そして少女は信仰を失った

※グレナデンの吸血シーンがあります。

キャラのイメージを損なうような生々しい表現がありますのでご注意ください。


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 就寝の準備をしたグレナデンは、寝台に横になって今日起こった出来事を思い返していた。

 本当にいろいろなことがあった、いろいろな者に出会った、いろいろな話をした。


 肉体は早急な睡眠を求めているが、頭の中を巡回する記憶と、待ち人との約束がグレナデンの意識を現実に繋ぎとめている。


 ノックの音が響いたため、思考を中断し、『入れ』と返事をする。

 現れたのは、寝間着ネグリジェ姿の少女。いつも一つに結われている黒髪は解放されていて、肩にはらりと散っていた。


「遅くなりまして申し訳ございません、我が君」


 少女――モリィは、グレナデンの傍までやって来ると、テーブルに燭台を置いた。


「お召しに従い参上いたしました。どうぞ、お手柔らかにお願いします」


 恭しくかしずくモリィに、グレナデンは苦笑を向けた。


「堅い物言いはよせ」

「……ええ、アドル・・・


 モリィも相好を崩し、グレナデンの上に覆い被さってくる。グレナデンは少女の柔らかな重みを堪能しつつ、艶やかな黒髪に指を絡ませた。


 グレナデンがモリィを従者にしたのは、互いが十五歳のとき。以来、同じように年を重ねて、互いに六十歳を迎えた。

 グレナデンは青年の姿まで成長したが、モリィの姿は十五の少女のまま。

 しかし熟年夫婦の如く長く連れ添った彼らには、相応の絆ができていた。グレナデンが『アドル』の愛称で呼ぶことを許したのは、モリィだけだ。


 そして、こんなふう・・・・・に甘く睦み合うのも。


 室内にとろけるような口づけの音が響く。ほとんどがモリィ主体で行われており、グレナデンはされるがままだ。

 すっかり昂った様子のモリィは、細い脚でグレナデンの身体を強く挟み、互いの密着度を高めた。染み出た汗で触れ合った部分がしっとりと温まり、薄い寝間着越しに、体温と肌の質感が伝わってくる。


 長いキスが終わると、情欲に蕩けていた少女の顔が引き締まり、グレナデンを案じる。


「本当に、お疲れでなくて?」

えているように見えるか?」

「いえ……。でも、今日はいろいろあったようだから……」

「ああ……そうだな」


 帰宅がずいぶん遅くなってしまったし、なにより、従者のモリィの心には、グレナデンの苦悩と疲労が伝わっているはずだ。


 モリィの言葉に触発され、今日の出来事が脳裏に蘇る。

 真っ先に浮かんだのは、宵闇の女王のこと。


 傲慢で放縦で、いけ好かない女だと思っていたヴィオレット。

 満身創痍の従者を見てパニックのあまり号泣し、子どものような様をさらしていた。激情に任せてエドマンドを殴打し、ラスティという名の従者の胸にすがってさらに泣いた。


 グレナデンはそんなヴィオレットを叱咤し、あえて侮辱的な物言いをして、冷たい目を向けてみた。

 しかしヴィオレットは奮起することなく、ただ傷付いていた。

 心底情けないと感じた。


 だが――改めて思えば、もしモリィや他の従者たちが同じ目に遭わされたら、グレナデンも取り乱し、なにもできないかもしれない。

 ただでさえヴィオレットは、過去に大勢の従者を惨殺されている。その心の傷をこじ開けられたことで恐慌状態に陥るのは、当然のことなのかもしれない。


 従者たちを殺めたのがカルミラの民であったなら、おそらくヴィオレットは激憤し復讐に身を投じたことだろう。

 けれど、相手は同じ従者だった。深く愛寵していた男だった。


 グレナデンは己の身に置き換えて考える。

 もしモリィが殺され、その犯人が六年前に従者にしたばかりのサマンサだったら……。逆だったら……。

 『裏切りは大逆』と断じ、なんの躊躇ためらいもなく誅殺することができるだろうか……。


 ――できない。


 付き合いの長いモリィも、若いサマンサも、その間にいる他の者たちも、皆等しく愛おしい。どんな大罪を犯そうとも、憎むことはできないかもしれない。

 グレナデンは、事態を甘く見ていたことを強く恥じた。


 そして、ハリー・スタインベックが、エドマンドやシェリルへ語っていた言葉……。


 『血を吸われ、人形にされた』

 『従者が抱く情愛は、幻想』

 『心が侵されている』『汚されている』『踏み荒らされている』。


 ハリーの言葉を反芻はんすうしながら、グレナデンはモリィと初めて会った頃を思い出していた。


 毎週欠かさず教会へ通う、敬虔な新教徒。祈りを捧げる横顔が可憐で、欲しい、と思った。


 グレナデンは、神や教義にこれっぽちの興味もなかった。モリィには、神などという曖昧模糊あいまいもこな存在ではなく、自分に仕えて欲しかった。


 最初は花を贈り、手紙を書き、普通の男がするように口説いた。

 モリィは貞淑な娘で、夜には決して会おうとせず、雑談ばかりする日が続いた。

 くちびるを許してくれた日、そのまま首筋へ喰らい付いた。


 めでたくグレナデンのものになったモリィ。

 けれど、敬虔な信徒だった少女は、信仰を失った。

 神ではなく、グレナデンへひざまずいた。グレナデンだけをたたえた。

 至極、満足だった。


 その行為の是非を疑ったことなどなかった。今日まで、ずっと、ずっと。


 ――すなわち、私は敬虔な少女の魂を踏みにじったということか。

 心に鉛が落ちる。カルミラの民は、万言を尽くして従者へ愛を囁きながら、その実、彼らの心を玩弄がんろうしているというのか。


 さすれば、カルミラの民とは、なんとごうの深い生き物だろう。その罪深さに眩暈めまいさえ覚える。


「アドル?」


 鬱々と思案に暮れるグレナデンは、モリィの声で我に返った。


「すまない、考え込んでしまった」


 するとモリィは不安げに表情を曇らせたが、すぐにいたずらっぽく笑って、顔を寄せてきた。くちびるを甘噛みされ、引っ張られる。

 主人の気を引く子犬か子猫のようで、まこと愛おしい。……しかし痛い。

 仕返しに尻を撫でてやると、嬌声を上げて離れていった。


 しばらく、無邪気に笑うモリィの顔を眺めていたが、ふと湧き上がってきた疑問をぶつけてしまった。


「お前は今、幸せか?」

「どうしたの、今さらそんなことを。あなたに出会った日から、ずーっと幸せよ」


 モリィは満面の笑顔を見せたが、グレナデンの心の中を冷たいものが通り抜けていく。


 ――『あなたに出会った日』というのは、いつのことだ?

 教会の外で声を掛けた日? 石榴の花を贈った日? それとも、血を啜り、従者にしてしまった日だろうか。


 尋ねるのが恐ろしい。

 もしモリィがわずかでもそれを疑えば、宵闇の女王の元で起こった悲劇が、石榴館せきりゅうかんで再現されるかもしれない……。


 表情を陰らせるグレナデンに、モリィも眉を下げ、あるじを憂えた。だがやがて、艶然と微笑む。


「今日は右と左、どちら・・・がいいかしら」


 グレナデンの身体に跨ったまま膝立ちになったモリィは、もったいぶるように寝間着の裾をたくし上げた。滑らかな太腿ふとももが半ばまで露出する。


 どうやら、を先に進めることで、グレナデンの不安を紛らわそうとしてくれているらしい。

 グレナデンは、その気遣いを有り難く受け取ることにした。せっかくの甘いひとときを陰鬱な気分で台無しにしては、従者に申し訳ない。


 グレナデンは手を伸ばし、モリィの左の大腿部だいたいぶを撫でた。指先に力を込めて、汗でたっぷりと湿った肉の柔らかさを堪能する。

 付け根付近には、小さなほくろがあった。内側に隠れたそれの存在を知るのは、グレナデンのみ。


 愛しい女の秘奥ひおうを探る喜びに、グレナデンは込み上げてきた笑みを必死にこらえた。そうしなければ、どれだけ野卑な笑顔になっていたことか。そんな顔をモリィへ見せたくはない。

 胸にたぎる欲望を抑え、可能な限り平静に答えた。


「左にしよう」

「ええ」


 頷いたモリィは、グレナデンの上から退くと、優雅な所作で隣に寝転がった。それから、粘着質の目線であるじを誘う。


 グレナデンはすかさず少女の下半身に覆い被さり、すでにあらわになっていた左太腿の内側にくちびるを寄せた。

 感触はしっとりとやわく、味と匂いは生々しく、激烈な官能が理性をく。


 もはや欲を抑えること叶わず、すかさず皮膚へ牙をめり込ませた。


 モリィは激しく仰け反ったが、やがて詰めていた息を逃し、身体を弛緩させる。

 時折漏れる小さな苦鳴がひどく煽情的で、平生は理知的なグレナデンをこれでもかと狂わせた。


 ――今は、なにも考えまい。

 少女の細い脚を撫で回しながら、グレナデンは無心で血を啜った。




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これで第三部終了となります。長いお付き合いありがとうございます。

ぜひ引き続きお楽しみください。

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