み続ける。君が私を呪うまで、私は君の周囲に災いを振り撒き続ける」


 怨念の詰まった宣告に、ラスティは総毛立った。痛みを押して顔を上げ、ハリーの姿を窺う。彼が次になにをしようとしているのか、嫌な予感がして仕方なかった。

 ハリーに絡みついてたいばらはすでに力なく地面に落ちており、彼を阻むものはなにもない。傍らに転がっていた深紅の槍が浮かび上がって、持ち主の手中に帰還した。


「ハリー!!」


 ヴィオレットが髪を振り乱して疾呼しっこする。次いで、彼女のショールの内側から幾条もの赤い茨が飛び出し、ラスティへと波濤はとうのように押し寄せた。


 突然のことに目を丸くしていると、茨は複雑に絡み合って半球ドーム状の空間を形成し、ラスティの全身をすっぽり包み込んでしまった。


 茨の檻……いや、かごと言った方が正しいだろう。わずかな隙間から陽光が射し込んできているが、外の様子を窺うことはできなかった。状況がつかめないラスティは戸惑うことしかできない。


「ヴィー……?」


 かすれた声で呼び掛けても返事はない。代わりに返ってきたのは、激烈な衝突音だった。

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