第五章 それぞれの胸裏
生涯許しを得られなくとも
エドマンドたちが帰還したとき、ヴィオレットはすでに屋敷の外に出て来ていた。
ひどくやきもきした様子で、人差し指を噛みながら、うろうろと玄関前を往復している。
従者たるシェリルの心身の不調を察していたのだろう。
それでもシェリルの元へ駆け付けてこなかったのは、ハリーが自らに『気配を隠す術』を施していたからだと思われる。その術の範囲内にいたから、ヴィオレットはシェリルの位置を探ることができなかったのだ。
いや、もしかすると、エドマンドの『十全を尽くす』という約束を信じていたからかもしれない。
エドマンドがシェリルを守ってくれると信じて、心
もしそうなのだとしたら、エドマンドはヴィオレットの深い信頼を最悪の形で裏切ってしまったことになる。
自責の念が心痛を生み、エドマンドは思わず心臓の辺りを押さえていた。このまま己の胸を握り潰してしまえたら、どれだけ楽だろうか。
しかし、自死は安楽な逃避に過ぎない。どんなに辛くとも、万言を費やして謝罪せねばならない。
――たとえ、生涯許しを得られなくとも。
ヴィオレットはまず、グレナデンの姿を認めて
けれど、グレナデンの背にシェリルが負ぶわれていることに気付くと、動揺を顔いっぱいに浮かべて走り寄ってきた。
「シェリル!!」
従者を案じる女主人の悲痛な声が庭中に響いた。
グレナデンの背からシェリルを奪い取ろうとするが、あまりにひどい有様に、慌てて手を引っ込めた。
癒しの術のお陰でシェリルは危地を脱しているが、それを知らないヴィオレットはひどく取り乱し、絶叫する。
「ああ、シェリル! シェリル! ああああああっ!」
ヴィオレットはすっかり
おそらく、かつて従者たちを惨殺されたときの記憶が蘇ったのだろう。
今の彼女は、傲慢な宵闇の女王ではなく、パニックに陥って叫び散らすだけのただの弱い女だった。
ひとしきり叫んだあと、気力を失って地にへたり込んだ。
「なんと軟弱な! 手負いの従者を前にして泣き喚くことしかできぬとは、笑止千万!」
グレナデンが峻険に叱咤する。効果はあったようで、ヴィオレットは憤怒を表出させて立ち上がった。
「なにがあった!」
怒りの滾る瞳で、男三人を順に睨む。
今のエドマンドには、事情を説明する気力がなかった。不甲斐ないと自覚しながらも、目を伏せる。
ラスティはただオロオロとしていた。
「なにがあったかと聞いている! 貴様がなにかしたのか!」
胸倉を掴まれたグレナデンだったが、激高することなく冷ややかな目をヴィオレットへ向けた。
「短慮な女だ。まこと情けない。今はこの娘を安静にしてやるのが第一だろう」
「ヴィー、グレナデン殿の言う通りだ。今はシェリルを……」
言い終える前に、ヴィオレットの拳が飛んできた。ただでさえ脚を負傷しているエドマンドは、踏ん張ることができずに吹き飛ばされる。
当然の仕打ちだ、と頬の痛みを受け入れた。ヴィオレットの憎々しげな眼差しも、真っ向から受け止める。
「エドマンドぉっ……!」
まさしく怒髪天。ヴィオレットの
「ヴィー、落ち着け!」
ラスティが慌ててヴィオレットの肩を掴む。
「シェリルは大丈夫だ、この金髪のひとが手当てをしてくれたから……」
と、我を失いかけているヴィオレットをなだめようとしてくれた。
しかし、引っ込んでいろと言わんばかり突き飛ばされ、よろめいてサンザシの根本に倒れ込む。彼も疲労の色が濃い。
制止する者のいなくなったヴィオレットは、激憤の表情でエドマンドに迫る。
「お前っ、十全を尽くすと約束しただろう! シェリルを守ると! しかも、こんな男を我が領内へ引き込んで……!」
「やめよ、見苦しい!!」
グレナデンが厳然と声を張り上げ、ヴィオレットの肩がびくりと震える。
「マクファーレン、貴様があるじとしての責務を果たさぬのなら、この娘は
「……なっ…………」
峻烈な罵倒を受け、ヴィオレットは強張った表情で
そのまま怒りを爆発させるかと思いきや、瞳から大粒の涙をこぼした。次いで、幼い少女のように咽び始める。
嗚咽はやがて号泣へと変わった。
手で顔を覆い、恥も外聞もなく泣きじゃくるヴィオレット。その姿は、ただただ哀れだった。
さしものグレナデンも深い同情を顔に浮かべたが、一瞬だけだった。底なしの
エドマンドは、
だが、今の自分にはその権利がない。その役目は、ラスティに任せることにした。
愛しい女が他の男の胸に縋る姿から目を背け、無念を噛み締めながらグレナデンの後に続く。
「エドマンド、君は邸内には詳しいのか?」
「はい……シェリルの部屋へ案内します。手当に必要なものがあれば、実家から持ち出してきます」
「無理をするな、君も休め。私が石榴館へ取って返して、
再度、グレナデンはヴィオレットへ冷たい視線を向ける。
ラスティに肩を抱かれるヴィオレットは、ぐすっと
「……誰が、シェリルをこんな目に遭わせたの」
「それは……」
エドマンドは言葉に詰まる。ヴィオレットに、『ハリー』の名を聞かせたくなかった。
いつもはおしゃべりなラスティでさえ、神妙な顔をしてくちびるを引き結んでいる。
「貴様の元従者、ハリー・スタインベックだ」
しかし、グレナデンは一切の気遣いなく、
途端、ヴィオレットは涙ごと凍り付く。
「悲嘆に暮れるのは後にしろ。無能をさらすな。今、貴様が気に掛けるべきは、この娘ではないのか。これ以上、失望させるな」
次々と放たれる冷厳な言葉に、ヴィオレットは奮起することもなく、葬式に参列するような足取りでとぼとぼと歩み出す。
「ヴィー……シェリルの看病をしてやってくれ。できるよな」
子どもに語り掛けるようなラスティの物言いに、ヴィオレットは茫然とした表情のままこくんと頷いた。
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