『トム・ブラック』

「あの……すまない」


 唐突にラスティが謝罪を口にした。なんだいきなり、と見遣ると、悄然とうなだれている。


「ようやくわかった。あんたたち二人だけでこの街へ来ようとしたのは、そういう目的だったのか。ヴィーの姿を真似て人殺しをしているヤツを探しに来たんだな」


 かつてヴィオレットの前でその話をしたとき、ぼーっとしていただけのように思われたラスティも、しっかりと内容を記憶していたようだ。


「俺はなんにも知らず浮かれて、挙げ句に迷子になってあんたたちを邪魔したんだな……」


 すべての事情を察して落ち込むラスティの手をシェリルが取った。両方の手の平で包み込んで、慰めるような目線を向ける。


「そんなことはありません……と言えば嘘になります。あなたが同行すると決まったとき、それなりにガッカリしましたわ」


 ――予想以上にずばりと言ったな。さすがシェリル。

 エドマンドは感嘆の目をシェリルへ向けた。いつもは優しく穏やかなシェリルから発せられる棘の方が、ラスティには刺さるだろう。

 ますます落ち込む赤毛を見て、エドマンドの溜飲は十分に下がった。ざまぁみろ、反省しろ。


「ですが、一緒にお出掛けできて楽しかったですわ。また日を改めて来ましょうね」


 シェリルがにっこりと笑うと、ラスティも『そっか』と口元を緩める。

 立ち直りが早すぎる、とエドマンドは舌打ちを禁じ得なかった。


「でも、トム・・は違う。絶対に犯人じゃない」


 気を取り直したらしいラスティは、エドマンドに向かって真っ直ぐに告げた。


「トム?」


 それはお前がとっさに名乗った偽名ではないのか、と尋ねようとしたが、先に説明された。


「ああ、あのひとは『トム・ブラック』って名前だった。それを聞いて、俺は思い出したんだよ。俺自身も、『トム』という名前だったってことを」

「ラスティ様は、ご自身の本来の名を忘れておられましたから。『ラスティ』の名は、ヴィオレット様が付けたものです」


 と、シェリルが補足した。

 ふーん、とエドマンドは唸った。忘れていた本名を思い出せてよかったな、赤茶の毛の男に『ラスティ』と安直な名を付けるなんてヴィーらしい、などと思ったが、今はそんなことどうでもいい。


 『トム・ブラック』とはカルミラの民の名前にしては不自然だ。単調すぎるし、祖先から受け継ぐミドルネームが入っていない。エドマンドも、人間相手に名乗る際は適当な名前を使うこともあるし、偽名の可能性が高い。


「親切にしてくれたし、名前が同じだからつい意気投合しちまってな。それにそもそも、トムはカルミラの民じゃなかった」

「なんだと!? 早く言え!」


 エドマンドが声を荒げると、ラスティは不服そうに眉間にしわを寄せた。


「ロクに話も聞かずに疑ってかかったのはそっちだろう」

「むっ……」


 指摘に反論ができず、エドマンドは押し黙った。するとすかさずシェリルが疑問を呈する。


「カルミラの民ではなかった、ということは、ラスティ様を保護してくださった『トムさん』も従者だったと?」

「ああ、そう言ってた」

「では、フレデリカが奉公に出ているのは、その『トムさん』のご主人様?」

「いや、あの子はトムに仕えているみたいだった。といっても憎まれ口を叩いたりして、よくわからん関係だったな」

「そうですか……」


 シェリルは不可解そうに首をかしげた。エドマンドも同様の仕草を取る。従者が従者の元に奉公に出るなんて、どんな事情があってのことなのかまったく理解できない。互いのカルミラの民主人の間に、余程の上下関係があるのだろうか。


 エドマンドは重い息を吐いてからシェリルへ向き直った。


「とりあえず君はそいつを連れて、先にヴィーの元へ帰ってくれないか? グレナデンたちには、ぼくが取り計らっておく」

「そうですわね。探させておいて先に帰ってしまうのは無礼ですが、ラスティ様をあの方たちに引き合わせない方がいいでしょう」


 物分かりのいいシェリルにこころよい視線を送りながらも、エドマンドはそのあとの懸念に表情を曇らせる。


「しかし……グレナデンたちに会ってしまったこと、シェリルをぼくの従者だと言ったこと、ヴィーに弁解するのは気が重いな。『悪い話がある』と予防線を張っておいてくれないか」

「かしこまりました。この街に来たいとワガママを申したのはわたくしです。ヴィオレット様の怒りが極力少なくなるよう、可能な限りフォローさせて頂きますわ」

「頼むよ」


 軽い調子で肩をすくめながらも、エドマンドはさらに考える。

 グレナデンたちには、『ラスティは母の従者だ』と説明してしまった。ということは、母にも根回しをしておかなくてはならない。そうなれば、母はラスティに会いたがるだろう。

 さすれば父に、やがて兄姉けいしに、そして他のカルミラの民たちへと拡散しかねない。

 

 母は口が堅いし、父に対しては末っ子の特殊技能『あまえる』を使えば口止めできるはずだ。だが、兄姉らには通用しない。

 ヴィオレットが従者であるハリーに反逆され、片目を奪われた事件――カルミラの民史上最大の醜聞が同胞中に伝播でんぱしたのは、兄姉のうち誰かが面白半分で漏らしたからだろうとエドマンドは踏んでいる。

 オルドリッジ一族の団結は決して盤石ではないし、ヴィオレットを嫌っている者もいる。


 もし兄姉の誰かがラスティの存在を認知すれば、たちどころに同胞たちへ知れ渡るだろう。ヴィオレットは超越者たるラスティの扱いには慎重になっているというのに、それが水泡に帰してしまう。


 ああ、今日起こったことのすべてを話せば、ヴィオレットは怒髪天を衝くほどに憤るだろう。髪を引き毟られ、頬をぶたれ、倒れたところを力いっぱい踏みつけられる……だけで済めばまだマシか。

 暴力による負傷はすぐに治癒するし、怒りはいずれ沈静する。だが、蔑みの目を向けられたことによる心痛は長く引きずるし、失った信頼は容易に回復しない。

 この場にシェリルやラスティがいなければ、エドマンドは少し泣いていただろう。


 どんよりと暗くなった表情をきりりと引き締めたのは、フレデリカが戻って来たからだ。今度はきちんと全身を霧に変じさせており、軽やかに屋根の上に着地してみせた。


「お待たせしました。あのひとがお会いになるそうです。ご案内致します」

「ああ、ありがとう」


 『トム・ブラック』が対面を断らなかったことにエドマンドは安堵した。とりあえず会って、人となりを観察してみよう。


「えっと、わたくしたちはどうしましょう……」


 ただちに帰宅した方がいいか伺いを立ててくるシェリルに、エドマンドは柔らかな笑みを向けた。


「四時までまだ余裕があるから、一緒に行こう」


 それからシェリルの耳元に口を寄せ、フレデリカに聞こえないようそっと囁く。


「もしトム氏が信頼できる人物だったら、フレデリカと『次回の約束』を取り付けてはどうかな。他所の従者と交流するくらい、ヴィーは許してくれるだろう」


 シェリルの表情がパッと華やぐ。


「あら……! そうですわね、ありがとうございます」


 にやにやと笑い始めたシェリルは傍から見ると大変怪しかったが、とりあえず彼女のことは差し置いて、フレデリカへと向き直る。


「ではフレデリカ、案内してもらえるかな」

「はい!」


 元気よく頷いた少女は、再度姿を霧へ変えた。また髪が残ってしまっていたが、あとを追いやすくて都合がいい。

 苦笑したエドマンドは、シェリルとラスティが霧になったことを確認してから、己の肉体も霧散させた。

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