見下げ果てた女

 ヴィオレットははらはらと涙をこぼしながらも、血と泥にまみれたシェリルの身体を拭き、清潔な寝間着に着替えさせてやった。


 それから、シェリルの部屋ではなく、ヴィオレットの部屋のベッドへ寝かせる。

 主人の匂いに包まれていた方が、シェリルも安心するのではないかと考えたのだ。


 それに、いくら治療のためとはいえ、赤の他人グレナデンをシェリルの部屋に入れたくなかった。

 自分の寝所へ招き入れるのだっておぞましいが、やむを得ない。


 シェリルはずっと目を覚まさない。瞼をきつく閉じて、浅い呼吸を繰り返している。発熱しているようで、全身がとても熱かった。


 グレナデンは休憩を挟みながらも、かなりの長時間シェリルへ治癒の術を施している。彼いわく、治癒の術は従者に対しては効力が薄いらしい。また、内臓の損傷が最も厄介だという。


 しかし、この男がこんな高等な術を習得しているとは、初耳だった。ヴィオレットにだって使えない……というか、こんなに面倒な技、覚えようと思ったこともなかった。

 その怠慢を、今日ほど後悔した日はない。

 今のヴィオレットには、シェリルの額に浮かぶ汗を拭ってやることしかできないのだから。


 ――なぜこんなことになったの……。

 ヴィオレットは精気のないシェリルの顔を見ながら、ひたすら涙をこぼした。


 ――エドとラスと、買い物に行くだけだと言っていたのに。どうして大怪我をして……。しかもその犯人がハリーだなんて……。一体どういうことなの、なにがあったの……。


 だが今は、当事者たちに事情を問いただす気力がなかった。ただただ苦しく、ひたすらに悲しかった。


 込み上げるままに涙を流していると、時折グレナデンに舌打ちや罵倒をされたが、やがてそれさえなくなった。


 何度目かの治癒術のあと、グレナデンは大きく息を吐いて、眉間を揉みほぐした。


「できることはやった。あとはゆっくり寝かせてやれ」


 ――偉そうに。本当に全力を尽くしたのか。

 泣きながらも、ヴィオレットは内心で毒づく。礼を言う気にもなれなかった。


 無視をしていると、とうに途切れたはずの舌打ちが聞こえた。次いで、グレナデンに肩を掴まれる。


「いい加減にしろ。お前の心痛は従者に伝わっているはずだ。この娘が安眠できないだろう」

「触るな!」


 ヴィオレットは憤然と顔を上げる。

 この男はつい先日、ヴィオレットを侮辱し、子どもを作れと言い放った。あまつさえ自分が相手になってやると豪語した。この上ない無礼者。


 そんな男にシェリルの命運をゆだねねばならなかったことが悔しく、また、ヴィオレットの寝所に堂々と居座っていることが忌々しかった。


 肩に置かれた手を払い除けたあと、すかさず腕を伸ばしてグレナデンの首を掴む。

 がっしりと両手で捉えたあとは、親指で喉仏を圧迫してやった。


 案の定グレナデンは息苦しそうに顔をしかめ、それを見た瞬間、ヴィオレットの苛立ちがわずかに晴れた。

 つい、歪んだ笑みが口元に浮かぶ。


「男という生き物は難儀だな。こんなにも潰しやすいものを、常に人前にさらけ出して」


 低い声で恫喝してみたが、さしたる効果はなかった。ただ、グレナデンの碧眼の中に冷徹な光が現れただけ。

 ヴィオレットも負けじと睨み返す。このまま本当にくびり殺してやろうかと思った。


 しかしそのとき、ノックもなしに扉が開く。


「ヴィー?! なにやってるんだ!」


 入室してきたのは、水差しやカップ、布などを抱えたラスティだった。テーブルの上に荷物を置くと、慌てて割り入ってくる。


 ヴィオレットはさんざん自分にされた舌打ちを返して、グレナデンを解放した。すぐに襟を正し始めたグレナデンの瞳は、恐ろしいほど冷ややかだった。


「この人にはものすごく世話になってるのに、どうしてこうなった」


 ラスティの呆れた声を受け、ようやく怒りがしぼんでいった。同時に激しい後悔が襲ってくる。

 ラスティの言う通り、シェリルを治療してくれた男に対して、大変礼を欠いた態度を取ってしまった。どうしてここまで激しく苛立ってしまったのだろう。


 ――だって、あの男は私を侮辱して……。とても嫌な男で……。偉そうで……。

 内心で言い訳を考えていると、氷のように冷たい罵声が浴びせられた。


「見下げ果てた女だ」


 軽蔑し切った視線に耐え切れず、ヴィオレットはグレナデンから顔を背けた。


「従者の方が、わきまえているではないか」


 言い返すことはできず、うつむく。グレナデンの罵倒は止まらない。


「まこと、女とは愚かしい。すぐに恐慌に陥り、感情的に喚き散らし、優しくすれば増長し、恩を仇で返す」


 言葉の中には、侮蔑の念がこれでもかと詰まっていた。なに一つ反駁はんばくすることができない。拳を握って、震えながら堪え忍ぶ。


「すべての女がそうとは言わん。だが貴様はまさしく悪い見本だ。女の嫌な部分を煮詰めたような愚か者。従者に反逆されるのも納得だ」


 最後の刃は、弱り切ったヴィオレットの心に深々と突き刺さった。

 一旦止まった涙がまた噴出し、口からは嗚咽が漏れる。ラスティにしがみつき、胸に顔を埋めて泣きじゃくった。

 彼の大きくて温かい手が頭を撫でるたび、悲しみが溶け消えていく。

 けれどすぐに、それを上回る悲しみがやってきてしまう。だから、涙が止まらない。


「気分が悪い」


 グレナデンはそれだけ吐き捨てて退出していった。


 わずかのち、ラスティが『あっ』と声を上げた。ヴィオレットをそっと振りほどくと、小走りで部屋を出て行ってしまう。


 想定外の出来事に、際限なくあふれていた涙が卒然そつぜんと引っ込んだ。


「ラス……!」


 ――私が泣いているのに、捨て置いてどこかへ行った……!

 あまりの精神的衝撃に、ヴィオレットは激しく戦慄わななく。そのあと、床にへたり込んでさらに泣き喚いた。

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